tinc さんの日記
2021
6月
19
(土)
21:11
本文
私は見た目が陰気であるのみならず、口を開いても小さな声でぼそぼそと喋る、七割方死んでいるような印象の人物である。あなたが夜道ですれ違いたくないと思うような人を一人想像してみてほしい。その人の像から私はきっと大きく外れない。
ところが世の中何がどう作用するか分からないもので、今を去ること十数年前のある時、私はこの亡霊みたいなキャラクターを見込まれ、ある大学の映像研究サークルの自主制作映像の主役に抜擢された。役柄は透明人間である。
その作品の大筋は「理論物理学に傾倒するあまり自身の実在性を半ば失った男が透明人間となり、自分の知る人々の生活に侵入することで現実との接点を持ち元の存在に戻ろうとする」というもので、その透明人間が私であった。約10分のその映像作品のオープニングとエンディングの数十秒にしか私の姿は映らず、他の部分は他の人が生活したり会話したりする場面に私のナレーションが流れるという進行であった。なかなか深遠な題材を扱っていて良い作品であると思う一方、自分の汚い棒読みのナレーションで展開する10分間はひどく辛いものであり、現在動画サイトを検索してもそれらしきものが見当たらないことに私は心の底から安堵している。
10分間の映像作品を完成させるにはかなりの時間が必要であり、当時の私は出演を安請け合いした自分の愚かさを呪うことしきりであった。映研サークルのメンバー達はそれなりの熱量を持ってこの作品を制作していたようで、私は自身がカメラに写らない場面の撮影にもナレーションに臨場感を持たせるためという理由で立ち会うことを要求された。学費も生活費もままならないが故にアルバイトに明け暮れていたのがその映像作品の撮影のために更に忙しくなってしまい、私は内心で文句ばかり言っていた。
しかし確かに楽しい体験であった。神話や物理学のモチーフを無秩序に散りばめたナレーションは不思議に普遍的なことを述べているように感じられたし、撮影現場で冗談を飛ばしあったり議論を重ねたりしながらそれぞれの役割を果たそうとするサークルのメンバー達の姿を見ていると、制作とは良いものなのだろうと漠然とではあるが強く感じた。私は当時取り立てて好きなものを持たなかったので彼らが羨ましく輝かしく見えた。
時を経て好きなものだらけ、やりたいことは山積という状況になった現在の私は、時にふと自分が透明人間だったこの10分間のことを思い出す。サークルの彼らは今どうしているだろうかと思うと同時に、私はこれから何をするのかとも思う。私のしたいことは私がするのである。日々を漫然と過ごすうちに私はいつか自分にはもうすることが残っていないと思い込む。それは誤りである。
亡霊のような有様でもまだ生きているのだから、実在性を失いかけるくらい物事にのめり込むのも良かろうと思う。
ところが世の中何がどう作用するか分からないもので、今を去ること十数年前のある時、私はこの亡霊みたいなキャラクターを見込まれ、ある大学の映像研究サークルの自主制作映像の主役に抜擢された。役柄は透明人間である。
その作品の大筋は「理論物理学に傾倒するあまり自身の実在性を半ば失った男が透明人間となり、自分の知る人々の生活に侵入することで現実との接点を持ち元の存在に戻ろうとする」というもので、その透明人間が私であった。約10分のその映像作品のオープニングとエンディングの数十秒にしか私の姿は映らず、他の部分は他の人が生活したり会話したりする場面に私のナレーションが流れるという進行であった。なかなか深遠な題材を扱っていて良い作品であると思う一方、自分の汚い棒読みのナレーションで展開する10分間はひどく辛いものであり、現在動画サイトを検索してもそれらしきものが見当たらないことに私は心の底から安堵している。
10分間の映像作品を完成させるにはかなりの時間が必要であり、当時の私は出演を安請け合いした自分の愚かさを呪うことしきりであった。映研サークルのメンバー達はそれなりの熱量を持ってこの作品を制作していたようで、私は自身がカメラに写らない場面の撮影にもナレーションに臨場感を持たせるためという理由で立ち会うことを要求された。学費も生活費もままならないが故にアルバイトに明け暮れていたのがその映像作品の撮影のために更に忙しくなってしまい、私は内心で文句ばかり言っていた。
しかし確かに楽しい体験であった。神話や物理学のモチーフを無秩序に散りばめたナレーションは不思議に普遍的なことを述べているように感じられたし、撮影現場で冗談を飛ばしあったり議論を重ねたりしながらそれぞれの役割を果たそうとするサークルのメンバー達の姿を見ていると、制作とは良いものなのだろうと漠然とではあるが強く感じた。私は当時取り立てて好きなものを持たなかったので彼らが羨ましく輝かしく見えた。
時を経て好きなものだらけ、やりたいことは山積という状況になった現在の私は、時にふと自分が透明人間だったこの10分間のことを思い出す。サークルの彼らは今どうしているだろうかと思うと同時に、私はこれから何をするのかとも思う。私のしたいことは私がするのである。日々を漫然と過ごすうちに私はいつか自分にはもうすることが残っていないと思い込む。それは誤りである。
亡霊のような有様でもまだ生きているのだから、実在性を失いかけるくらい物事にのめり込むのも良かろうと思う。
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