tinc さんの日記
2021
10月
10
(日)
15:41
本文
先日前職場の上司から連絡があった。特に用事は無いとのことで、暫く互いに近況を報告したり雑談をしたりした。
その中である先輩の話になった。彼は若くして誠実で見識豊かで、当時の私にも有益な指導や助言を多く下さった人である。上司は彼の最近の様子などを話す中で突然に「Oくん(先輩)は仕事もできるしいい奴だけど、あんまりいい男ではないよね。自分がもし女だったら付き合いたいと思うような相手ではない」と述べた。
「ちょっと待って下さい」と私は言った。「何なんですかその観点」
「何が?」
「いやいや。普通『自分が異性だったら付き合いたいと思うかどうか』とか人に対して思いますか?」
「思うよ。全然思う。スーパー行ってレジ何個か空いてたら自分がいいと思う人のとこ並ぶでしょ?」
「『いいと思う』ってその『付き合いたいと思うかどうか』ですか?ないない」
「あるよ。綺麗な女の人のとこか、男だったら自分が女だったら付き合いたいと思うような人のとこに並ぶよ」
「ぜってー嘘だわ」
上記の応酬の間は私は元上司が相変わらず冗談を言っていると思っていたのだが、応酬が終了してからはもしかしてそういうこともあるものだろうかと思い直した。私自身は買い物に行った時などに店舗の人の接遇の品質にあまり関心を持たず、どちらかと云えば少し粗末に扱われるくらいのほうを居心地良く感じるのであるが、私でない大体の人は何となくにこやかだったり丁寧だったりと感じの良い人のほうを好むであろう。
しかしそれにしてもレジの人の容姿にまで注意が向くだろうか。ましてや「仮に自分が異性だったとしたら目の前にいるこの人と恋愛関係を設けたいと思うか否か」などという複雑な想像にまで精神が及ぶものだろうか。何のためにその想像をするのだろう。その感覚はどこから来るのだろう。
多くの人が異性との交流を求め、その多くの人の大部分は自分の交流する異性よりも「その異性と交流している自分を他の同性がどう見るか」を強く意識するのである、という話をかつて聞いた時のことも私は思い出している。容姿、腕力、経済力や社会的地位に優れた人が異性から人気を博すことは多い。そのことにはそのような異性と交際する人が他の同性に対して優位に立つ根拠となるという一面がある。
求められているものが実際には求められていない、目的と見えるものが手段である、ということは世に少なくない。異性と交際しつつその異性と交際する自分に対する同性からの評価を気にかけるということは私にとっては充分複雑で共感の困難な領域にあるものである。しかし過去にこの話を他の人にした時には「そういう感覚は自分にもある」という返答を複数人から受けた。
私は性一般に暗い。群や環といった概念を使いこなせれば詳しくなることができるのかもしれないと思ったこともあったが、私にはそれらを使いこなせないし群や環等に詳しくても性に関して知らないことの多い人もいるだろうから簡単に応用できるものではなさそうだ。私の理解の範囲は狭く共感の範囲は更に狭い。だから私が誰かの意見に共感するか否かは私にとってあまり重要でない。
その中である先輩の話になった。彼は若くして誠実で見識豊かで、当時の私にも有益な指導や助言を多く下さった人である。上司は彼の最近の様子などを話す中で突然に「Oくん(先輩)は仕事もできるしいい奴だけど、あんまりいい男ではないよね。自分がもし女だったら付き合いたいと思うような相手ではない」と述べた。
「ちょっと待って下さい」と私は言った。「何なんですかその観点」
「何が?」
「いやいや。普通『自分が異性だったら付き合いたいと思うかどうか』とか人に対して思いますか?」
「思うよ。全然思う。スーパー行ってレジ何個か空いてたら自分がいいと思う人のとこ並ぶでしょ?」
「『いいと思う』ってその『付き合いたいと思うかどうか』ですか?ないない」
「あるよ。綺麗な女の人のとこか、男だったら自分が女だったら付き合いたいと思うような人のとこに並ぶよ」
「ぜってー嘘だわ」
上記の応酬の間は私は元上司が相変わらず冗談を言っていると思っていたのだが、応酬が終了してからはもしかしてそういうこともあるものだろうかと思い直した。私自身は買い物に行った時などに店舗の人の接遇の品質にあまり関心を持たず、どちらかと云えば少し粗末に扱われるくらいのほうを居心地良く感じるのであるが、私でない大体の人は何となくにこやかだったり丁寧だったりと感じの良い人のほうを好むであろう。
しかしそれにしてもレジの人の容姿にまで注意が向くだろうか。ましてや「仮に自分が異性だったとしたら目の前にいるこの人と恋愛関係を設けたいと思うか否か」などという複雑な想像にまで精神が及ぶものだろうか。何のためにその想像をするのだろう。その感覚はどこから来るのだろう。
多くの人が異性との交流を求め、その多くの人の大部分は自分の交流する異性よりも「その異性と交流している自分を他の同性がどう見るか」を強く意識するのである、という話をかつて聞いた時のことも私は思い出している。容姿、腕力、経済力や社会的地位に優れた人が異性から人気を博すことは多い。そのことにはそのような異性と交際する人が他の同性に対して優位に立つ根拠となるという一面がある。
求められているものが実際には求められていない、目的と見えるものが手段である、ということは世に少なくない。異性と交際しつつその異性と交際する自分に対する同性からの評価を気にかけるということは私にとっては充分複雑で共感の困難な領域にあるものである。しかし過去にこの話を他の人にした時には「そういう感覚は自分にもある」という返答を複数人から受けた。
私は性一般に暗い。群や環といった概念を使いこなせれば詳しくなることができるのかもしれないと思ったこともあったが、私にはそれらを使いこなせないし群や環等に詳しくても性に関して知らないことの多い人もいるだろうから簡単に応用できるものではなさそうだ。私の理解の範囲は狭く共感の範囲は更に狭い。だから私が誰かの意見に共感するか否かは私にとってあまり重要でない。
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