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tinc さんの日記
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tinc さんの日記

 
2021
4月 22
(木)
00:29
本文
ある知人がきわめて重いてんかんの持病を有している。次に発作が起こった時にはそれは死を意味すると主治医から告知を受けているという。

彼は私の見る限りいつも飄々とした様子であり、よく笑いよく冗談を言う。彼は綺麗だと思う風景を見ると写真に撮ってSNSで共有する。「おれが死んでも写真は残る」と彼は言う。「だからおれは死なない。いつか誰かがこの写真を見て、『この風景を見て何かを思った誰かがいる』ことを知ることになる。おれの見た景色とおれが感じたことはおれの知らない人々へ行き渡って広がってゆく」と。

私も時に死について考える。私は死を恐れているし、恐れるべきものではないとも思う。しかしそれらはいずれも死とそれに対する恐怖について述べるものであり、私は彼のように死そのものが無いかのように云うことは無い。人はみないずれ死ぬということが私の真実の一つである。
ところが彼と話すと私は自分の真実を疑うことがある。私の真実など曖昧で頼りないもので、たとえば個人の死と集団の死を単純に比較できるかという問いにも私は答えられない。家族、民族、国民、人類。人の単位とは測れるのか。物質と生命を分かつものは何なのか。彼があまりに率直で透明な印象で話すので、物事に迷い惑うのが常の私は我が身を振り返って心細くなるのかもしれない。あるいは私もいつ死んでも不思議は無いとはいえ私の持病が直接死に結びつくことの少ないものであるということで、私は自分に彼と同じ目線に立つことを許さないのであろうか。

最近私は別の知人の訃報を受けた。私はその人を畏怖し敬遠していたがその思想の一端から幾ばくかの影響を受けた。私は冒頭の彼の言葉を思い出し、死んだその人が死んでいないかのようにも思って混乱している。

私は自分がいい大人になったので若年の頃に知らなかったことをたくさん知っていると思うことがある。私に限って云えばそれは誤りである。昔分からなかったことは今や全て尚更分からなくなっている。

有名な偉人の言葉に「少年よ大志を抱け、この老人の如く」というものがあると聞く。学ぶことは終わらない。死に関係して私の抱く恐怖には、自分が何も知らないまま死ぬであろうことへの恐怖もある。そして本当はそれすらも恐るるに価せず、私がのたうち回るのはただ無知からのたうち回るのかもしれない。
閲覧(961)
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投稿者 スレッド
tinc
投稿日時: 2021/4/23 3:46  更新日時: 2021/4/23 3:46
プラチナ
登録日: 2019/8/24
居住地: 東京都
: 男性
投稿数: 1735
 RE: 不死
starfishさま

こんばんは。
大きなご病気から私などが知り得ぬほど死に接近されたにも関わらず、死への恐怖を抱かれることの無かった勇敢には敬意を表する外ありません。病苦に対しては恐怖をお持ちとのことですが、それは殆ど万人どころか全生命に共通することのように私は思います。

また苦痛の極致から脱された後には生きる動機を改めて得られたとのことは私にとって大きな喜びです。
ご自身としては単純、直情的と仰るところですが私としてはそれこそ高い意識と感じられます。ひとはやはり生を目指すべきものという信念も私にはあるからです。
tinc
投稿日時: 2021/4/23 3:46  更新日時: 2021/4/23 3:46
プラチナ
登録日: 2019/8/24
居住地: 東京都
: 男性
投稿数: 1735
 RE: 不死
さくら日さま

こんばんは。
私も知を求めつつ、一方で知を何か絶対的なものとし他をそれに従属させるかのような主張に違和感を持つことがしばしばです。私は己を突き動かす、物事に対する一種の好奇心からそのような立場に陥りがちであり自戒せねばと思います。

何を大志と呼ぶべきなのか、また大志でない志は大志に劣るべきものなのかも私は知りません。しかし後者についてはおそらくそうでないと考えています。人生を動かす大きな志は日々の生活を変えるでしょう。社会を変革するような大きな志は社会の片隅に生きる人の幸福に寄与すべきです。

ご指摘頂いている通り、のたうち回ることは大志にも幸福にも知恵を得ることにも関係のない事項です。私はいつの間にか極端な思考や感情の間を行き来してのたうち回ることが癖のようになり、死を意識すると実際の死に没入しようとするかのようです。
中庸を意識したいところです。
starfish
投稿日時: 2021/4/22 16:16  更新日時: 2021/4/22 16:16
プラチナ
登録日: 2019/9/10
居住地: 東京
: 女性
投稿数: 4004
 RE: 不死
tincさん、こんにちは

死を恐れられているのですね。

私は昨年、わりと致死率の高い病気をして、あとから「あと1日遅ければ」的な話を聞かされ、自身も余りの苦しさにちらっと死を意識する瞬間もあり。

不思議と恐怖は微塵もなく、最悪のことは「この状況で生かされ続けること」と感じ、日頃「死より病苦が怖い」と思っていたことを再確認した次第です。

少し苦痛がましになるとテレビで景勝地を観ては
「これを見るために生き続けなければ」と思うようになりました。
そんな単純、直情的な私には「何も知らないまま死ぬであろうことへの恐怖」は眩しいほどに高い意識に思えます。
さくら日
投稿日時: 2021/4/22 1:21  更新日時: 2021/4/22 1:21
プラチナ
登録日: 2020/12/11
居住地:
: 女性
投稿数: 3035
 RE: 不死
tincさん、こんばんは。

無知の知。自分がどんなに学ぼうと、それは無知からほんの少し賢くなったくらいでしかなく、所詮、人間なんて人間の小ささをしっかり生きるくらいでしか、ないのだと私は思います。

しぬことから人は避けられないし、生まれ落ちた瞬間からその運命に向けて人は歩き始めています。
どう生まれるかは誰も選べないけど
どう死ぬかは多少は選べると思う。

だからといって死しか見つめない生は無知から一歩も出ないものであるのかもしれませんが、一生、知に取り憑かれ頑張っても五十歩百歩で終わるかも知れず、知恵者と呼ばれようが、賢者と崇められようが、所詮、幼子とは大して違わないのではと私は疑っています。

好奇心を満たすために人は動き、腹を満たすために食す。そう考えると悲しい運命のようにも思うけれど…でも。

大志とは呼べないけれど小さな夢を叶えるために今の私は生きています。そのための知を求めてもいます。

諦めないこと。生きるに足るのはそれだけかなと感じています。
でも、のたうち回りたくはないと。
できれは。
市井の片隅で幸福感を求めつつ、小さな自分を精一杯生きたいと思います。

tincさんも苦しまないで知を手に入れる方法はないのでしょうか。死を意識するなとは言わないけれど、意識しすぎない生であっても良いかなと少しだけ思う次第です。

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