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tinc さんの日記
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tinc さんの日記

 
2020
8月 3
(月)
09:51
灰色の男
本文
初の夜勤を終えた。夜勤は基本的に1人で対応するが、研修期間中なので先輩と2人である。利用者の方々の中には私という今まで無かった要素の入った直後のためかスタッフルームに近づく動きが普段より多い方も見られたものの、対応はいずれも平穏に推移し不安等ネガティヴ方向の訴えも出ず、就寝も目安通りとなった。

「ばっちりですね」と先輩が声を掛けてくれた。
この先輩は現在28歳、福祉系大学を卒業後すぐに現在の団体に入職し勤続7年目であるという。国家資格も保有しており業務範囲も広い。団体にあっては高卒でなおかつ無資格者、しかも運転免許無しという私のパターンは初めてだそうで、私は肩身を狭くしていようと当初は思ったがすぐに止めた。もし高卒無資格無免許を云々するなら最初から採らなければ良いのだからそうなったら団体の責任もある話である。

先輩はそれらを云々することも無くそのような態度も見せず、むしろ私の業務の様子を褒め労をねぎらって下さった。私が是正すべき点を尋ねても「全然いいと思いますよ」との返答であり、他人を指導するのにあまり叱責や積極的な説諭を用いないタイプの人なのかもしれない。そうなるとこちらから相談を持ちかける等の働きかけによって考えや信条を探る必要があり、現に私は頭の中を掘り返して相談事項を探し出し、先輩へいくつかの質問をした。回答はいずれも的確に感じられたものの言葉や表現の選択は解釈の余地の広く残る方向へ振れがちで、先輩自身の顕著な特色のようなものは私に見えなかった。

私は先輩のことを頭の中で「灰色の男」と名付けた。
福祉系の求人サイトにはよく20代の短髪の男性が白い制服を着て爽やかな笑顔で誰かの乗った車椅子を押している画像が用いられる。そのモデルのイメージそのままのような出で立ち(制服は無いが先輩は白いポロシャツを着ていた)、過不足無い量の会話と模範的な受け答え。安定した有能さ、順調なキャリアと健全な私生活。福祉業界にスパイがいるとしたら彼のような人だろうと思った。

言うまでもなく業界に関する私の見識は甚だ乏しく、また世間や人間一般についても同様であるので、私が先輩を掴み所が無いと評したところで意義の無い話である。意図に基いて掴み所が無いと思わされているだけということもあるから、最初の認識からして違うのかもしれない。また私は今まで先輩のような「求人サイトのモデルみたいな人」と会ったことが無いので私への印象はむしろ強烈である。

私が不思議に感じたのは、例えば「典型的な会社員」のような人はそのこと自体で私にあまり印象を残さないであろうと思うのに、「典型的な福祉職員」に見える先輩が稀有な例として認識されるということである。福祉業界の中でも障害福祉分野は営利目的での参入もその事業継続も基本的に簡単でなく、社会福祉法人や特定非営利活動法人に対する株式会社の比率が高齢福祉分野のそれと比較して著しく小さい。主たる生計の手段として旨味を感じにくいということであると思う。私が過去に出会った障害福祉分野の従事者は、それぞれ高潔な信念と稠密な理論を持った社会活動家のような人物と、あるいは温情主義的で人権意識の欠片も持ち合わせないような凡俗とのいずれかに私の頭の中で分類されている。つまり障害福祉従事者であるという時点で「変わった人」のような認識を私が持っているということで、私にとっての「変わった人」でない先輩が珍しく見えてしまうのだろう。

全ては私の印象であって人や事物の実体と関係が無い。そして人を分類することは多くは無意味である。典型的な人など実在しない。私は自分を戒めねばならないと思った。

朝の業務が終わる頃、上長が出勤してきてスタッフルームで先輩と業務の引き継ぎを行っていた。その後先輩は関連施設へ向かった。関連施設での補助業務を行ってから退勤だそうだ。

残りの業務も無事に終わり、私が退勤の準備をしているところに上長が話しかけ、先輩に対する私の印象を尋ねた。
私は少し迷ったが、忌憚無い意見交換を宗とする上長であるので正直に「よくご指導下さってありがたい」と前置きし、「個人的には今まで会ったことの無いタイプだと感じており、接し方に迷うところもあるが少なくとも信頼に値する」という趣旨の感想を述べた。すると上長は突然腹を抱えて笑い出した。

不審がる私に、上長は苦しそうに「K君(先輩)もN君(私)のことそう言ってた。お互い全くおんなじこと言ってる……」と告げた。
これには驚いた。

退勤後の電車の中でこのブログを書く今も、少しの可笑しさとたくさんの不思議さに私は戸惑っている。白い服を着た男と黒い服を着た男が、互いに相手を灰色だと思っていた一夜だったのだろうか。
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