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今日の昼前に、ある知人が突然私の住まいを訪れた。玄関で靴を脱ぐよりも先にマスクを取り、特に用事があって来たわけではないと言った。私がコーヒーを2杯淹れる間、彼女は長椅子に腰掛けて自分の脚を揉んでいた。彼女の住まいと私のところは同じ東京都だが電車で2時間程度かかるくらい離れている。そして彼女の家は最寄りの駅から遠いのだそうだ。

テーブルを挟んで近況を話し合った。彼女はもともと在宅での仕事をしている人であり、ウイルス流行の影響は他の人に比べれば小さいと思うと言っていた。その他雑多な話があったが、彼女は「あんたと話してると眠くなる」と言うとそのまま長椅子で眠ってしまった。私はタオルケットと毛布を彼女に掛け、テーブルに水のボトルとグラスだけ置いて隣室へ行き、ブーツの手入れをして午後を過ごした。
20時過ぎに彼女は起きて、「じゃあまた」と言って去っていった。ボトルの水は7割くらい減っていたので、途中で何度か起きたのだと思うが私は気づかなかった。

この人とは10年くらいの付き合いになる。その当初からこういうことが続いていて、彼女が連絡をせずにやって来ては特に何をするでもなく寝て過ごして帰ってゆく。付き合いが長い割には私は彼女についてあまり知らない。何か聞いたほうが良いのかと考えたことも過去にはあったが、そういうわけでもなかろうという結論に至って以来は何か聞こうとも思わなくなった。
彼女が女性で私が男性であるので、私の周りの恋愛の話が好きな人は特にわれわれの関係にそういう意味づけをする傾向にある。それは事実ではないが、事実よりはもっともらしいことが受け入れられるのが世の常である。実際にはわれわれの間に何らかの意味での関係と呼ぶべきものがあるのかすらもあやしい。何しろ別の部屋で過ごしていて、片方はずっと寝ているのである。

しかしこの奇妙に希薄な付き合いの中で、私は多くのものを彼女から受け取っているようにも感じている。私は彼女と性行為に及ばなくてよいし、彼女をもてなさなくてよいし、彼女に対して自分が価値ある存在であることを主張しなくてよい。私が彼女のおかげでそのように安らいだ心持ちになれることを、おそらく彼女は知らないだろう。私も彼女の心中を知らない。知らないなりに人の心中は気になってしまう性分なのだが、知らないままでよいと思うのも相手が彼女だからかもしれない。不思議な人も世の中にいるものである。