悠∿ さんの日記
2026
3月
13
(金)
21:20
本文
私たちは、何かを見るたびに反応を求められています。
賛成か反対か。
拍手か非難か。
沈黙は怠慢、無関心は共犯
そんな空気すら漂っています。
しかし本当に、すべてに態度を示す必要があるのでしょうか。
私は、スルーを消極的な逃避だとは考えていません。
むしろそれは、関与の濫発を拒む選択です。
反応するという行為は、相手に時間と注意を与えることでもある。
そこには、少なくとも一定の敬意が含まれます。
怒りが生まれるのは、相手を認めているからです。
対話が成立しうると、どこかで期待しているからこそ、苛立ちが生じる。
期待のない対象に、人は本気で怒り続けることはできません。
いまの情報環境では、強い感情ほど可視化されます。
アルゴリズムは確信を増幅し、逡巡を埋没させる。
「考え中」は拡散されない。
「まだ判断しない」は、態度なしとみなされる。
その結果、世界は過度に単純化されます。
二項対立の構図に回収され、
複雑さや文脈は切り落とされる。
私は、すべての言説に参加するつもりはありません。
何とも思わなかったものには、何も返さない。
それは冷淡さではなく、関与の基準を自分で持つということです。
沈黙は、思考停止ではない。
むしろ、安易な同調や反射的な憤りに加担しないための防波堤です。
発言が尊ばれる時代だからこそ、
発言しない選択にも責任がある。
スルーとは、世界を無視することではなく、
世界との距離を自分で決める行為だと、私は考えています。
賛成か反対か。
拍手か非難か。
沈黙は怠慢、無関心は共犯
そんな空気すら漂っています。
しかし本当に、すべてに態度を示す必要があるのでしょうか。
私は、スルーを消極的な逃避だとは考えていません。
むしろそれは、関与の濫発を拒む選択です。
反応するという行為は、相手に時間と注意を与えることでもある。
そこには、少なくとも一定の敬意が含まれます。
怒りが生まれるのは、相手を認めているからです。
対話が成立しうると、どこかで期待しているからこそ、苛立ちが生じる。
期待のない対象に、人は本気で怒り続けることはできません。
いまの情報環境では、強い感情ほど可視化されます。
アルゴリズムは確信を増幅し、逡巡を埋没させる。
「考え中」は拡散されない。
「まだ判断しない」は、態度なしとみなされる。
その結果、世界は過度に単純化されます。
二項対立の構図に回収され、
複雑さや文脈は切り落とされる。
私は、すべての言説に参加するつもりはありません。
何とも思わなかったものには、何も返さない。
それは冷淡さではなく、関与の基準を自分で持つということです。
沈黙は、思考停止ではない。
むしろ、安易な同調や反射的な憤りに加担しないための防波堤です。
発言が尊ばれる時代だからこそ、
発言しない選択にも責任がある。
スルーとは、世界を無視することではなく、
世界との距離を自分で決める行為だと、私は考えています。
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