山田 さんの日記
2025
12月
16
(火)
05:37
本文
名もなき正しさが、人の心を踏み外すとき
あるコメントを読んで、
私は静かな違和感を覚えました。
声は大きく、理屈は整っている。
けれど、肝心の場所――
人の痛みから、言葉が離れていった瞬間があったのです。
① 論点のすり替えが完成した瞬間
話の出発点は、きわめて単純でした。
結果として、人が傷つき、退会に至った
ところが、その事実は途中で姿を消します。
代わりに持ち出されたのは、
• 表現の自由
• 運営の規約
• フィルタリング機能
• 自己防衛の方法
いずれも重要なテーマではあります。
しかしそれらは、人が傷ついた事実への応答ではありません。
人の痛みから、
制度と技術の話へ――
ここで論点は、静かに移動しました。
②「自己防衛しろ」という言葉の残酷さ
ガラスの心を持っている人では必携!
この一文が示した立ち位置は、明確です。
• 傷ついた人の存在を認めない
• 配慮の必要性を否定する
• 弱さを、対策不足として切り捨てる
しかもそれを、
合理性や社会性という仮面で包んでいる。
悪意がないからこそ、
この言葉はより深く、静かに刺さります。
③ 最後の一文が示した無自覚
自分が他人の心を傷つけている事にも気が付いて欲しい
本来、この言葉は
自分自身に向けて置かれるべき一行です。
しかし、それは相手に投げ返されました。
ここで構図は、完全に反転します。
自省ではなく、説教へ。
理解ではなく、正当化へ。
読者には、どう映るか
冷静な読者の目に映るのは、次の姿です。
• 弁解が長い
• 具体的な「自分の行為」には触れない
• 技術論で責任を回避している
• そして最後に、説教が残る
その結論は、きわめて静か。
「ああ、分かっていない」
もはや、説明の余地はありません。
傍観の記録より
表現の自由を盾にした瞬間、
人の心の話から降りたことになる。
言葉は、
正しさを証明するためにあるのではなく、
人と人の間に、温度を残すためにある。
それを忘れたとき、
どれほど整った理屈も、
ただの独白になってしまうのです。
あるコメントを読んで、
私は静かな違和感を覚えました。
声は大きく、理屈は整っている。
けれど、肝心の場所――
人の痛みから、言葉が離れていった瞬間があったのです。
① 論点のすり替えが完成した瞬間
話の出発点は、きわめて単純でした。
結果として、人が傷つき、退会に至った
ところが、その事実は途中で姿を消します。
代わりに持ち出されたのは、
• 表現の自由
• 運営の規約
• フィルタリング機能
• 自己防衛の方法
いずれも重要なテーマではあります。
しかしそれらは、人が傷ついた事実への応答ではありません。
人の痛みから、
制度と技術の話へ――
ここで論点は、静かに移動しました。
②「自己防衛しろ」という言葉の残酷さ
ガラスの心を持っている人では必携!
この一文が示した立ち位置は、明確です。
• 傷ついた人の存在を認めない
• 配慮の必要性を否定する
• 弱さを、対策不足として切り捨てる
しかもそれを、
合理性や社会性という仮面で包んでいる。
悪意がないからこそ、
この言葉はより深く、静かに刺さります。
③ 最後の一文が示した無自覚
自分が他人の心を傷つけている事にも気が付いて欲しい
本来、この言葉は
自分自身に向けて置かれるべき一行です。
しかし、それは相手に投げ返されました。
ここで構図は、完全に反転します。
自省ではなく、説教へ。
理解ではなく、正当化へ。
読者には、どう映るか
冷静な読者の目に映るのは、次の姿です。
• 弁解が長い
• 具体的な「自分の行為」には触れない
• 技術論で責任を回避している
• そして最後に、説教が残る
その結論は、きわめて静か。
「ああ、分かっていない」
もはや、説明の余地はありません。
傍観の記録より
表現の自由を盾にした瞬間、
人の心の話から降りたことになる。
言葉は、
正しさを証明するためにあるのではなく、
人と人の間に、温度を残すためにある。
それを忘れたとき、
どれほど整った理屈も、
ただの独白になってしまうのです。
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