明千代 さんの日記
2025
12月
10
(水)
20:43
本文
〜沈黙という共犯〜
⸻
ときどき、目を疑うような言動をする人がいても、まわりの人たちは誰も何も言わない。
その場にいる人たちはみな「おかしい」と思っているはずなのに、視線をそらし、会話を続け、笑顔を保つ――。そんな場面に出くわすと、胸の奥がすうっと冷えていくような感覚になります。
誰かが異常であるとき、まわりが黙っていることは、無言の容認にほかなりません。
それは「やさしさ」ではなく、「波風を立てないことが正しい」と刷り込まれた結果。
けれど、その沈黙は、いずれもっと大きなひずみとなって、静かに場を壊していくのです。
そんな想いを、ひとつの句にしました。
沈黙は うなずきよりも 深く罪
一緒にいたからこそ、見えていたはずの“違和感”。
それを「関係ない」と思って目を伏せた瞬間、人は知らぬ間に“加担者”になってしまいます。
本当に優しい人は、ただ傍観しません。
静かに声をかけること、立ち止まること、あるいは席を立つこと――。
何かを選ぶ勇気が、時に誰かを救うのだと思います。
沈黙はとても便利で、楽な態度です。
でもそれは、心のどこかに澱のように残ります。
「止めなかった」という記憶は、きっとその人自身の中に、ずっと残り続けるから。
当事者だけでなく、まわりもまた試されている。
そういう場面が、日常の中にはあるのです。
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ときどき、目を疑うような言動をする人がいても、まわりの人たちは誰も何も言わない。
その場にいる人たちはみな「おかしい」と思っているはずなのに、視線をそらし、会話を続け、笑顔を保つ――。そんな場面に出くわすと、胸の奥がすうっと冷えていくような感覚になります。
誰かが異常であるとき、まわりが黙っていることは、無言の容認にほかなりません。
それは「やさしさ」ではなく、「波風を立てないことが正しい」と刷り込まれた結果。
けれど、その沈黙は、いずれもっと大きなひずみとなって、静かに場を壊していくのです。
そんな想いを、ひとつの句にしました。
沈黙は うなずきよりも 深く罪
一緒にいたからこそ、見えていたはずの“違和感”。
それを「関係ない」と思って目を伏せた瞬間、人は知らぬ間に“加担者”になってしまいます。
本当に優しい人は、ただ傍観しません。
静かに声をかけること、立ち止まること、あるいは席を立つこと――。
何かを選ぶ勇気が、時に誰かを救うのだと思います。
沈黙はとても便利で、楽な態度です。
でもそれは、心のどこかに澱のように残ります。
「止めなかった」という記憶は、きっとその人自身の中に、ずっと残り続けるから。
当事者だけでなく、まわりもまた試されている。
そういう場面が、日常の中にはあるのです。
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