ひろひろ48 さんの日記
2023
8月
17
(木)
19:39
本文
明治維新以降、六甲山地を背に深い海に面し良好な港になり発展した大きな都市神戸のとなりの明石は、そこそこの人口の城下町で、明石海峡の良好な漁場の漁港もある地方都市。いまでは、前の市長の子育てしやすい街ということでも有名になっている。魚も新鮮で、明石の鯛やタコは高級料亭でも使われる。地元では卵焼きとよばれているが、全国的には明石焼きでも有名である。
その明石の古い城下町のエリアは、平安時代から交通の要所で徳川時代も徳川に近いお殿様が城主で、宮本武蔵が設計したらしい町並みになっていた。町名も城下町らしく、鍛冶屋町とか大蔵町とか、源平合戦の史跡もあり、忠則町とか人丸町とかの名前が残っていた。
大蔵町は、平民のエリアで、日本がまだまだ貧しかった時代、落語にでてきそうな長屋も多かった。そのころのお金持ちはすこし山手側に居を構えていた。一般庶民のぼくは、大蔵町で育ち、近所には、いまでいう障害者、そのころは「知恵遅れ」と呼ばれていたが、普通に同じ小学校の特殊学級で別の勉強をしていたが、家に戻るとみんな同じような子ども同士の遊びをしていた。生まれつきの人もいただろうけど、日本脳炎の予防接種がまだ十分でなかったのか、脳性麻痺のひとも普通に生活していた。
人間が天然にはない化学物質を使いだしたのは19から20世紀こころからか??プラスチックも便利なものとしてそこいらじゅうにあふれ出した。昔はスーパーでなく市場の魚屋や八百屋で買うと、つるしてある新聞紙を半分に切ったもので包んでいた。化学肥料が農作物の収穫を増やしたが、人類にとって良かったのか?どうか?社会の複雑化もあるけど、自然を壊し、自然から離れていったので、いま起きているいろんな「病気」もあるのかもしれない。
「学習障害」「発達障害」はありふれたものになってきているみたいだ。数日前の新聞のコラム「あけくれ」から:
小さな手:柳田かずえ(70歳)主婦
特定の事項には驚くほどの才能がある半面、日常生活では集中力が続かず、集団行動も苦手。私には発達障害のある孫がいます。
食べ物もご飯、うどん、ジャガイモ、牛乳、カルピスといった白い食品に強いこだわりがあります。幼いながらハードな人生です。
階段とエスカレーターを怖がり、上り口で固まってしまいます。離れたエレベーターまで遠回りしまう。そのエレベーターを彼は何よりも好きで、満面の笑みでボタンを押します。彼の家は一軒家なので、エレベーターのある私のマンションに来るのをとても楽しみにしています。
家族で訪れて、皆でお食事をするのもそこそこに、彼と私はエレベーターに乗りに行きます。
一番上の階まで行って降りてきてを何度も繰り返します。彼の満足そうな笑顔を見ながら、私は彼のぽっちゃりした小さな手をにぎります。
どうかしあわせになってね、と心の中で祈りながら、しっかりにぎります。
<引用以上>
日本は、いまは、一流国ではないけど、それなりに生活はできます。いろんな差別もあって、人のことを考えられない人も増えてきて、生きるのがしんどい社会になりつつあります。自分のことで精いっぱい?余裕がなくなってきているように感じます。じつは、発達障害かもって孫が一人います。まわりをみると、そんな子供たちがけっこういます。いろんな人がいて、ふつうにしあわせに生きらえる社会になってほしい。ナチスは民族の純潔、浄化ということで、「劣等な」遺伝子のひと、障害者を抹殺しようとしました。戦争は、いちばん弱いひとに一番ひどい目に遭わせようとします。平和で、人のことを思い合える社会でないと、みんな生きるのがしんどくなります。
その明石の古い城下町のエリアは、平安時代から交通の要所で徳川時代も徳川に近いお殿様が城主で、宮本武蔵が設計したらしい町並みになっていた。町名も城下町らしく、鍛冶屋町とか大蔵町とか、源平合戦の史跡もあり、忠則町とか人丸町とかの名前が残っていた。
大蔵町は、平民のエリアで、日本がまだまだ貧しかった時代、落語にでてきそうな長屋も多かった。そのころのお金持ちはすこし山手側に居を構えていた。一般庶民のぼくは、大蔵町で育ち、近所には、いまでいう障害者、そのころは「知恵遅れ」と呼ばれていたが、普通に同じ小学校の特殊学級で別の勉強をしていたが、家に戻るとみんな同じような子ども同士の遊びをしていた。生まれつきの人もいただろうけど、日本脳炎の予防接種がまだ十分でなかったのか、脳性麻痺のひとも普通に生活していた。
人間が天然にはない化学物質を使いだしたのは19から20世紀こころからか??プラスチックも便利なものとしてそこいらじゅうにあふれ出した。昔はスーパーでなく市場の魚屋や八百屋で買うと、つるしてある新聞紙を半分に切ったもので包んでいた。化学肥料が農作物の収穫を増やしたが、人類にとって良かったのか?どうか?社会の複雑化もあるけど、自然を壊し、自然から離れていったので、いま起きているいろんな「病気」もあるのかもしれない。
「学習障害」「発達障害」はありふれたものになってきているみたいだ。数日前の新聞のコラム「あけくれ」から:
小さな手:柳田かずえ(70歳)主婦
特定の事項には驚くほどの才能がある半面、日常生活では集中力が続かず、集団行動も苦手。私には発達障害のある孫がいます。
食べ物もご飯、うどん、ジャガイモ、牛乳、カルピスといった白い食品に強いこだわりがあります。幼いながらハードな人生です。
階段とエスカレーターを怖がり、上り口で固まってしまいます。離れたエレベーターまで遠回りしまう。そのエレベーターを彼は何よりも好きで、満面の笑みでボタンを押します。彼の家は一軒家なので、エレベーターのある私のマンションに来るのをとても楽しみにしています。
家族で訪れて、皆でお食事をするのもそこそこに、彼と私はエレベーターに乗りに行きます。
一番上の階まで行って降りてきてを何度も繰り返します。彼の満足そうな笑顔を見ながら、私は彼のぽっちゃりした小さな手をにぎります。
どうかしあわせになってね、と心の中で祈りながら、しっかりにぎります。
<引用以上>
日本は、いまは、一流国ではないけど、それなりに生活はできます。いろんな差別もあって、人のことを考えられない人も増えてきて、生きるのがしんどい社会になりつつあります。自分のことで精いっぱい?余裕がなくなってきているように感じます。じつは、発達障害かもって孫が一人います。まわりをみると、そんな子供たちがけっこういます。いろんな人がいて、ふつうにしあわせに生きらえる社会になってほしい。ナチスは民族の純潔、浄化ということで、「劣等な」遺伝子のひと、障害者を抹殺しようとしました。戦争は、いちばん弱いひとに一番ひどい目に遭わせようとします。平和で、人のことを思い合える社会でないと、みんな生きるのがしんどくなります。
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