freescaleII さんの日記
2023
2月
15
(水)
10:03
本文
「神は死んだ」はフリードリッヒ・ニーチェ。
「音楽はあの日で死んだ」はドン・マクリーン。
3人のミュージシャンが飛行機事故で無くなった日です。
あのころ、この歌が車のラジオから流れて来るとむさぼるように聴きました。
何度も何度も....8分30秒、長い曲ですよ~♪
やがてテルアビブのキブツ集団で働き始め、そこには欧米の若者達が集まり毎日汗を流していました。
そこで仲良くなったアメリカ人がギターの上手な奴で、私がアメリカン・パイを大好きだと言うと早速ギターを持って来て弾いてくれました。
そしてこの歌の事を説明してくれました。
底抜けに楽しい奴でした。
ある日他の仲間たちと海岸へ泳ぎに行きまして。
海で泳ぎながら彼はふざけて水着を脱ぎ皆に見せましたが、直後に波をかぶり...なんとその水着が何処かへ行ってしまったのです。
皆で手分けして探しましたが、遂に見つかりませんでした。
困ったのは、丁度その時凄い美人が海岸にやって来てビーチ・パラソルを差し、読書を始めたのです。
皆の衣類はそのそばに置いて有り、まさかパンツ無しで前を通るわけにもいかず、皆でバスタオルを使って彼の腰を隠しようやく岸に上がり服を着ることが出来ました。
バラックのような小屋に住み、私のルーム・メイトはスウエーデン人で、後に丁度私がビザ待ちで日本にいる時に訪ねて来ました。
今も彼と行った日光の写真を持っています。
後日スウエーデンへ彼を訪ねようと手紙を書いたらお姉さんから返事が有りました。
彼は亡くなったと書いて有りました。
自殺です。
キブツ集団の暮らしは楽しかったです。
時々キャンプファイアーを焚いて誰れかがギターを弾き色々話をしました。
酔ったスイス人の女の子からキスを迫られ、ところがその頃はドイツ人のガールフレンドと一緒だったので危険なキスから逃れました。(;^_^A アセアセ・・・でした。
そんな毎日、思いっ切り青春をやってました。
あの日が来るまででした...あの日とは戦争が始まった日です。
それ以降は夜のキャンプファイヤーは禁じられ部屋の窓は光の漏れないように板でふさがれ、道を行く車のヘッドライトは青く塗りつぶされました。
それでも高射砲が空を睨んでいる横でジャガイモ掘りをしたり、オレンジ畑で実を摘んだり、真夜中に農場に行ってうろつく鶏を捕獲したりの日々でした。
アメリカン・パイの歌詞と和訳
A long, long time ago
ずっとずっと昔のこと
I can still remember how that music used to make me smile
まだ音楽を聴いて幸せになれた頃のことを思い出す
And I knew if I had my chance that I could make those people dance
もし僕に彼らを踊る気にさせる音楽を奏でることができたなら
And maybe they'd be happy for a while
彼らも少しの間は楽しい気分になっただろう
But February made me shiver
だけど二月の寒さに僕は打ち震え
With every paper I'd deliver
新聞を配達するたびに
Bad news on the doorstep
玄関先に訃報を置いた
I couldn't take one more step
これ以上 踏み出せなくなってしまった
I can't remember if I cried when I read about his widowed bride
未亡人となってしまった花嫁の記事を読んだ時に 泣いたかどうかなんて覚えていない
But something touched me deep inside
だけど何かが心の奥深くに触れたんだ
「音楽はあの日で死んだ」はドン・マクリーン。
3人のミュージシャンが飛行機事故で無くなった日です。
あのころ、この歌が車のラジオから流れて来るとむさぼるように聴きました。
何度も何度も....8分30秒、長い曲ですよ~♪
やがてテルアビブのキブツ集団で働き始め、そこには欧米の若者達が集まり毎日汗を流していました。
そこで仲良くなったアメリカ人がギターの上手な奴で、私がアメリカン・パイを大好きだと言うと早速ギターを持って来て弾いてくれました。
そしてこの歌の事を説明してくれました。
底抜けに楽しい奴でした。
ある日他の仲間たちと海岸へ泳ぎに行きまして。
海で泳ぎながら彼はふざけて水着を脱ぎ皆に見せましたが、直後に波をかぶり...なんとその水着が何処かへ行ってしまったのです。
皆で手分けして探しましたが、遂に見つかりませんでした。
困ったのは、丁度その時凄い美人が海岸にやって来てビーチ・パラソルを差し、読書を始めたのです。
皆の衣類はそのそばに置いて有り、まさかパンツ無しで前を通るわけにもいかず、皆でバスタオルを使って彼の腰を隠しようやく岸に上がり服を着ることが出来ました。
バラックのような小屋に住み、私のルーム・メイトはスウエーデン人で、後に丁度私がビザ待ちで日本にいる時に訪ねて来ました。
今も彼と行った日光の写真を持っています。
後日スウエーデンへ彼を訪ねようと手紙を書いたらお姉さんから返事が有りました。
彼は亡くなったと書いて有りました。
自殺です。
キブツ集団の暮らしは楽しかったです。
時々キャンプファイアーを焚いて誰れかがギターを弾き色々話をしました。
酔ったスイス人の女の子からキスを迫られ、ところがその頃はドイツ人のガールフレンドと一緒だったので危険なキスから逃れました。(;^_^A アセアセ・・・でした。
そんな毎日、思いっ切り青春をやってました。
あの日が来るまででした...あの日とは戦争が始まった日です。
それ以降は夜のキャンプファイヤーは禁じられ部屋の窓は光の漏れないように板でふさがれ、道を行く車のヘッドライトは青く塗りつぶされました。
それでも高射砲が空を睨んでいる横でジャガイモ掘りをしたり、オレンジ畑で実を摘んだり、真夜中に農場に行ってうろつく鶏を捕獲したりの日々でした。
アメリカン・パイの歌詞と和訳
A long, long time ago
ずっとずっと昔のこと
I can still remember how that music used to make me smile
まだ音楽を聴いて幸せになれた頃のことを思い出す
And I knew if I had my chance that I could make those people dance
もし僕に彼らを踊る気にさせる音楽を奏でることができたなら
And maybe they'd be happy for a while
彼らも少しの間は楽しい気分になっただろう
But February made me shiver
だけど二月の寒さに僕は打ち震え
With every paper I'd deliver
新聞を配達するたびに
Bad news on the doorstep
玄関先に訃報を置いた
I couldn't take one more step
これ以上 踏み出せなくなってしまった
I can't remember if I cried when I read about his widowed bride
未亡人となってしまった花嫁の記事を読んだ時に 泣いたかどうかなんて覚えていない
But something touched me deep inside
だけど何かが心の奥深くに触れたんだ
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