ひろひろ48 さんの日記
2023
1月
4
(水)
12:02
本文
バラエティがほとんどのお正月番組の中で、2日の夜10時からの100deスペシャル番組は、上野千鶴子さん、加藤陽子さんが討論に参加されるので、すごく興味があった。昨年は資本主義、コロナが大きなテーマで斎藤幸平さんらが参加されて、すばらしかったが、今年は、世界でも最低レベルの日本のジェンダーギャップの状況で少しづつでも動きもあった。特に、教育学者さんの上間陽子さん、沖縄で10代のシングルマザーのシェルター「おにわ」の共同代表の発言は、現場を知る深刻な話が。ときおり言葉を添える上野千鶴子さんのやさしく適切な言葉が素敵だった。
この番組の「プロヂューサーAのおもわく」から:
突然ですが「RBG 最強の85歳」という映画をご存知でしょうか?
性差別と戦い続けた米最高裁判事ルース・ベーダー・ギンズバーグを追ったドキュメンタリー映画です。2人の監督、7人のプロデューサー、撮影監督、作曲家はじめ、制作のリーダーを全て女性が務めたことで話題を呼びました。主要制作陣を女性が占めているからといって、全く偏向は感じませんでした。むしろ、男性の私がみても胸のすくような映画。逆に、全体として、女性たちが舵をとったからこそ、今までにない、視点の深さと面白さがにじみ出ているのではないかとも思いました。私の大好きな映画です。
「この布陣、出演者でやってみてもいいのでは?」と思いいたったのが、今回「100分deフェミニズム」において、女性のみでキャスティングをするという決断をしたきっかけです。迷いがなかったというと嘘になります(事実、最初は男性も混ぜる案を私は主張していたのでした)。もちろんディレクターや他のプロデューサーの意見もあってのことでしたが、最終責任は私にあるので、なぜ全員女性なのかという理由を書いてみたいと思い立ちました。
結論をいうと、「誰もみたことのないことを見せるのがテレビの面白さの一つだ、もっと言えば、テレビの重い使命の一つだ」という私の信念が、最終的にそうさせました。要は、議論やトーク内容に「排除の論理」が働いてなければいい。自分もこんな対話空間を見てみたいと心底思ったし、収録を終えた今、確かな余韻が残っています。ああ、これはしなやかに他者に開かれた空間だったなあ、と。ホームページに掲載された出演者の皆さんの写真を見ていただけたら、その雰囲気の一端は伝わると思います。
私は、人道的にひどかったり悪政がはびこったりといったケースを除外して、「〜すべき」「〜すべきでない」と正義を振りかざして断罪するような所作が「制作の現場」で行われるのが、とても嫌いです。そうした所作は多様性を抑圧をするケースが多い。実験があっていいじゃないか、やってみる前にダメ出ししなくていいじゃないか。断罪が現場をダメにする、というのが三十年以上テレビをやってきての経験値です。だから、今までやっていないことをやってみる、それでわかったことをフィードバックする。……その繰り返しこそがテレビの世界を進化させてきたのですから。
もちろん個人的には、必然性があるならば男性のみの討論番組だってあっていいと思っています。ところが、これまで見てきたところ、多くの場合、口角泡を飛ばして人の意見を聞かない、他者の意見を遮る、反論されてブチ切れる、きちんとした理路で反論せずレッテル貼りだけで相手を断罪する……そんな所作がいかに多いことか。演出的にそういう白熱感を出すという手法も場合によってはありなのかしれませんが、私自身の好みではなく、男性の出演者が多い場合も、そんな形にだけにはならないようにと、これまで心がけてきました。
今回の「100分deフェミニズム」では、相手の意見を丁寧に聞く、それを受けて話をさらに豊かにする、反論が出てもそれをきちんと受け止めて新たな問題点を展開する……といった他者に開かれた空間が確かに現出しています。何よりもまず、そこを見ていただけたらと心から思います。
まずは、内容を見ずに批判したりせず、レッテルや偏見をいったん取り外して、特に、男性たちにこの番組をみてほしいと願ってます。もちろん、女性も含め、どのような性別(性自認)の人にも。今までにない視点がきっと開かれるはず。批判のための批判、レッテル貼り、あげ足とりなどではない、筋道や理路の通った異論なら大歓迎です。何はともあれ、「100分deフェミニズム」とくとご覧あれ。
この番組の「プロヂューサーAのおもわく」から:
突然ですが「RBG 最強の85歳」という映画をご存知でしょうか?
性差別と戦い続けた米最高裁判事ルース・ベーダー・ギンズバーグを追ったドキュメンタリー映画です。2人の監督、7人のプロデューサー、撮影監督、作曲家はじめ、制作のリーダーを全て女性が務めたことで話題を呼びました。主要制作陣を女性が占めているからといって、全く偏向は感じませんでした。むしろ、男性の私がみても胸のすくような映画。逆に、全体として、女性たちが舵をとったからこそ、今までにない、視点の深さと面白さがにじみ出ているのではないかとも思いました。私の大好きな映画です。
「この布陣、出演者でやってみてもいいのでは?」と思いいたったのが、今回「100分deフェミニズム」において、女性のみでキャスティングをするという決断をしたきっかけです。迷いがなかったというと嘘になります(事実、最初は男性も混ぜる案を私は主張していたのでした)。もちろんディレクターや他のプロデューサーの意見もあってのことでしたが、最終責任は私にあるので、なぜ全員女性なのかという理由を書いてみたいと思い立ちました。
結論をいうと、「誰もみたことのないことを見せるのがテレビの面白さの一つだ、もっと言えば、テレビの重い使命の一つだ」という私の信念が、最終的にそうさせました。要は、議論やトーク内容に「排除の論理」が働いてなければいい。自分もこんな対話空間を見てみたいと心底思ったし、収録を終えた今、確かな余韻が残っています。ああ、これはしなやかに他者に開かれた空間だったなあ、と。ホームページに掲載された出演者の皆さんの写真を見ていただけたら、その雰囲気の一端は伝わると思います。
私は、人道的にひどかったり悪政がはびこったりといったケースを除外して、「〜すべき」「〜すべきでない」と正義を振りかざして断罪するような所作が「制作の現場」で行われるのが、とても嫌いです。そうした所作は多様性を抑圧をするケースが多い。実験があっていいじゃないか、やってみる前にダメ出ししなくていいじゃないか。断罪が現場をダメにする、というのが三十年以上テレビをやってきての経験値です。だから、今までやっていないことをやってみる、それでわかったことをフィードバックする。……その繰り返しこそがテレビの世界を進化させてきたのですから。
もちろん個人的には、必然性があるならば男性のみの討論番組だってあっていいと思っています。ところが、これまで見てきたところ、多くの場合、口角泡を飛ばして人の意見を聞かない、他者の意見を遮る、反論されてブチ切れる、きちんとした理路で反論せずレッテル貼りだけで相手を断罪する……そんな所作がいかに多いことか。演出的にそういう白熱感を出すという手法も場合によってはありなのかしれませんが、私自身の好みではなく、男性の出演者が多い場合も、そんな形にだけにはならないようにと、これまで心がけてきました。
今回の「100分deフェミニズム」では、相手の意見を丁寧に聞く、それを受けて話をさらに豊かにする、反論が出てもそれをきちんと受け止めて新たな問題点を展開する……といった他者に開かれた空間が確かに現出しています。何よりもまず、そこを見ていただけたらと心から思います。
まずは、内容を見ずに批判したりせず、レッテルや偏見をいったん取り外して、特に、男性たちにこの番組をみてほしいと願ってます。もちろん、女性も含め、どのような性別(性自認)の人にも。今までにない視点がきっと開かれるはず。批判のための批判、レッテル貼り、あげ足とりなどではない、筋道や理路の通った異論なら大歓迎です。何はともあれ、「100分deフェミニズム」とくとご覧あれ。
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