スピカ さんの日記
2022
11月
5
(土)
08:32
北野坂の雨に別れて以来なり


本文
俺たちを引き合わせてくれたハッチが気を利かせて
すぐに帰ってしまったものだから、口下手な俺は
焦ってしまって、話の接ぎ穂を必死で探していのだけれど
君がいきなりインドを放浪したときの話を始めたので
内心助かったなって思ったんだよ。
それから二時間近く、妙に薄暗い居酒屋でインドや上高地、
あとはバルビゾン派の絵について話をして店を出たんだっけ。
とっくに桜も散ってしまったというのにあの日は真冬のように
寒い夜で、おまけに雨まで降っていた。
雨に滲む北野坂を、行き交う人たちを避けながら無言で歩いて
駅前まで戻ってくると、君がお茶でも飲んで温まってから
帰りましょうかと言うので、にしむら珈琲に入って二人掛けの
テーブル席で向かい合ったものの、俺は気の利いた話題の
ひとつも思いつかなくて、店内に流れてたキャロル・キングに
耳を傾けながらただシナモンコーヒーを啜っているだけだった。
「好きなんですか?シナモンコーヒー」
「あ、初めて飲みました。どんなもんか、いっぺん飲んでみたろ思て」
君はくすくす笑ってたけれど、
俺はこんな体たらくじゃ紹介してくれたハッチには悪いけれど
次はもうないなと暗澹たる気分だったんだよ。
だから席を立つ間際になって君が言った
「で、これからどうします?」という意味が俺には
よくわからなかったのだけど、ハッチから彼女は山登りが
好きな人なんだと聞いていたのを思い出したので、
もし休みの日が合うようだったら今度一緒に山歩きを
しませんかって誘ってみたのだった。
俺のことは退屈で詰まらない男だと見限ってしまっているとばかり
思っていたので、体よく断られるだろうとあんまり期待は
してなかった。だから君がにっこり笑って「ぜひ行きましょうよ」と
言ったのには驚いて、なんでも一応は言ってみるものだなと思ったよ。
そしてそう思ったことをそのまま口にしたら、
君はあははと声をあげて笑い「八田くんが言ってたとおりの人ですね」と
独り合点して、俺はそんな君をぼんやりと見やりながらきれいな歯並びを
した人だなあと思ったりしてた。
それから目と鼻の先にある駅ビルで切符を買って一緒に上り線の
ホームに上がったら、タイミングが良いのか悪いのか電車はすぐに
やってきたので俺たちは慌ただしくさよならの挨拶を交わして
帰ってゆく君を見送った。
そして再び階段に向かい反対側の下り線ホームに移動して、君が去った
方角からやって来るはずの電車を待った。
家に帰って熱い風呂に入り、
人心地ついたときは既に日付は変わっていた。ハッチから一通、
「よお色男!むっちゃんと山に行くんだって?」というメールが
入っていた。
けれど結局、俺たちが一緒に山に行くことは叶わなかった。
初めて顔を合わせた雨の夜以来、彼女とは毎日のようにメールの
やり取りをしていたのだけどやがてメールは滞りがちになり、
そしてある日を境にばったり途絶えた。
メールの交換は楽しかったし彼女も同じように楽しんでいるとばかり
思っていたからなんとなく腑に落ちない成り行きだった。
一度だけこちらから「なにかありましたか?」というメールを
送ったのだが、それに対しての反応はなかった。そして奇妙なことに
時を同じくしてハッチから俺への連絡も完全に途絶えてしまった。
そのことで俺がいちばんに想像したのは何らかの理由で彼女が
心変わりをしてしまい、俺のことを哀れに思ったハッチが彼女を
翻意させようと必死で宥めすかしている姿だった。
友達思いの八田くん。
ハッチに俺のことは全然気にしなくていいと言ってやろうと
思っていた矢先、当人から連絡があった。メールや電話では
できない話があるので急で悪いけれど明日の夜、時間を作って
欲しいと。
なぜかとても嫌な予感がしたことを覚えている。
翌日、指定された場所に行くと平日の遅い時間ということも
あってか店内に客の姿は疎らだった。
奥の窓際の席で俯いている黒いスーツを着た男が目に入ったとき、
胸を抉られるような思いがした。そして嫌な予感というのは
いつだって妙に的中するなと思った。
梅雨も終盤にさしかかっており、その夜もあの日のように
雨が降っていた。
※ タイトルは田辺聖子さんの「道頓堀の雨に別れて以来なり」の
パクリです(^_^;)この駄文もコロナ帰休のときの暇つぶしに書いた
ものの一つですが、読んでくれた人たちの感想は「重い」と、
あまり芳しくはなかった
けれど、そんな中ただ一人、神戸在住の友だちは「私は嫌いじゃないな」と言ってくれた。それだけで充分だと思いました。
すぐに帰ってしまったものだから、口下手な俺は
焦ってしまって、話の接ぎ穂を必死で探していのだけれど
君がいきなりインドを放浪したときの話を始めたので
内心助かったなって思ったんだよ。
それから二時間近く、妙に薄暗い居酒屋でインドや上高地、
あとはバルビゾン派の絵について話をして店を出たんだっけ。
とっくに桜も散ってしまったというのにあの日は真冬のように
寒い夜で、おまけに雨まで降っていた。
雨に滲む北野坂を、行き交う人たちを避けながら無言で歩いて
駅前まで戻ってくると、君がお茶でも飲んで温まってから
帰りましょうかと言うので、にしむら珈琲に入って二人掛けの
テーブル席で向かい合ったものの、俺は気の利いた話題の
ひとつも思いつかなくて、店内に流れてたキャロル・キングに
耳を傾けながらただシナモンコーヒーを啜っているだけだった。
「好きなんですか?シナモンコーヒー」
「あ、初めて飲みました。どんなもんか、いっぺん飲んでみたろ思て」
君はくすくす笑ってたけれど、
俺はこんな体たらくじゃ紹介してくれたハッチには悪いけれど
次はもうないなと暗澹たる気分だったんだよ。
だから席を立つ間際になって君が言った
「で、これからどうします?」という意味が俺には
よくわからなかったのだけど、ハッチから彼女は山登りが
好きな人なんだと聞いていたのを思い出したので、
もし休みの日が合うようだったら今度一緒に山歩きを
しませんかって誘ってみたのだった。
俺のことは退屈で詰まらない男だと見限ってしまっているとばかり
思っていたので、体よく断られるだろうとあんまり期待は
してなかった。だから君がにっこり笑って「ぜひ行きましょうよ」と
言ったのには驚いて、なんでも一応は言ってみるものだなと思ったよ。
そしてそう思ったことをそのまま口にしたら、
君はあははと声をあげて笑い「八田くんが言ってたとおりの人ですね」と
独り合点して、俺はそんな君をぼんやりと見やりながらきれいな歯並びを
した人だなあと思ったりしてた。
それから目と鼻の先にある駅ビルで切符を買って一緒に上り線の
ホームに上がったら、タイミングが良いのか悪いのか電車はすぐに
やってきたので俺たちは慌ただしくさよならの挨拶を交わして
帰ってゆく君を見送った。
そして再び階段に向かい反対側の下り線ホームに移動して、君が去った
方角からやって来るはずの電車を待った。
家に帰って熱い風呂に入り、
人心地ついたときは既に日付は変わっていた。ハッチから一通、
「よお色男!むっちゃんと山に行くんだって?」というメールが
入っていた。
けれど結局、俺たちが一緒に山に行くことは叶わなかった。
初めて顔を合わせた雨の夜以来、彼女とは毎日のようにメールの
やり取りをしていたのだけどやがてメールは滞りがちになり、
そしてある日を境にばったり途絶えた。
メールの交換は楽しかったし彼女も同じように楽しんでいるとばかり
思っていたからなんとなく腑に落ちない成り行きだった。
一度だけこちらから「なにかありましたか?」というメールを
送ったのだが、それに対しての反応はなかった。そして奇妙なことに
時を同じくしてハッチから俺への連絡も完全に途絶えてしまった。
そのことで俺がいちばんに想像したのは何らかの理由で彼女が
心変わりをしてしまい、俺のことを哀れに思ったハッチが彼女を
翻意させようと必死で宥めすかしている姿だった。
友達思いの八田くん。
ハッチに俺のことは全然気にしなくていいと言ってやろうと
思っていた矢先、当人から連絡があった。メールや電話では
できない話があるので急で悪いけれど明日の夜、時間を作って
欲しいと。
なぜかとても嫌な予感がしたことを覚えている。
翌日、指定された場所に行くと平日の遅い時間ということも
あってか店内に客の姿は疎らだった。
奥の窓際の席で俯いている黒いスーツを着た男が目に入ったとき、
胸を抉られるような思いがした。そして嫌な予感というのは
いつだって妙に的中するなと思った。
梅雨も終盤にさしかかっており、その夜もあの日のように
雨が降っていた。
※ タイトルは田辺聖子さんの「道頓堀の雨に別れて以来なり」の
パクリです(^_^;)この駄文もコロナ帰休のときの暇つぶしに書いた
ものの一つですが、読んでくれた人たちの感想は「重い」と、
あまり芳しくはなかった
けれど、そんな中ただ一人、神戸在住の友だちは「私は嫌いじゃないな」と言ってくれた。それだけで充分だと思いました。
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