ひろひろ48 さんの日記
2022
10月
19
(水)
18:38
本文
末期の胃がんで、余命1年3ケ月から「完全寛解」へ、奇跡の回復:歌がささえた7年。これからも歌い続ける。今朝の東京新聞の記事、「わたしの転機」。
すごいなぁ、新薬が使えるようになったこともあるだろうけど、希望を失わず、「死ぬまで歌ってやる」気持ち。病気があろうとなかろうと、「死ぬまで歌ってやる」その気持ちに学びたいです。喜寿のライブに向かって、がんばろう。
<わたしの転機>生の喜び、歌声に込めて 末期がんの告知、諦めずステージに:
名古屋市西区の歌手、平洋一さんは7年前、末期の胃がんと診断された。死を覚悟しながらも歌うことをあきらめず、新薬による治療をへて、がんは「完全寛解」に。再びステージに立ち、前向きに生きる素晴らしさを歌で伝えている。 (熊崎未奈)
二〇一五年二月、ステージ4の胃がんと診断されました。すでに手術ができない状態で、余命一年三カ月と宣告されました。私は当時六十代半ばで、歌手活動が軌道に乗り始めた頃でした。
若い頃から歌うことが大好きでした。五十代になり、思い切って会社を退職し、名古屋市内でカラオケ教室を始めました。尾崎紀世彦さんの歌謡曲などをカバーして歌っていたところ、知人に声をかけられ、一二年、初めて自主制作のCDを出し、歌手活動を始めました。がんが見つかったのは、この三年後でした。
抗がん剤治療では、手足のしびれや吐き気などの副作用に苦しみました。それでも、身近な人を集めたミニコンサートを開き、歌手活動は続けました。
「死ぬまで歌ってやる」という気持ちでした。体力的につらいときや落ち込むときもありましたが、「どうしよう」と悩んでいても何も変わらない。くよくよ生きるより、一生懸命生きようと思ったんです。
ただ、病気は進行しており、何も食べられず、歩くのも難しくなり、死を覚悟しました。
余命宣告から二年半たった一七年秋、主治医から、がん治療の新薬「オプジーボ」が使えるようになったと伝えられました。最後の望みを託して点滴治療を続けるうち、胸のつかえが取れ、食欲が戻ったんです。もし薬の使用が半年遅れていたら間に合わなかったでしょう。「死ぬまで歌う」と前向きな気持ちでいたことが、免疫力も高めたんだと思っています。
がんは体から消える「完全寛解」の状態になりました。支えてくれた方への感謝の気持ちと、生きる素晴らしさを伝えようと今年九月、名古屋市の御園座で仲間とコンサートを開きました。歌手として憧れの舞台。ゲストとして出演したことはありましたが、主催者として立つのは初めてでした。
一八年に出したオリジナル曲「明日は来るさ」をカラオケ教室の生徒たちの合唱付きで歌いました。「人の人生一回こっきり 悔いなく行こうよ」という歌詞には、闘病を経験した私の思いが込められています。
このコンサートは歌手活動の集大成だと思っています。これからはアットホームなコンサートを開いていきたい。せっかくもらった命。歌い続けたいです。
<引用以上>
すごいなぁ、新薬が使えるようになったこともあるだろうけど、希望を失わず、「死ぬまで歌ってやる」気持ち。病気があろうとなかろうと、「死ぬまで歌ってやる」その気持ちに学びたいです。喜寿のライブに向かって、がんばろう。
<わたしの転機>生の喜び、歌声に込めて 末期がんの告知、諦めずステージに:
名古屋市西区の歌手、平洋一さんは7年前、末期の胃がんと診断された。死を覚悟しながらも歌うことをあきらめず、新薬による治療をへて、がんは「完全寛解」に。再びステージに立ち、前向きに生きる素晴らしさを歌で伝えている。 (熊崎未奈)
二〇一五年二月、ステージ4の胃がんと診断されました。すでに手術ができない状態で、余命一年三カ月と宣告されました。私は当時六十代半ばで、歌手活動が軌道に乗り始めた頃でした。
若い頃から歌うことが大好きでした。五十代になり、思い切って会社を退職し、名古屋市内でカラオケ教室を始めました。尾崎紀世彦さんの歌謡曲などをカバーして歌っていたところ、知人に声をかけられ、一二年、初めて自主制作のCDを出し、歌手活動を始めました。がんが見つかったのは、この三年後でした。
抗がん剤治療では、手足のしびれや吐き気などの副作用に苦しみました。それでも、身近な人を集めたミニコンサートを開き、歌手活動は続けました。
「死ぬまで歌ってやる」という気持ちでした。体力的につらいときや落ち込むときもありましたが、「どうしよう」と悩んでいても何も変わらない。くよくよ生きるより、一生懸命生きようと思ったんです。
ただ、病気は進行しており、何も食べられず、歩くのも難しくなり、死を覚悟しました。
余命宣告から二年半たった一七年秋、主治医から、がん治療の新薬「オプジーボ」が使えるようになったと伝えられました。最後の望みを託して点滴治療を続けるうち、胸のつかえが取れ、食欲が戻ったんです。もし薬の使用が半年遅れていたら間に合わなかったでしょう。「死ぬまで歌う」と前向きな気持ちでいたことが、免疫力も高めたんだと思っています。
がんは体から消える「完全寛解」の状態になりました。支えてくれた方への感謝の気持ちと、生きる素晴らしさを伝えようと今年九月、名古屋市の御園座で仲間とコンサートを開きました。歌手として憧れの舞台。ゲストとして出演したことはありましたが、主催者として立つのは初めてでした。
一八年に出したオリジナル曲「明日は来るさ」をカラオケ教室の生徒たちの合唱付きで歌いました。「人の人生一回こっきり 悔いなく行こうよ」という歌詞には、闘病を経験した私の思いが込められています。
このコンサートは歌手活動の集大成だと思っています。これからはアットホームなコンサートを開いていきたい。せっかくもらった命。歌い続けたいです。
<引用以上>
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