スピカ さんの日記
2022
10月
15
(土)
06:57
お玉の遺言


本文
ほとんど知られていないことであるが、1980年代初頭に
或る日本人科学者が動物の鳴き声を人間の言語に変換する
画期的な装置の開発に成功した。
しかし学会はその瞠目すべき発明を、変換データの信憑性を
検証しようがないという理由からまともに取り合おうとはせず
黙殺したのである。
結果、変換装置は試作品が1台作られたのみで、
開発者が心血を注いだ成果はなんら顧みられることはなく、
彼は失意のうちにこの世を去った。
開発者には三人の子供がいたが、そのうちの一人は
獣医になった。獣医師としては凡庸であったが彼の経営する
街の動物病院は不思議と評判が良かった。
※ ※ ※ ※
とある動物病院の診察台の上で一匹の老猫がその生涯を終えようと
していた。名前はお玉といい、トメ子さんという独り暮らしの
お婆さんの飼い猫である。
お玉は先ほどより目を閉じ、荒い呼吸を続けていたが、
最後の力を振り絞るがごとく目をあけ、何かを訴えかける
ように喉を鳴らし始めた。
「せ、先生。お願いいたします、どうかお玉の今際の声を
聞かせてください。どうか、どうかお願いいたします」
トメ子さんの懇願に応え、獣医は心得ているとばかりに
手慣れた様子でその準備を始めた。
大昔のセパレートタイプのステレオに似た機械が用意され
、何本ものコードがお玉の体の然るべき部分に繋げられた。
左右を大きなスピーカーに挟まれたコントローラーの
部分に並ぶいろいろなボタンやレバー、ダイヤルを獣医は
慎重に操作し、暫くすると犬、猫、その他、などと表示された
インジゲーターの「猫」の部分が点灯した。
獣医はトメ子さんに目配せし、トメ子さんは横たわるお玉を
優しくその胸に抱いた。
がーがーぴーぴー・・ががーぴー、ひどいノイズに混じり
お玉の猫語が人間の言葉、それも何故かこてこての関西弁に
変換されて左右のモニターから聞こえてきた。
・・はん・・おかあはん・・おおきにおかあはん。
わたいはしあわせでした。・・・おかあはん・・・
お玉! 何言うてんのや、お玉!しっかりせなあきまへんで!
死んだらあかん、お玉、死んだらあかしまへんで!
おかあはん、わたいは幸せな猫でした。小んまい時に
おかあはんに拾てもろて、その時からわたいはこの世で
いちばん幸せな・・がーがーぴーぴー・・ありがと・・
がー、がー・・おかあはん・・・がーがー、ぴーぴー
お玉、お玉、なに言うんだす!礼を言わなあかんのは
私のほうだすがな!あんたの存在がどれだけ私の慰めに
なっとったか!あんたは猫やけど猫やない、
猫の姿をした私の子ぉだす!お玉ぁ!! あんた勝手に
死によったらおかあはん承知しませんで!!
ううううううぅーうううううぅー・・・と、トメ子さんは
堪えきれずに嗚咽を漏らしながらも、まるで我が子に
対するようにお玉に呼びかけている。
おーいおいおいおい・・・おーいおいおいおい・・・これは
貰い泣きをしている獣医の声である。
がががーぴー・・がーがー・・ぴー、ぴー・・・これは
機械が発するノイズである。
おかあはん、お玉はもう逝きます。けどおかあはん、
安心しとってな。お玉はおかあはんを守るさかい。
おかあ・・・お玉は・・どんな形にせよ・・また・・
生まれ変わって・・・おかあはんの傍へ・・
傍・・へ・・きっと・・おかあは・・・
ガクっ・・・・・
お玉っ!お玉っ!おーたぁーまぁーあぁぁぁぁ ーーー!!
お玉が息絶えた診察室にトメ子さんの哀切極まる
絶叫が響きわたった。
※ ※ ※ ※
一見、何の変哲もないこの動物病院ではペットと飼い主が
会話によって今生の別れをするという信じ難い光景が
これまで度々見られてきたのであるが、そのことが外部に
漏れるようなことは一切なかった。
人間というのはたぶん、真に大切なものは胸の裡に秘めて
、それを人生の灯火として生きてゆくものなのだろう。
見事にお玉を看取ったトメ子さんは悔いや心残りなどは
微塵もないやりきったという様子で、時おり静かな笑顔さえ
浮かべながら獣医に何度も丁重な礼を述べ、亡骸と共に
動物病院を後にした。
トメ子さんとお玉を見送りながら、凡庸な獣医はこのように思う、
私の父はたしかに不遇であったかも知れない、
けれどけっして不毛な科学者ではなかったのだと。
文と絵 スピカ
或る日本人科学者が動物の鳴き声を人間の言語に変換する
画期的な装置の開発に成功した。
しかし学会はその瞠目すべき発明を、変換データの信憑性を
検証しようがないという理由からまともに取り合おうとはせず
黙殺したのである。
結果、変換装置は試作品が1台作られたのみで、
開発者が心血を注いだ成果はなんら顧みられることはなく、
彼は失意のうちにこの世を去った。
開発者には三人の子供がいたが、そのうちの一人は
獣医になった。獣医師としては凡庸であったが彼の経営する
街の動物病院は不思議と評判が良かった。
※ ※ ※ ※
とある動物病院の診察台の上で一匹の老猫がその生涯を終えようと
していた。名前はお玉といい、トメ子さんという独り暮らしの
お婆さんの飼い猫である。
お玉は先ほどより目を閉じ、荒い呼吸を続けていたが、
最後の力を振り絞るがごとく目をあけ、何かを訴えかける
ように喉を鳴らし始めた。
「せ、先生。お願いいたします、どうかお玉の今際の声を
聞かせてください。どうか、どうかお願いいたします」
トメ子さんの懇願に応え、獣医は心得ているとばかりに
手慣れた様子でその準備を始めた。
大昔のセパレートタイプのステレオに似た機械が用意され
、何本ものコードがお玉の体の然るべき部分に繋げられた。
左右を大きなスピーカーに挟まれたコントローラーの
部分に並ぶいろいろなボタンやレバー、ダイヤルを獣医は
慎重に操作し、暫くすると犬、猫、その他、などと表示された
インジゲーターの「猫」の部分が点灯した。
獣医はトメ子さんに目配せし、トメ子さんは横たわるお玉を
優しくその胸に抱いた。
がーがーぴーぴー・・ががーぴー、ひどいノイズに混じり
お玉の猫語が人間の言葉、それも何故かこてこての関西弁に
変換されて左右のモニターから聞こえてきた。
・・はん・・おかあはん・・おおきにおかあはん。
わたいはしあわせでした。・・・おかあはん・・・
お玉! 何言うてんのや、お玉!しっかりせなあきまへんで!
死んだらあかん、お玉、死んだらあかしまへんで!
おかあはん、わたいは幸せな猫でした。小んまい時に
おかあはんに拾てもろて、その時からわたいはこの世で
いちばん幸せな・・がーがーぴーぴー・・ありがと・・
がー、がー・・おかあはん・・・がーがー、ぴーぴー
お玉、お玉、なに言うんだす!礼を言わなあかんのは
私のほうだすがな!あんたの存在がどれだけ私の慰めに
なっとったか!あんたは猫やけど猫やない、
猫の姿をした私の子ぉだす!お玉ぁ!! あんた勝手に
死によったらおかあはん承知しませんで!!
ううううううぅーうううううぅー・・・と、トメ子さんは
堪えきれずに嗚咽を漏らしながらも、まるで我が子に
対するようにお玉に呼びかけている。
おーいおいおいおい・・・おーいおいおいおい・・・これは
貰い泣きをしている獣医の声である。
がががーぴー・・がーがー・・ぴー、ぴー・・・これは
機械が発するノイズである。
おかあはん、お玉はもう逝きます。けどおかあはん、
安心しとってな。お玉はおかあはんを守るさかい。
おかあ・・・お玉は・・どんな形にせよ・・また・・
生まれ変わって・・・おかあはんの傍へ・・
傍・・へ・・きっと・・おかあは・・・
ガクっ・・・・・
お玉っ!お玉っ!おーたぁーまぁーあぁぁぁぁ ーーー!!
お玉が息絶えた診察室にトメ子さんの哀切極まる
絶叫が響きわたった。
※ ※ ※ ※
一見、何の変哲もないこの動物病院ではペットと飼い主が
会話によって今生の別れをするという信じ難い光景が
これまで度々見られてきたのであるが、そのことが外部に
漏れるようなことは一切なかった。
人間というのはたぶん、真に大切なものは胸の裡に秘めて
、それを人生の灯火として生きてゆくものなのだろう。
見事にお玉を看取ったトメ子さんは悔いや心残りなどは
微塵もないやりきったという様子で、時おり静かな笑顔さえ
浮かべながら獣医に何度も丁重な礼を述べ、亡骸と共に
動物病院を後にした。
トメ子さんとお玉を見送りながら、凡庸な獣医はこのように思う、
私の父はたしかに不遇であったかも知れない、
けれどけっして不毛な科学者ではなかったのだと。
文と絵 スピカ
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