freescaleII さんの日記
2022
10月
3
(月)
18:40
本文
あれからもう30年になります。
東ドイツ共産党(SED)の冷酷な支配から無血平和革命により市民が自由を得た日です。
プロレタリア独裁を標榜する政府がそのプロレタリアの蜂起により倒された皮肉な日です。
あの頃国境から60Km 程の町に住んでいました。
国境の向こうにはワルシャワ機構軍、つまりソビエト連邦軍の戦車がずらりと並んでいました。国民の窮乏をよそによくもまあこれだけ大量の戦車を作ったものだと感心しました。
壁に穴が開けられた時には、今にもソビエトの戦車が攻めて来るのではないかと固唾を飲んで見守っていました。
運が良かったのは、共産主義経済が破綻しソビエト・ロシアに行動を起こすだけの経済的な力が無かったのです。
運が良かった、それだけです。
ソビエト崩壊後、ロシアの窮状は目を覆うばかりで、親に見放され飢えた子供達が廃墟に寝泊まりしていました。
我々も子供達支援の寄付を送っていました。
時代は変わり、西側の繫栄のおかげで経済復興したロシアが新たな独裁者の基、軍を立て直し、またもや隣国に攻め込んだのですから。
冷戦終結で軍事力削減したNATOにはロシアなどに攻めるつもりも実力も無く、誰も自ら戦に行く気が無いのです。
これも一種の平和ボケでしょうかね。
NATOは30カ国以上の全会一致の民主的合議制なので簡単に攻め込むことはあり得ないのです。
ロシア主義といいますか、強いロシア、偉大なロシアという自己暗示に弱く、NATOが敵という独裁者の妄想(Fata Morgana)、とはったりに民主化教育の水準の低い国民が簡単に嵌められてしまいます。
東ドイツ共産党(SED)の冷酷な支配から無血平和革命により市民が自由を得た日です。
プロレタリア独裁を標榜する政府がそのプロレタリアの蜂起により倒された皮肉な日です。
あの頃国境から60Km 程の町に住んでいました。
国境の向こうにはワルシャワ機構軍、つまりソビエト連邦軍の戦車がずらりと並んでいました。国民の窮乏をよそによくもまあこれだけ大量の戦車を作ったものだと感心しました。
壁に穴が開けられた時には、今にもソビエトの戦車が攻めて来るのではないかと固唾を飲んで見守っていました。
運が良かったのは、共産主義経済が破綻しソビエト・ロシアに行動を起こすだけの経済的な力が無かったのです。
運が良かった、それだけです。
ソビエト崩壊後、ロシアの窮状は目を覆うばかりで、親に見放され飢えた子供達が廃墟に寝泊まりしていました。
我々も子供達支援の寄付を送っていました。
時代は変わり、西側の繫栄のおかげで経済復興したロシアが新たな独裁者の基、軍を立て直し、またもや隣国に攻め込んだのですから。
冷戦終結で軍事力削減したNATOにはロシアなどに攻めるつもりも実力も無く、誰も自ら戦に行く気が無いのです。
これも一種の平和ボケでしょうかね。
NATOは30カ国以上の全会一致の民主的合議制なので簡単に攻め込むことはあり得ないのです。
ロシア主義といいますか、強いロシア、偉大なロシアという自己暗示に弱く、NATOが敵という独裁者の妄想(Fata Morgana)、とはったりに民主化教育の水準の低い国民が簡単に嵌められてしまいます。
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