ひろひろ48 さんの日記
2022
5月
21
(土)
19:47
本文
アメリカのエンターテイメント業界、映画業界で、大きな権限、影響力をもった映画監督やプロデューサーが、訴えられ、ツイッターの#metooで広まった。ものすごく遅れ、いま、日本の業界でもカミングアウトする被害者もでてきている。ときの権力者にたてつくことになる、自分のこれからの人生を左右するので、すごく勇気がいる。
もう随分以前の話、いろんな差別が問題になり、とくに部落問題にかかわる小説「橋のない川」で、差別を助長するとか、差別された側の尊厳、みずからの解放運動を軽んじるとか、さらに、そのころは、まだまだ「差別」を助長するような「芸術作品」も問題になっていた。差別が芸術だろうか?と議論にもなり、差別は「芸術」じゃない、芸術に差別があってはならない、という方向になっていたと思ったが。。。
東京新聞の夕刊のコラム「大波小波」は、文芸とか映画とかを話題に、いろんな人がペンネームをつかってその時の時代背景なども考え、いろいろな意見を展開している。
5月9日の投稿に反対する議論が起こっている。まず、5月9日の投稿を紹介する。
「セクハラ告発は賛成だが・・」by 荒
その中国の写真はにこやかな顔の毛沢東や周恩来らが写っている。だが、なぜか一つの場所だけが開いている。ははあ、これは林彪か劉少奇の姿を消したのだなと推測がついた。恐ろしいことだ。共産党政権は本人ばかりか、その映像すらも歴史的に抹殺する。
現在、世界的に女性が著名人によるセクハラを訴えている。小生は全面賛成だ。権力を傘にした性的暴力は許されない。だが当の人物を業界から追放し、その過去の業績を抹殺するだけで事態は解決できるわけではない。
例えば荒木経惟のいない写真史、園子温のいない映画史は成立するのだろうか。広河隆一のなを欠いた報道写真史はどうだろう。逆に伝統芸術の世界では、著名人の告発が一向に話題にならないのはなぜか。
かつて戦犯嫌疑を受けた大川周明に言及することは、中東研究者の間では厳重な禁忌であった。ただ一人、竹内好だけが、「コーラン」全訳者としての大川を評価し、彼のイスラム研究を真剣に検討する必要を提唱した。現在では次世代の研究者が大川の精緻な評伝を書き、その著作を復刊されている。後世の日本文化研究家は、21世紀初頭の文化芸術のあちこちに空いた空隙を、どのように解決することだろう。
<引用以上>
なんともひどい持論を展開か。中国での政治闘争での歴史改竄を持ち出し、それと、日本のいまのセクハラ問題を同列にし、セクハラ、差別者を擁護しようとしている。伝統芸術の世界では問題になっていない、同じようにセクハラ告発すべきでないというのか?さらに戦犯嫌疑をうけた話をもちだし、その人の著作は復刊されていると、同列にしセクハラの差別者の「業績」を擁護しようとしている。
差別者の作品は、芸術じゃない。差別者を復権させたいのだろうか?
この投稿に対する投稿が2件あるので、追って書きます。
もう随分以前の話、いろんな差別が問題になり、とくに部落問題にかかわる小説「橋のない川」で、差別を助長するとか、差別された側の尊厳、みずからの解放運動を軽んじるとか、さらに、そのころは、まだまだ「差別」を助長するような「芸術作品」も問題になっていた。差別が芸術だろうか?と議論にもなり、差別は「芸術」じゃない、芸術に差別があってはならない、という方向になっていたと思ったが。。。
東京新聞の夕刊のコラム「大波小波」は、文芸とか映画とかを話題に、いろんな人がペンネームをつかってその時の時代背景なども考え、いろいろな意見を展開している。
5月9日の投稿に反対する議論が起こっている。まず、5月9日の投稿を紹介する。
「セクハラ告発は賛成だが・・」by 荒
その中国の写真はにこやかな顔の毛沢東や周恩来らが写っている。だが、なぜか一つの場所だけが開いている。ははあ、これは林彪か劉少奇の姿を消したのだなと推測がついた。恐ろしいことだ。共産党政権は本人ばかりか、その映像すらも歴史的に抹殺する。
現在、世界的に女性が著名人によるセクハラを訴えている。小生は全面賛成だ。権力を傘にした性的暴力は許されない。だが当の人物を業界から追放し、その過去の業績を抹殺するだけで事態は解決できるわけではない。
例えば荒木経惟のいない写真史、園子温のいない映画史は成立するのだろうか。広河隆一のなを欠いた報道写真史はどうだろう。逆に伝統芸術の世界では、著名人の告発が一向に話題にならないのはなぜか。
かつて戦犯嫌疑を受けた大川周明に言及することは、中東研究者の間では厳重な禁忌であった。ただ一人、竹内好だけが、「コーラン」全訳者としての大川を評価し、彼のイスラム研究を真剣に検討する必要を提唱した。現在では次世代の研究者が大川の精緻な評伝を書き、その著作を復刊されている。後世の日本文化研究家は、21世紀初頭の文化芸術のあちこちに空いた空隙を、どのように解決することだろう。
<引用以上>
なんともひどい持論を展開か。中国での政治闘争での歴史改竄を持ち出し、それと、日本のいまのセクハラ問題を同列にし、セクハラ、差別者を擁護しようとしている。伝統芸術の世界では問題になっていない、同じようにセクハラ告発すべきでないというのか?さらに戦犯嫌疑をうけた話をもちだし、その人の著作は復刊されていると、同列にしセクハラの差別者の「業績」を擁護しようとしている。
差別者の作品は、芸術じゃない。差別者を復権させたいのだろうか?
この投稿に対する投稿が2件あるので、追って書きます。
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