ひろひろ48 さんの日記
2022
4月
3
(日)
18:25
本文
かなりの昔に、「清く貧しく美しく」ということばがありましたね。労働者派遣法が改悪され、非正規労働者がどんどん増えて、企業は、いつでも解雇(雇い止め)できるので、低賃金で雇える。それで、新卒の就職で、非正規社員は約40%。男女の賃金格差は、男性約34万円に対し、女性約25万円。さらに、このコロナ禍で、シングルマザーの失業が増えている。2020年11月16日、渋谷のバス停で撲殺された女性、大林三佐子さんを覚えているかな?雇い止めされ、収入がなくなり住んでいるところを出ざるをえなくなって。。この犯人が憎い、こんな社会になったのが悲しい。
でも、9年前にホームレスの女性が亡くなって、亡くなった時に30冊以上のノートが残されていたそうです。
その記事は、今朝の新聞の一面に掲載されたので、読んでみてください。一人の女性がしっかり生きたことの証です。
生きた記録、ノート30冊:(中村真暁)
9年前の年末、東京都内のとある公園でホームレスの女性が亡くなった。ブルーシートのテントに残されていたのは30冊以上のノート。極貧下、理不尽な暴力にさらされながらも、自分らしく生きた日々が記録されていた。有志の女性たちが文章を書き起こし、出版を目指している。
亡くなった女性の本名は分からない。公園では「小山さん」とよばれていた。アフロヘアのかつらにハイヒール姿。生活保護も医療も拒んでいた。
2012年秋、体調が悪化すると、近くで野宿する女性たちが身の回りを世話した。息を引き取ったのは12月27日早朝。65歳だった。
ノートは1991年ごろからつづられている。それによると、小山さんはもともと関西地方にいた。2000年ごろに都内で野宿を始めると、役所の職員からテントを撤去するように言われたり、同じホームレスの男性から暴力をふるわれたりした。小山さんの遺品を整理した野宿者仲間のいちむらみさこさんは「一人の野宿女性の暮らしや思いの貴重な記録」と感じ、数人でノートの内容を一部書き起こした。小山さんの一周忌に合わせて開いた追悼展で紹介すると、共感の輪が広がった。
いちむらさんらの有志約10人は15年3月から月一度のペースで集まり、ノートの文字を書き起こす作業を続けた。
メンバーの一人は、「私、今日フランスに行ってくるわ」という一節が印象的だった。小山さんは、有名カフェチェーンを「フランス」と呼んでいた。お気に入りの席でコーヒーを飲みながら、ノートに向かう時間を大切にしてたようだ。
ほかにも、路上で拾ったスカーフに心をときめかせたことや、美しい夕日に心を奪われていたことへの記述もあった。別のメンバーは「音やにおいまでもが詰め込まれ、映像をみるようでもある。ノートを通じ、小山さんとの対話に夢中になった」。メンバーたちはノートに登場する場所を訪ね、朗読しながら小山さんの心境を追体験した。
書き起こしの作業は最終段階に近づいている。メンバーたちは、小山さんの言葉が出版を通じて女性の慰めになればと願う。
「私と同じ。人ごととは思えない」。ノートの書き起こし活動に参加するマサコさんは自らのDV(パートナーからの暴力)体験を重ねる。マサコさんは現在、DV被害者の支援活動をしている。
当時の夫からは物をぶつけられ、怒鳴られた。びくびくと顔色をうかがうしかなかった。「頭痛や吐き気が続き、能面のように表情がなくなった」と振り返る。
70代のマサコさんが、家を飛び出したのは2000年ごろ。二つのカバンに生活用具を詰め、民間団体が運営するアパートに身を寄せた。小山さんが都内の公園にたどりついたのとほぼ同じ時期。「小山さんも元の場所では生きられず、全てを置いてたどり着いたのでは」と想像する。
暴力を受けても、小山さんは「私は私でありたい」とノートに思いを書き続けた。「自分を失わず「今ここ」に喜びを見つける生き方に心が揺さぶられた」
文章を書き起こした女性たちは出版を目指している。マサコさんは訴える。
「経済的、社会的に立ち場が弱くなりがちな女性は、支配される側に置かれやすい。それでも小山さんのように心の声をキャッチできれば、自分を守れる。ノートを読んだ人が、暴力によって奪われた安心、自由、自信を取り戻し、希望を持って生きていてほしい」
ノートから:
2001年6月26日
私、今日フランスに行ってくるわ。夜の時間をゆっくりつかいたいの・・美しい夕陽を見送り、顔が今日の夕陽のように赤く燃えている。
2001年3月26日
25才より、読む書くことを志、現在こんな環境の中で約2か月で6冊ものノートをかけたら十分だ。
きっとはげまし協力してくれた人も、世に認められず収入がなくとも喜んでくれるだろう。
私も喜んでいる。今日も書けた、読めた、歩けたと・・きれいな風景を見て、美しい音楽も聞くことができた。
2001年6月18日
君は何もしていないんだ、もう君にたべさせる食料はない、誰か男でもつくり2人でいる所を見せたらすぐ殺してやる、俺はそれを待っているんだと、又、おかしい事を口走る。私は、男をつくり、共に過ごそうなね、一度も思ったこともないわ、一時も早く、一人で静かに自立して生きていきたいだけなの・・
<引用以上>
これを入力してて、胸がいっぱいになる。なんて、気高く高貴な精神なんだろう。公園にたどりつくまで、大変なことがいっぱいあったんだろう。公園で、この国の役人たちどもの非情に、「国民としての権利」にも頼るには、精神の高さが許さなかったのだろう。あなたの精神の気高さは30冊のノートにしっかり残されている。天国で、フランスの珈琲を飲んで、美しいを美しいと言える気高さで、夕陽をいっぱい見てください。
でも、9年前にホームレスの女性が亡くなって、亡くなった時に30冊以上のノートが残されていたそうです。
その記事は、今朝の新聞の一面に掲載されたので、読んでみてください。一人の女性がしっかり生きたことの証です。
生きた記録、ノート30冊:(中村真暁)
9年前の年末、東京都内のとある公園でホームレスの女性が亡くなった。ブルーシートのテントに残されていたのは30冊以上のノート。極貧下、理不尽な暴力にさらされながらも、自分らしく生きた日々が記録されていた。有志の女性たちが文章を書き起こし、出版を目指している。
亡くなった女性の本名は分からない。公園では「小山さん」とよばれていた。アフロヘアのかつらにハイヒール姿。生活保護も医療も拒んでいた。
2012年秋、体調が悪化すると、近くで野宿する女性たちが身の回りを世話した。息を引き取ったのは12月27日早朝。65歳だった。
ノートは1991年ごろからつづられている。それによると、小山さんはもともと関西地方にいた。2000年ごろに都内で野宿を始めると、役所の職員からテントを撤去するように言われたり、同じホームレスの男性から暴力をふるわれたりした。小山さんの遺品を整理した野宿者仲間のいちむらみさこさんは「一人の野宿女性の暮らしや思いの貴重な記録」と感じ、数人でノートの内容を一部書き起こした。小山さんの一周忌に合わせて開いた追悼展で紹介すると、共感の輪が広がった。
いちむらさんらの有志約10人は15年3月から月一度のペースで集まり、ノートの文字を書き起こす作業を続けた。
メンバーの一人は、「私、今日フランスに行ってくるわ」という一節が印象的だった。小山さんは、有名カフェチェーンを「フランス」と呼んでいた。お気に入りの席でコーヒーを飲みながら、ノートに向かう時間を大切にしてたようだ。
ほかにも、路上で拾ったスカーフに心をときめかせたことや、美しい夕日に心を奪われていたことへの記述もあった。別のメンバーは「音やにおいまでもが詰め込まれ、映像をみるようでもある。ノートを通じ、小山さんとの対話に夢中になった」。メンバーたちはノートに登場する場所を訪ね、朗読しながら小山さんの心境を追体験した。
書き起こしの作業は最終段階に近づいている。メンバーたちは、小山さんの言葉が出版を通じて女性の慰めになればと願う。
「私と同じ。人ごととは思えない」。ノートの書き起こし活動に参加するマサコさんは自らのDV(パートナーからの暴力)体験を重ねる。マサコさんは現在、DV被害者の支援活動をしている。
当時の夫からは物をぶつけられ、怒鳴られた。びくびくと顔色をうかがうしかなかった。「頭痛や吐き気が続き、能面のように表情がなくなった」と振り返る。
70代のマサコさんが、家を飛び出したのは2000年ごろ。二つのカバンに生活用具を詰め、民間団体が運営するアパートに身を寄せた。小山さんが都内の公園にたどりついたのとほぼ同じ時期。「小山さんも元の場所では生きられず、全てを置いてたどり着いたのでは」と想像する。
暴力を受けても、小山さんは「私は私でありたい」とノートに思いを書き続けた。「自分を失わず「今ここ」に喜びを見つける生き方に心が揺さぶられた」
文章を書き起こした女性たちは出版を目指している。マサコさんは訴える。
「経済的、社会的に立ち場が弱くなりがちな女性は、支配される側に置かれやすい。それでも小山さんのように心の声をキャッチできれば、自分を守れる。ノートを読んだ人が、暴力によって奪われた安心、自由、自信を取り戻し、希望を持って生きていてほしい」
ノートから:
2001年6月26日
私、今日フランスに行ってくるわ。夜の時間をゆっくりつかいたいの・・美しい夕陽を見送り、顔が今日の夕陽のように赤く燃えている。
2001年3月26日
25才より、読む書くことを志、現在こんな環境の中で約2か月で6冊ものノートをかけたら十分だ。
きっとはげまし協力してくれた人も、世に認められず収入がなくとも喜んでくれるだろう。
私も喜んでいる。今日も書けた、読めた、歩けたと・・きれいな風景を見て、美しい音楽も聞くことができた。
2001年6月18日
君は何もしていないんだ、もう君にたべさせる食料はない、誰か男でもつくり2人でいる所を見せたらすぐ殺してやる、俺はそれを待っているんだと、又、おかしい事を口走る。私は、男をつくり、共に過ごそうなね、一度も思ったこともないわ、一時も早く、一人で静かに自立して生きていきたいだけなの・・
<引用以上>
これを入力してて、胸がいっぱいになる。なんて、気高く高貴な精神なんだろう。公園にたどりつくまで、大変なことがいっぱいあったんだろう。公園で、この国の役人たちどもの非情に、「国民としての権利」にも頼るには、精神の高さが許さなかったのだろう。あなたの精神の気高さは30冊のノートにしっかり残されている。天国で、フランスの珈琲を飲んで、美しいを美しいと言える気高さで、夕陽をいっぱい見てください。
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