ひろひろ48 さんの日記
2022
3月
30
(水)
00:00
本文
ロシアのウクライナ侵攻、多くの一般市民が殺されている。ロシアの、ウクライナの兵士も亡くなっている。ロシアの市民は、戦争を望んだのか?ウクライナの市民は戦争を望んだのか?ほとんど、いやすべての国で、北朝鮮の国民も、中国の国民も、アメリカの国民も、ミャンマーの国民も、戦争を望んでいないはずだ。戦争を望まない国民を戦争に駆り立ててようとしている勢力、戦争でなんらかの利益を得られる勢力がいる。
ナチスのゲーリングという軍人の有名な言葉がある:
「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。
しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。
国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ。
自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。
この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
これは、いまの日本でも有効だ。ここでも、「ロシアのウクライナ侵攻に関連し、いまの憲法について、北朝鮮、中国、ロシアは「信頼できる国」ではない。それにたいして無防備でいいのか」と叫んでいる人が少なくない。政治家たちもそうなのだから。「核共有」「軍備増強」と、この機会を「利用」しようとしている。
先日、NHKの番組で、3月15日「知恵泉」縄文に学べ、3月22日弥生に学べがあった。採集生活の人間の小さな集落から、稲作生活、富(穀物)の保存と道具、武器の発達、土地、水、労働力の奪い合いなどから始まった格差、戦争への道。そのあと、有史時代になり多くの戦争の歴史が記録にのこされている。
採集生活の時代は、お互いに助け合わないと生きていけない時代だったし、ほ乳類としての動物の本来的な姿で生きられた時代。部族の中では、互いに助け合ったのだろう。何年か前、新大久保駅で人が転落し、助けようと韓国人の留学生と日本人が電車にひかれ亡くなったこと。とっさのとき、多くの人が無意識に、自分の損得を考えずに人助けの行動をする。小さな社会のなかでは、それが本能なんでしょう。
今年の1月の新聞のコラム「筆洗」でネズミのことが話としてあった:
ネズミはどうやら仲間思いらしい。海外での研究によると、仲間のネズミが閉じ込まれているのを見れば、救出しようと試みるそうだ。エサを見せた場合でも、仲間の救出を優先する傾向があるようで、何の得がなくても、仲間を救うとかまるで小さなヒーローである。人間でいう共感力や優しさのようなものが備わっているのか。
人間に対してもネズミが同じ仲間だと思ってくれたるわけではないだろうが、その体長70センチのネズミは間違いなく大勢の人間を救ってくれた。アフリカオニネズミの「マガワ」が死んだそうだ。8歳。別名は「ヒーロー・ラット(ネズミ)」。内戦時代の地雷が大量に埋められたままのカンボジアで地雷探しに貢献した。
訓練によって爆発物の化学物質をかぎ分けることができた。体重の軽さのおかげで地雷の上を走っても爆発しないそうで、昨年引退するまでの5年間に100個を超える地雷や爆発物を見つけたというから、驚く。に威厳なら4日はかかる、テニスコートほどの範囲の捜索がマガワなら30分。どんなに心強いヒーローだったことだろう。
こうしたネズミはカンボジアのほかアンゴラ、モザンビークなどでも活躍していると聞く。人間の争いの後始末をネズミが手伝っている。仲間思いのネズミならどうして人が人を傷つける道具を埋めたのとクビをかしげながらの作業かもしれない。
<引用以上>
富の偏在、独占と道具、武器の独占から、部族間の衝突、富、道具、土地、水の奪い合い、衝突が戦争の始まりだったのか?それが拡大され、言葉、教育、文化、歴史でより強化され、拡大され、国とう形で権力者たちの争い、戦争になったのだろう。今の人間の知性、理性、思考では解決できないのか?
ナチスのゲーリングという軍人の有名な言葉がある:
「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。
しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。
国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ。
自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。
この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
これは、いまの日本でも有効だ。ここでも、「ロシアのウクライナ侵攻に関連し、いまの憲法について、北朝鮮、中国、ロシアは「信頼できる国」ではない。それにたいして無防備でいいのか」と叫んでいる人が少なくない。政治家たちもそうなのだから。「核共有」「軍備増強」と、この機会を「利用」しようとしている。
先日、NHKの番組で、3月15日「知恵泉」縄文に学べ、3月22日弥生に学べがあった。採集生活の人間の小さな集落から、稲作生活、富(穀物)の保存と道具、武器の発達、土地、水、労働力の奪い合いなどから始まった格差、戦争への道。そのあと、有史時代になり多くの戦争の歴史が記録にのこされている。
採集生活の時代は、お互いに助け合わないと生きていけない時代だったし、ほ乳類としての動物の本来的な姿で生きられた時代。部族の中では、互いに助け合ったのだろう。何年か前、新大久保駅で人が転落し、助けようと韓国人の留学生と日本人が電車にひかれ亡くなったこと。とっさのとき、多くの人が無意識に、自分の損得を考えずに人助けの行動をする。小さな社会のなかでは、それが本能なんでしょう。
今年の1月の新聞のコラム「筆洗」でネズミのことが話としてあった:
ネズミはどうやら仲間思いらしい。海外での研究によると、仲間のネズミが閉じ込まれているのを見れば、救出しようと試みるそうだ。エサを見せた場合でも、仲間の救出を優先する傾向があるようで、何の得がなくても、仲間を救うとかまるで小さなヒーローである。人間でいう共感力や優しさのようなものが備わっているのか。
人間に対してもネズミが同じ仲間だと思ってくれたるわけではないだろうが、その体長70センチのネズミは間違いなく大勢の人間を救ってくれた。アフリカオニネズミの「マガワ」が死んだそうだ。8歳。別名は「ヒーロー・ラット(ネズミ)」。内戦時代の地雷が大量に埋められたままのカンボジアで地雷探しに貢献した。
訓練によって爆発物の化学物質をかぎ分けることができた。体重の軽さのおかげで地雷の上を走っても爆発しないそうで、昨年引退するまでの5年間に100個を超える地雷や爆発物を見つけたというから、驚く。に威厳なら4日はかかる、テニスコートほどの範囲の捜索がマガワなら30分。どんなに心強いヒーローだったことだろう。
こうしたネズミはカンボジアのほかアンゴラ、モザンビークなどでも活躍していると聞く。人間の争いの後始末をネズミが手伝っている。仲間思いのネズミならどうして人が人を傷つける道具を埋めたのとクビをかしげながらの作業かもしれない。
<引用以上>
富の偏在、独占と道具、武器の独占から、部族間の衝突、富、道具、土地、水の奪い合い、衝突が戦争の始まりだったのか?それが拡大され、言葉、教育、文化、歴史でより強化され、拡大され、国とう形で権力者たちの争い、戦争になったのだろう。今の人間の知性、理性、思考では解決できないのか?
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