tinc さんの日記
2022
3月
20
(日)
20:52
本文
多くの人が何らかの失敗を経験していると思う。遅刻や忘れ物はありふれた失敗としてすぐに思い浮かぶ。賃金労働に就いて業務に従事していてもいろいろな失敗があるし、人間関係における失言や公的な手続きの遅滞、交通事故、債務不履行、種々の犯罪等、世は失敗に溢れていると言ってもよいくらいではないかと思う。
私が他人の失敗を上回る失敗をたくさん重ねていてもなお楽観的でいられるのは、「生きて帰宅すればひとまずそれで良し」と考えているからである。交通事故に遭ったり誰かの恨みを買ったり、ふいに死にたくなったりして今日にも死んでしまってもおかしくないのに、まだ生きているということはそれだけでも貴重と思うべきというのは私の価値観の一つである。
つまり私は自分にとても甘い。何か小さなことを一つ達成する度に自分に加点しているのだと思う。たとえそれが己の力によらないものであっても加点する対象は自分なので、きわめて利己的で不公平な態度であるとも云える。
私のそういうところを嫌ったり軽蔑したりする人は多かろうが、私から言わせれば多くの人が自分に厳し過ぎるのである。それだけ己に厳しいから私より金持ちで見た目も良くて地位も名声も持ち合わせているのだろうが、そういった諸々も持っていて当たり前と思って持っていれば有り難くとも何ともないだろう。無くてはならないものとしてそれらを失わないように気をつけながら過ごさなくてはならないのであれば、ひとまず生命だけ保とうとすればよい私よりも苦しい立場になるのではないか。
みんなは私よりも多くのことができるからそれでも構わないのか。そのわりに幸せでたまらないという人にもなかなか会わないのは不思議である。
失敗とは何なのか、と常々思う。
例えば小さい子どもが熱を出したから仕事を欠勤せざるを得ないということは度々あるだろう。人口増を推進する一方で経済活動のために子どもを養育する機会を与えないというのは明らかにそれら両方を要求する側に問題があると私は思うが、欠勤して手取りが少なくなるのも子どもの体調を注視するのも「自分の家の都合で勝手に休む」という悪い評価を受けるのも親のほうである。これを親の失敗と呼ぶべきなのか。あるいは生まれてきた子どもの失敗とするべきなのか。じゃあ悪かったな、生まれてきて。
何を成功と見なし何を失敗とするかは偏にその事象を見るものの価値判断に依っている。失敗と呼ばれているものが失敗であるとは限らず、逆も成立する。
私の人生は荒廃している。自分に厳しくしていて歩めるようなものではない。他人の失敗を糾弾する時間も気力も、他人が失敗と呼ぶものを根拠に自分に減点を課す余裕も無い。
失敗ばかりのどうしようもない自分を何とか宥めすかしつつ、ごまかしごまかしやっている。
私が他人の失敗を上回る失敗をたくさん重ねていてもなお楽観的でいられるのは、「生きて帰宅すればひとまずそれで良し」と考えているからである。交通事故に遭ったり誰かの恨みを買ったり、ふいに死にたくなったりして今日にも死んでしまってもおかしくないのに、まだ生きているということはそれだけでも貴重と思うべきというのは私の価値観の一つである。
つまり私は自分にとても甘い。何か小さなことを一つ達成する度に自分に加点しているのだと思う。たとえそれが己の力によらないものであっても加点する対象は自分なので、きわめて利己的で不公平な態度であるとも云える。
私のそういうところを嫌ったり軽蔑したりする人は多かろうが、私から言わせれば多くの人が自分に厳し過ぎるのである。それだけ己に厳しいから私より金持ちで見た目も良くて地位も名声も持ち合わせているのだろうが、そういった諸々も持っていて当たり前と思って持っていれば有り難くとも何ともないだろう。無くてはならないものとしてそれらを失わないように気をつけながら過ごさなくてはならないのであれば、ひとまず生命だけ保とうとすればよい私よりも苦しい立場になるのではないか。
みんなは私よりも多くのことができるからそれでも構わないのか。そのわりに幸せでたまらないという人にもなかなか会わないのは不思議である。
失敗とは何なのか、と常々思う。
例えば小さい子どもが熱を出したから仕事を欠勤せざるを得ないということは度々あるだろう。人口増を推進する一方で経済活動のために子どもを養育する機会を与えないというのは明らかにそれら両方を要求する側に問題があると私は思うが、欠勤して手取りが少なくなるのも子どもの体調を注視するのも「自分の家の都合で勝手に休む」という悪い評価を受けるのも親のほうである。これを親の失敗と呼ぶべきなのか。あるいは生まれてきた子どもの失敗とするべきなのか。じゃあ悪かったな、生まれてきて。
何を成功と見なし何を失敗とするかは偏にその事象を見るものの価値判断に依っている。失敗と呼ばれているものが失敗であるとは限らず、逆も成立する。
私の人生は荒廃している。自分に厳しくしていて歩めるようなものではない。他人の失敗を糾弾する時間も気力も、他人が失敗と呼ぶものを根拠に自分に減点を課す余裕も無い。
失敗ばかりのどうしようもない自分を何とか宥めすかしつつ、ごまかしごまかしやっている。
閲覧(839)
カテゴリー | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
コメントを書く |
---|
コメントを書くにはログインが必要です。 |