ひろひろ48 さんの日記
2022
2月
21
(月)
00:01
本文
随分昔?検索したら1995年の映画だから20年以上も前に見た映画。「太陽と月に背いて」デカプリオ主演で、詩人のランボーがテーマ。詩人として同性(男)の同じ詩人ヴェルレーヌに見いだされ、その才能に嫉妬と憧れから愛し合うように。ショックだったのは、19世紀末ころは、イギリスでは同性愛が犯罪で、二人は逮捕され、裁判にかけられ有罪になる。ランボーの詩集の写真が、デカプリオによく似ており、似るように演じたのか。デカプリオは、この映画を良くなかったと思っているらしいが、詩人ランボーをその美しさと天才ぶりを見事に演じている。デカプリオの傑作の一つだと思う。
昨年はクイーンの映画もあり同性愛、特にゲイの間でのエイズも大きな問題になって、そして今、LGBTQで二分法的な男と女でなく、性別、いろんな愛のあり方がいまほど問われている時代はない。関連した新聞の記事「本音のコラム」から:
大きな悲劇の経験 by 北丸雄二(ジャーナリスト)
今年中に世界31カ国などに拡大される同性婚法制化は、80-90年代のエイズの時代が影響を与えました。目の前で恋人や友人や家族や同僚がバタバタと死んでいく大きな悲劇を経験した社会は総動員でエイズという厄災を乗り越える情報を発信し、「生きる」ということがどういうことなのかを学びました。その時の気づきは、同性愛者たちに結婚制度という新たな法的保護を与えるという施しではなく、法的保護が欠落していたという自らの非情でした。同性愛を排除・迫害してきた理由は、反道徳であるとする犯罪化と、性倒錯であるという病理化の、ほぼ二つの社会規範からの逸脱説でしたが、その誤りは70年代に大衆化した人権運動により法的にも医学的にも正されました。すると迫害する理由がなくなる。それでも除外するならばそれは虐待であり差別だという論理立てがなされたのです。そこから、同性婚の法制化が平等の象徴として社会運動化したのでした。これがエイズの社会学ですーそんな講演を函館でしたら、招いてくれた学生たちはそんな歴史を知らなかった、エイズは性感染症だから気をつけようぐらいしか教わらなかったと驚きます。
大きな悲劇を共有しなかった社会は、確かに差別や人権に深刻になる必要もない。そうして気づかぬまま世界の置き去りになっているのかもしれません。
<引用以上>
世界中で、日本だけと夫婦別姓を認めない国。同性婚は、生産的でないと認めない国。こんな社会でいいのかな?
昨年はクイーンの映画もあり同性愛、特にゲイの間でのエイズも大きな問題になって、そして今、LGBTQで二分法的な男と女でなく、性別、いろんな愛のあり方がいまほど問われている時代はない。関連した新聞の記事「本音のコラム」から:
大きな悲劇の経験 by 北丸雄二(ジャーナリスト)
今年中に世界31カ国などに拡大される同性婚法制化は、80-90年代のエイズの時代が影響を与えました。目の前で恋人や友人や家族や同僚がバタバタと死んでいく大きな悲劇を経験した社会は総動員でエイズという厄災を乗り越える情報を発信し、「生きる」ということがどういうことなのかを学びました。その時の気づきは、同性愛者たちに結婚制度という新たな法的保護を与えるという施しではなく、法的保護が欠落していたという自らの非情でした。同性愛を排除・迫害してきた理由は、反道徳であるとする犯罪化と、性倒錯であるという病理化の、ほぼ二つの社会規範からの逸脱説でしたが、その誤りは70年代に大衆化した人権運動により法的にも医学的にも正されました。すると迫害する理由がなくなる。それでも除外するならばそれは虐待であり差別だという論理立てがなされたのです。そこから、同性婚の法制化が平等の象徴として社会運動化したのでした。これがエイズの社会学ですーそんな講演を函館でしたら、招いてくれた学生たちはそんな歴史を知らなかった、エイズは性感染症だから気をつけようぐらいしか教わらなかったと驚きます。
大きな悲劇を共有しなかった社会は、確かに差別や人権に深刻になる必要もない。そうして気づかぬまま世界の置き去りになっているのかもしれません。
<引用以上>
世界中で、日本だけと夫婦別姓を認めない国。同性婚は、生産的でないと認めない国。こんな社会でいいのかな?
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