tinc さんの日記
2022
1月
24
(月)
19:25
本文
私は思うまでもなく恥の多い人生を送っている。貧乏であるとか名声が無いとか見た目がよろしくないとかの普通の恥は数え切れないがそういうものについては最早麻痺しているのかあまり恥ずかしく思わない。私が恥ずかしいと思うのは一見重要でなさそうな出来事である。
以前電車の中で着席していた時に、私の前に妊娠していると思しき人が立ったので私は席を譲ろうとした。その人は「大丈夫です。太っているだけなので」と述べて私に礼を言った。
私はこの世に自分の居場所が無いと確信するほど恥ずかしい思いをした。今でもそのことを思い出して煩悶することがある。
そのもっと以前には、電車の揺れに見知らぬ小柄な人が翻弄されているように見えたので手すりを譲ったことがあった。その人は手すりを掴んで立ち、いくつか先の駅で降車したのであるが、その際に黙って私に手を振っていった。
その人へ黙礼を返した次の瞬間に、私は自分が意図するのとは反対の方向へ向かう電車に乗っていることに気付いた。しかしそこで降りてその人に特別の興味を持っていると思われるのが嫌で、次の停車駅までその電車に乗り続けた。この時には自分の意気地の無さが恥ずかしかった。
またある時には散歩をしていて犬を連れている人と擦れ違った。犬は私の何かに関心を引かれたのか私へ近づいてきて手や顔を舐めてくれた。暫くそうして遊んでもらいながら飼い主と世間話をする中で、私が「お名前は何とおっしゃいますか」と尋ねると飼い主はあろうことか「ヤマシタです」と返答した。無論私は犬の名前を聞きたかったのである。
私は誤解を解くことを考えたが結局言い出せないまま彼らと別れた。言葉が自分の意図と異なる受け止められ方をした際にはそのことを伝えるべきである。それを臆病のためにできなかったのを恥ずかしく思った。
人と関わるところには誤解があり、誤解は恥ずかしいものである。見知らぬ人との間の誤解は特に恥ずかしいものである。
そういった小さなことを恥じる余裕があるなら貧乏や不名誉や醜悪を恥じよということを言う人もあろうが、私が何を恥とするかは私の決めることである。
以前電車の中で着席していた時に、私の前に妊娠していると思しき人が立ったので私は席を譲ろうとした。その人は「大丈夫です。太っているだけなので」と述べて私に礼を言った。
私はこの世に自分の居場所が無いと確信するほど恥ずかしい思いをした。今でもそのことを思い出して煩悶することがある。
そのもっと以前には、電車の揺れに見知らぬ小柄な人が翻弄されているように見えたので手すりを譲ったことがあった。その人は手すりを掴んで立ち、いくつか先の駅で降車したのであるが、その際に黙って私に手を振っていった。
その人へ黙礼を返した次の瞬間に、私は自分が意図するのとは反対の方向へ向かう電車に乗っていることに気付いた。しかしそこで降りてその人に特別の興味を持っていると思われるのが嫌で、次の停車駅までその電車に乗り続けた。この時には自分の意気地の無さが恥ずかしかった。
またある時には散歩をしていて犬を連れている人と擦れ違った。犬は私の何かに関心を引かれたのか私へ近づいてきて手や顔を舐めてくれた。暫くそうして遊んでもらいながら飼い主と世間話をする中で、私が「お名前は何とおっしゃいますか」と尋ねると飼い主はあろうことか「ヤマシタです」と返答した。無論私は犬の名前を聞きたかったのである。
私は誤解を解くことを考えたが結局言い出せないまま彼らと別れた。言葉が自分の意図と異なる受け止められ方をした際にはそのことを伝えるべきである。それを臆病のためにできなかったのを恥ずかしく思った。
人と関わるところには誤解があり、誤解は恥ずかしいものである。見知らぬ人との間の誤解は特に恥ずかしいものである。
そういった小さなことを恥じる余裕があるなら貧乏や不名誉や醜悪を恥じよということを言う人もあろうが、私が何を恥とするかは私の決めることである。
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