tinc さんの日記
2022
1月
20
(木)
23:48
本文
私の職場は私の上長の男性1名と、先輩の男女2名、私の計4人で構成されている。女性のほうの先輩(仮にAさんとする)は色々な理由で内外から人気があり、また仕事に強い特色を見せる人でもあるので、Aさんが不在の時にも職場ではAさんの話が出ることが多い。
先日いつものようにAさん不在時にAさんのことを話す中で、私の先輩の男性のほう(仮にBさんとする)がAさんについて言っていたことに私は驚いた。彼は「彼女(Aさん)は僕のことを嫌いではないようだから」と言うのである。
「そうですか」私は何とかそう言った。「でも、なぜそう思われるんです?」
彼は「いやまあ、何となく」とだけ答えて笑った。
私の感覚では、職場というところではあまり人の好き嫌いを表に出さない人が多い。Aさんはおそらくそういう方向性の人だし、優しそうな雰囲気が人気の一因となっている感じの人でもあるから尚更そうだろう。しかしそれはAさんがBさんや私やわれわれの上長を好きであるとか嫌いでないとかいうこととは異なる。少なくとも人当たりが良いということと優しいということが全く別の性質であるのと同じくらい異なるか、多分もっと異なるのではないか。
なぜBさんが上記のようなことを言ったのかを私は暫く想像していた。彼は有資格者で私よりも年長なので私への指導の一環として敢えて私を試すようなことを言ったのかもしれないと私は考えたのだが、彼がそれほどまでに私を気にかけているとは思えなかった。
では本心から言っているとすれば本当に嫌われていないのでそのことをそのまま言っている可能性もあるわけだが、BさんがAさんから嫌われないでいるということを結論するのも難しかった。Bさんは自分に割り振られた業務をAさんに手伝わせることはあってもAさんの業務を自分で手伝うということは無いし、どちらかといえばAさんを貶めるような軽口を叩くことも多い。
私の最終的な想像は「Bさんは自分がAさんを好ましく思っているのを、『AさんがBさんを嫌いでない』と取り違えているのではないか」というものだった。人が自分の心理を他人のそれへ転嫁することはありふれたことである。ありふれたことがあらゆる事態に当てはまるわけではない。しかしこの場合容易な想像の1つであると私は思う。
何かを好きであるとか好きでないとかいうことは理解に難しくないように見えるものの、本人にも判別の困難なことがある等、常に一筋縄に扱えるものではない。何かを言うことが困難である物事に対して何かを言おうとする際には言うべきことを言わなかったり不要なことを言ったりしてある程度無理をする必要に迫られる。Bさんは自分に対するAさんの好悪の感情について無理に何事かを言わなくてよかったのではないかと私は思いつつ、やはり彼にはそのことで何事かを言う理由があったのかもしれないとも思う。「みんなから好かれている人」から嫌われていないか否かということは時にその場における自分の立場を左右する。そんなもん気にしてる暇があったら好きなようにやれよ、と言いそうになる一方で、そうも言っていられないことが往々にしてあることも理解される。
だから誰もが自分の望まない場所から離れて自分の望む場所へ行けるようになることを私は望む。噛み合わないのも駄目、受け容れられるために偽りの己でいなければならないのも駄目、となると大変である。この世は私が思うより手狭で、誰にも行き場が無く、自分の感情と他人の感情を分けて置いておくこともできないのかもしれない。
先日いつものようにAさん不在時にAさんのことを話す中で、私の先輩の男性のほう(仮にBさんとする)がAさんについて言っていたことに私は驚いた。彼は「彼女(Aさん)は僕のことを嫌いではないようだから」と言うのである。
「そうですか」私は何とかそう言った。「でも、なぜそう思われるんです?」
彼は「いやまあ、何となく」とだけ答えて笑った。
私の感覚では、職場というところではあまり人の好き嫌いを表に出さない人が多い。Aさんはおそらくそういう方向性の人だし、優しそうな雰囲気が人気の一因となっている感じの人でもあるから尚更そうだろう。しかしそれはAさんがBさんや私やわれわれの上長を好きであるとか嫌いでないとかいうこととは異なる。少なくとも人当たりが良いということと優しいということが全く別の性質であるのと同じくらい異なるか、多分もっと異なるのではないか。
なぜBさんが上記のようなことを言ったのかを私は暫く想像していた。彼は有資格者で私よりも年長なので私への指導の一環として敢えて私を試すようなことを言ったのかもしれないと私は考えたのだが、彼がそれほどまでに私を気にかけているとは思えなかった。
では本心から言っているとすれば本当に嫌われていないのでそのことをそのまま言っている可能性もあるわけだが、BさんがAさんから嫌われないでいるということを結論するのも難しかった。Bさんは自分に割り振られた業務をAさんに手伝わせることはあってもAさんの業務を自分で手伝うということは無いし、どちらかといえばAさんを貶めるような軽口を叩くことも多い。
私の最終的な想像は「Bさんは自分がAさんを好ましく思っているのを、『AさんがBさんを嫌いでない』と取り違えているのではないか」というものだった。人が自分の心理を他人のそれへ転嫁することはありふれたことである。ありふれたことがあらゆる事態に当てはまるわけではない。しかしこの場合容易な想像の1つであると私は思う。
何かを好きであるとか好きでないとかいうことは理解に難しくないように見えるものの、本人にも判別の困難なことがある等、常に一筋縄に扱えるものではない。何かを言うことが困難である物事に対して何かを言おうとする際には言うべきことを言わなかったり不要なことを言ったりしてある程度無理をする必要に迫られる。Bさんは自分に対するAさんの好悪の感情について無理に何事かを言わなくてよかったのではないかと私は思いつつ、やはり彼にはそのことで何事かを言う理由があったのかもしれないとも思う。「みんなから好かれている人」から嫌われていないか否かということは時にその場における自分の立場を左右する。そんなもん気にしてる暇があったら好きなようにやれよ、と言いそうになる一方で、そうも言っていられないことが往々にしてあることも理解される。
だから誰もが自分の望まない場所から離れて自分の望む場所へ行けるようになることを私は望む。噛み合わないのも駄目、受け容れられるために偽りの己でいなければならないのも駄目、となると大変である。この世は私が思うより手狭で、誰にも行き場が無く、自分の感情と他人の感情を分けて置いておくこともできないのかもしれない。
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