ひろひろ48 さんの日記
2022
1月
4
(火)
12:27
本文
世界中で学生運動が激しくなり、日本でも全共闘運動、ベトナム反戦運動が大きくなるなか、日本と韓国との条約が戦争責任をきちっと解決しないで、時の政府、政権でその時の日本政府に都合のいいように結ばれようと、日韓条約反対の運動も激しくなっていました。そのころ、韓国は軍事独裁国家で、韓国学生を先頭に民主化闘争が激しい弾圧のもと続けられていました。拷問、獄死に闘っていた学生を守り、その状況を岩波の「世界」に寄稿していた「韓国からの通信」のT・K生さんが、この元日1月1日に亡くなられた報道。
ぼくは、まだ20代前半で労働運動をしていたころ、日韓の歴史とその状況を勉強しながら、リアルタイムの現代史に悲しみ怒りながらドキドキしながら読んでいた。
報道記事から:
【ソウル=木下大資】軍事独裁下の韓国で民主化運動が弾圧される実態を「T・K生」のペンネームで日本に伝えた元東京女子大教授の池明観チミョングァンさんが1日、持病のためソウル近郊の病院で死去した。97歳だった。
現在の北朝鮮平安北道ピョンアンプクト生まれ。ソウル大大学院で宗教哲学を専攻し、軍事政権の弾圧を逃れて1972年日本へ渡った。東京女子大で教壇に立つ傍ら、韓国の民主化運動を支援。岩波書店の月刊誌「世界」にT・K生の名で73~88年に「韓国からの通信」を連載した。キリスト教関係者らが持ち出した資料などを基に執筆した連載は、軍が多数の市民を殺傷した80年の光州事件を批判するなど、韓国の実像を海外に知らせる役割を果たした。
93年に韓国に帰国し、翰林ハルリム大教授、韓日文化交流政策諮問委員長などを歴任。金大中キムデジュン政権の対日政策ブレーンを務め、日本大衆文化の国内開放に尽力した。
T・K生の正体は当時の韓国の情報機関もつかめなかったが、2003年に本人が韓国紙のインタビューで明らかにした。
◇ ◇
◆「市民の力」信じ、日韓関係改善に心砕く
池明観さんを訪ねたのは2019年1月。前年10月に韓国最高裁が日本企業に元徴用工への賠償を命じ、日韓関係が極度に悪化した時期だった。打開策を尋ねると、流ちょうな日本語で「日韓の文化関係を政治から独立させないといけない」と返ってきた。
3時間に及んだインタビューの中で、池さんが何度も強調したのが「市民の力」だった。
「T・K生」として軍事政権の人権抑圧や民主化運動の姿を世界に伝え続けた15年間、執筆を支えたのは日韓を中心とするキリスト教関係者や雑誌編集者、学者たちだった。金大中政権で日本大衆文化の開放を進めた際は、韓国内で「文化で再び日本に侵略される」との懸念も強かったが、相互の文化交流が進んだ結果、日本では韓流ブームが起きた。
それらの経験が「市民の力」への信頼を生み出したように思えた。一方で、日韓関係を悪化させるばかりの両国政治家たちに対する批判は厳しかった。
取材を終えて後日に再会した時も、韓国の知人から伝え聞いた近況でも、池さんはずっと日韓関係を気にかけていた。コロナ禍で人の往来さえ途絶えてしまった中、日韓関係に改善の兆しが見えないまま旅立たれたことが悔しい。(元ソウル支局長・境田未緒)
<引用以上>
江戸時代までは、友好国だった朝鮮、日本が西欧列強をまね、帝国主義的な侵略戦争に突き進むなかで変わってきた日本人のアジアに対する差別意識、戦後一時的によくなるかと思えた日韓関係。一方での韓流ブーム、すこしでも友好が進みますように。T・K生さん、お疲れ様、やすらかに。
ぼくは、まだ20代前半で労働運動をしていたころ、日韓の歴史とその状況を勉強しながら、リアルタイムの現代史に悲しみ怒りながらドキドキしながら読んでいた。
報道記事から:
【ソウル=木下大資】軍事独裁下の韓国で民主化運動が弾圧される実態を「T・K生」のペンネームで日本に伝えた元東京女子大教授の池明観チミョングァンさんが1日、持病のためソウル近郊の病院で死去した。97歳だった。
現在の北朝鮮平安北道ピョンアンプクト生まれ。ソウル大大学院で宗教哲学を専攻し、軍事政権の弾圧を逃れて1972年日本へ渡った。東京女子大で教壇に立つ傍ら、韓国の民主化運動を支援。岩波書店の月刊誌「世界」にT・K生の名で73~88年に「韓国からの通信」を連載した。キリスト教関係者らが持ち出した資料などを基に執筆した連載は、軍が多数の市民を殺傷した80年の光州事件を批判するなど、韓国の実像を海外に知らせる役割を果たした。
93年に韓国に帰国し、翰林ハルリム大教授、韓日文化交流政策諮問委員長などを歴任。金大中キムデジュン政権の対日政策ブレーンを務め、日本大衆文化の国内開放に尽力した。
T・K生の正体は当時の韓国の情報機関もつかめなかったが、2003年に本人が韓国紙のインタビューで明らかにした。
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◆「市民の力」信じ、日韓関係改善に心砕く
池明観さんを訪ねたのは2019年1月。前年10月に韓国最高裁が日本企業に元徴用工への賠償を命じ、日韓関係が極度に悪化した時期だった。打開策を尋ねると、流ちょうな日本語で「日韓の文化関係を政治から独立させないといけない」と返ってきた。
3時間に及んだインタビューの中で、池さんが何度も強調したのが「市民の力」だった。
「T・K生」として軍事政権の人権抑圧や民主化運動の姿を世界に伝え続けた15年間、執筆を支えたのは日韓を中心とするキリスト教関係者や雑誌編集者、学者たちだった。金大中政権で日本大衆文化の開放を進めた際は、韓国内で「文化で再び日本に侵略される」との懸念も強かったが、相互の文化交流が進んだ結果、日本では韓流ブームが起きた。
それらの経験が「市民の力」への信頼を生み出したように思えた。一方で、日韓関係を悪化させるばかりの両国政治家たちに対する批判は厳しかった。
取材を終えて後日に再会した時も、韓国の知人から伝え聞いた近況でも、池さんはずっと日韓関係を気にかけていた。コロナ禍で人の往来さえ途絶えてしまった中、日韓関係に改善の兆しが見えないまま旅立たれたことが悔しい。(元ソウル支局長・境田未緒)
<引用以上>
江戸時代までは、友好国だった朝鮮、日本が西欧列強をまね、帝国主義的な侵略戦争に突き進むなかで変わってきた日本人のアジアに対する差別意識、戦後一時的によくなるかと思えた日韓関係。一方での韓流ブーム、すこしでも友好が進みますように。T・K生さん、お疲れ様、やすらかに。
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