ひろひろ48 さんの日記
2021
12月
26
(日)
21:22
本文
人間って、弱くみえるときもあるし、強くみえるときもある。ときに脆い。原始キリスト教の布教時代、時の宗教者は特権階級、富と利権に汚れていた。神の前ではみな平等と教えるキリストの教えは、権力者にとっては都合が悪く弾圧の対象となった。日本では、仏教は、支配者のこころの拠り所としてあり、国を治めるためでもあり、上から押し付けた宗教と、波阿弥陀仏と唱えるだけで救われると、教育がなされてなかった時代の多くの民衆がシンプルに心を寄せられ救われた宗教でもあった。宣教師が日本にひろめようとしたキリストの教え、神の前では人はだれもが平等は、貧しい農民などには大いなる救いであったが、支配者には都合が悪く弾圧の対象であった。
一方で、資本主義の黎明期の過酷な労働者の現実に、労働者が団結し闘い始めたころ、過酷さから逃れるための宗教は、マルクスにとって現状を我慢するものであり現状から逃れるものとしてあるが故に「宗教は阿片」だと。
キリスト教の教えが、宗教革命によって、支配者、特権階級のための宗教じゃなく、原点の教えに戻る。「神の前では」人は平等は、人権思想に繋がっていった。
何億、何十億の人が、いろんな宗教を信じている現実。全員が、それぞれの教義を信じているとは思えないけど、心の平安を求めているのだろう。人それぞれのこころの求めるものとして、人によっては必要なんだろう。
クリスマスのこの時、新聞のコラムの記事が参考になるかもしれない。
「風来りて語る」by 小出宣昭(主筆)12・25
ある神父の回想
今日はクリスマス。2000年昔のこの日、パレスチナの荒野に生まれたイエスの「愛と慈しみ」の教えが、世界中の人々の心をとらえたのは、いったいなぜか。
20世紀に入り、キリスト教に真っ向から立ちはだかったのは無神論に基づく社会主義だった。1987年、革命70周年を迎えたソ連(当時)で「社会主義はどこまで心の領域に迫れたか」をテーマに取材をしたころがある。
バルト海に沿ったラトビア共和国で、一人の神父に出会った。B・ヌキュスさん。首都リガのカトリック教会を統括する聖職者である。宗教に厳しいソ連で。なぜ神父の道を選んだのかを聴くと。
「学校に上がってから、先生たちは、神を信じることは卑劣な行為だと繰り返した。歴史を信じよ、教会に行くのはばか者のすることだと。しかし、私の故郷ラトビアは、帝政ロシア領からドイツ、そしてソ連と有為転変の運命にもてあそばれ、どうして歴史の発展性を信じられますか。先生たちが唯物史観を叫べば叫ぶほど、私の心は不変の神に傾斜していった」
1957年、19歳で彼はソ連陸軍の兵士となった。史上初の人工衛星スプートニクが宇宙を回り、沸き上がる愛国ブームの中でも、彼の信仰はいささかも揺るがなかった。モスクワ郊外の師団で、軍務の合間には欠かさず深い祈りをささげて神への思索にふけった。
不思議なことに、上官も同僚もみんなが彼の信仰を尊重し、支えてくれた。重装備行軍のあと、へとへとで寝込んでしまったら、上官が「祈るのを忘れてしまったね。神さまが怒るといけないから、さあ、みんなのために祈ってくれたまえ」と起こしにきたという。
3年の兵役を終えて神学校に入り、やがて神父に。彼の教会にはさまざまな信者が後を絶たず、はるかシベリアから10歳の孫に洗礼を受けさに来たおばあさんの姿もあった。当時のソ連には、キリスト教徒が3000万人、イスラム教徒が3000万人、イスラム教徒が2000万人。共産党員(2000万人)を上回る信仰の人々がいた。イエスの生まれたベツレヘムの町は、岩と赤茶けた丘陵が広がり、モミの木など一本もない。荒野に響いたスキイの言葉が、時空を超えて森の国、雪の国の人々の心を震わせた。クリスマスツリーやサンタのロマンはその証しだろう。
<引用以上>
ヨーロッパは、ローマ帝国のころから幾多の戦争があり、小さな国は大国に挟まれ、支配され、独立してからもほんとの自由も平和が約束されたわけでもなく、、拠り所は、肉親であり、兄弟であり、いままでの歴史であり、その土地の生活であり、信仰だったのかもしれない。それで、昔はよかったとはならないが。あと、、宗教は、神のような存在をおくことによって、傲慢にならず、感謝することを教えてくれるという点では、いい面もあるのかもしれない。
一方で、資本主義の黎明期の過酷な労働者の現実に、労働者が団結し闘い始めたころ、過酷さから逃れるための宗教は、マルクスにとって現状を我慢するものであり現状から逃れるものとしてあるが故に「宗教は阿片」だと。
キリスト教の教えが、宗教革命によって、支配者、特権階級のための宗教じゃなく、原点の教えに戻る。「神の前では」人は平等は、人権思想に繋がっていった。
何億、何十億の人が、いろんな宗教を信じている現実。全員が、それぞれの教義を信じているとは思えないけど、心の平安を求めているのだろう。人それぞれのこころの求めるものとして、人によっては必要なんだろう。
クリスマスのこの時、新聞のコラムの記事が参考になるかもしれない。
「風来りて語る」by 小出宣昭(主筆)12・25
ある神父の回想
今日はクリスマス。2000年昔のこの日、パレスチナの荒野に生まれたイエスの「愛と慈しみ」の教えが、世界中の人々の心をとらえたのは、いったいなぜか。
20世紀に入り、キリスト教に真っ向から立ちはだかったのは無神論に基づく社会主義だった。1987年、革命70周年を迎えたソ連(当時)で「社会主義はどこまで心の領域に迫れたか」をテーマに取材をしたころがある。
バルト海に沿ったラトビア共和国で、一人の神父に出会った。B・ヌキュスさん。首都リガのカトリック教会を統括する聖職者である。宗教に厳しいソ連で。なぜ神父の道を選んだのかを聴くと。
「学校に上がってから、先生たちは、神を信じることは卑劣な行為だと繰り返した。歴史を信じよ、教会に行くのはばか者のすることだと。しかし、私の故郷ラトビアは、帝政ロシア領からドイツ、そしてソ連と有為転変の運命にもてあそばれ、どうして歴史の発展性を信じられますか。先生たちが唯物史観を叫べば叫ぶほど、私の心は不変の神に傾斜していった」
1957年、19歳で彼はソ連陸軍の兵士となった。史上初の人工衛星スプートニクが宇宙を回り、沸き上がる愛国ブームの中でも、彼の信仰はいささかも揺るがなかった。モスクワ郊外の師団で、軍務の合間には欠かさず深い祈りをささげて神への思索にふけった。
不思議なことに、上官も同僚もみんなが彼の信仰を尊重し、支えてくれた。重装備行軍のあと、へとへとで寝込んでしまったら、上官が「祈るのを忘れてしまったね。神さまが怒るといけないから、さあ、みんなのために祈ってくれたまえ」と起こしにきたという。
3年の兵役を終えて神学校に入り、やがて神父に。彼の教会にはさまざまな信者が後を絶たず、はるかシベリアから10歳の孫に洗礼を受けさに来たおばあさんの姿もあった。当時のソ連には、キリスト教徒が3000万人、イスラム教徒が3000万人、イスラム教徒が2000万人。共産党員(2000万人)を上回る信仰の人々がいた。イエスの生まれたベツレヘムの町は、岩と赤茶けた丘陵が広がり、モミの木など一本もない。荒野に響いたスキイの言葉が、時空を超えて森の国、雪の国の人々の心を震わせた。クリスマスツリーやサンタのロマンはその証しだろう。
<引用以上>
ヨーロッパは、ローマ帝国のころから幾多の戦争があり、小さな国は大国に挟まれ、支配され、独立してからもほんとの自由も平和が約束されたわけでもなく、、拠り所は、肉親であり、兄弟であり、いままでの歴史であり、その土地の生活であり、信仰だったのかもしれない。それで、昔はよかったとはならないが。あと、、宗教は、神のような存在をおくことによって、傲慢にならず、感謝することを教えてくれるという点では、いい面もあるのかもしれない。
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