tinc さんの日記
2021
12月
18
(土)
22:38
本文
私は現在とある障害者福祉施設に非常勤職員として勤務している。業務の対象である施設利用者は全員何らかの障害を有しており、現在は特定の若干名の利用者がその複雑な障害特性から施設の支援資源の大半を占用する状況が続いている。私が雇用される前は職員の手が常に足りず、私の上長である常勤職員も私の先輩の非常勤職員2名も体調を崩しながら出勤していたと聞く。
そして件の若干名の利用者への対応に加わると私もそれなりに疲労する。私は彼らから信頼を置かれていないこともあって彼らのほうが私の対応を求めることは少ないものの、対応の発生はやはり皆無ではないので他に抱えている業務はなかなか進まない。
その状況は上長も先輩達も同じである。しかし3人によれば彼らの疲労には感情的な要素が多く含まれるということで、単に手数を要するとか時間のやりくりをせねばならないということだけではないらしい。
現在の業務状況についてそれぞれどんな思いを抱いているか、という主題で最近職員同士で話し合った。上司と先輩たちはそれぞれ件の利用者達への対応に際して葛藤や懊悩を抱えているようであった。
「Nさん(私)はどうですか」と上長は私へも尋ねた。「疲れませんか、彼らの相手をしていて」
私は何か答えようとして逡巡した。他の職員よりも疲労の度合いが小さそうな私は、もしその通りであれば楽をし過ぎているかもしれない。
「まあ多少は」私は結局曖昧に答えた。
その後も続いた会話を聞いていて、私は上長と先輩達が私の持たない見識と技術を持っているだけでなく、仕事の対象である施設利用者に対する善意をも有していると感じた。そして彼らがその善意から生じる大きな苦痛や疲労を経験しているのではないかと考えた。
私は他人に対して善意の欠片も持ち合わせていない。福祉職員という仕事に就いているのは、善意を要求される仕事をしていれば自分も善意に似たものを持てるようになるかもしれないという期待があるからでもある。
どのような職域にも真のプロフェッショナルと呼ばれるべき人とそうでない人がいる。私は後者である。感情的であることとプロフェッショナルであることは相反することがあるが、感情を動かすほど強く根差した価値観がその人をプロフェッショナルたらしめることもある。福祉従事者として真のプロフェッショナルであるためにも私は善意を獲得することを望む。
プロフェッショナルの姿は一つではない。善意にも様々ある。私には私のスタイルがあってよいのだと思う一方で、それは安易であったり凡庸であったりしてはならないとも思う。プロであることの難しさは自己を持つことの難しさを含むような気がしている。
そして件の若干名の利用者への対応に加わると私もそれなりに疲労する。私は彼らから信頼を置かれていないこともあって彼らのほうが私の対応を求めることは少ないものの、対応の発生はやはり皆無ではないので他に抱えている業務はなかなか進まない。
その状況は上長も先輩達も同じである。しかし3人によれば彼らの疲労には感情的な要素が多く含まれるということで、単に手数を要するとか時間のやりくりをせねばならないということだけではないらしい。
現在の業務状況についてそれぞれどんな思いを抱いているか、という主題で最近職員同士で話し合った。上司と先輩たちはそれぞれ件の利用者達への対応に際して葛藤や懊悩を抱えているようであった。
「Nさん(私)はどうですか」と上長は私へも尋ねた。「疲れませんか、彼らの相手をしていて」
私は何か答えようとして逡巡した。他の職員よりも疲労の度合いが小さそうな私は、もしその通りであれば楽をし過ぎているかもしれない。
「まあ多少は」私は結局曖昧に答えた。
その後も続いた会話を聞いていて、私は上長と先輩達が私の持たない見識と技術を持っているだけでなく、仕事の対象である施設利用者に対する善意をも有していると感じた。そして彼らがその善意から生じる大きな苦痛や疲労を経験しているのではないかと考えた。
私は他人に対して善意の欠片も持ち合わせていない。福祉職員という仕事に就いているのは、善意を要求される仕事をしていれば自分も善意に似たものを持てるようになるかもしれないという期待があるからでもある。
どのような職域にも真のプロフェッショナルと呼ばれるべき人とそうでない人がいる。私は後者である。感情的であることとプロフェッショナルであることは相反することがあるが、感情を動かすほど強く根差した価値観がその人をプロフェッショナルたらしめることもある。福祉従事者として真のプロフェッショナルであるためにも私は善意を獲得することを望む。
プロフェッショナルの姿は一つではない。善意にも様々ある。私には私のスタイルがあってよいのだと思う一方で、それは安易であったり凡庸であったりしてはならないとも思う。プロであることの難しさは自己を持つことの難しさを含むような気がしている。
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