freescaleII さんの日記
2021
10月
4
(月)
10:45
本文
昨日はラザーニャを作りました。
専用の型が無かったのでグラタン皿に作りました。

二軒隣のお婆ちゃんに少し上げたらとても美味しいと喜んでくれました。
まあ彼女を味見の実験台にしただけですが

この記念碑はあの東西統一の引き金となったLeipzig市民の平和と出国の自由を求めるデモがここから始まった事を記念してです。
共産党政権による個人の自由剥奪と過酷な弾圧に反対して人々が立ち上がりました。
しかし一つだけその頃の方が良かった事が有ります。それは「失業が無かった」ということです。
実質的には失業は有りましたが。
働かざる者食うべからずの社会ですから、例え嫌な無意味な仕事でも国から与えられたら拒否できませんでした。もしも従わなければ矯正施設に送られ、思想教育から鍛え直されます。もちろん強制労働も有ります。
例え親兄弟親族でも救う事は出来ません。
それは国家と社会の構成員である当人との問題です。
非建設的な反革命分子というレッテルが貼られます。
職業選択の自由は制限されており、ニートとかは嫌な仕事でも拒否できません。もちろん引きこもりは絶対に許されませんでした。両親も貧しく、そんな我儘を許すだけの収入も有りません。だいいちシュタージ(国家保安局)に敵のスパイで国家転覆の陰謀が有るのではと睨まれます。
誰かが家で特別の理由なく何もせずにゴロゴロしていたら当局が即介入し連行しました。そういった怠け者は社会の寄生虫とも呼ばれました。密告制度も有りすぐに見つかってしまいます。
時々旧東ドイツに生きて来た人達とその頃の話をしますが、私のような生き方は羨ましくも有り、想像もつかないそうです。
これは西側に生まれ、生きて来たからこそ出来たわけです。
私だって昔は長い髪でボロボロのジーンズで、まるでヒッピーのような時代が有りました。仲間は皆ハッシッシで一日中ポケーッとしていて...あいつら、今ごろどうなったのでしょうね。
ロンドンでバイトをしながら学校に通い、又放浪を続けていました。その後イスラエルに渡りキブツ集団で農業をしながらケニア行きを狙っていましたが、そのまま10月戦争に突入しました。
幸い私は親切なドイツ人の家庭に居候させて頂くことになり、その後いつまでも他人のお世話になるのは嫌なので、必死に仕事を探しました。最初に勤めたのはオーストラリア系の会社です。もちろん、どうでも良い仕事ではなく、自分の望んだ仕事でした。
最期にはドイツ系の会社のディレクターにまで上り詰めましたが、外国人に対してはまだまだ敷居の高かった時代ですから我ながら良くやったのではないかなと思っています。
とは言え個人としての自分を失ったとは思いません。充分に自己主張もして来ました。
人間としてのプライドも失った事は有りません。
外見なんかどうでも良いのです。野球選手になればユニフォームを着る、ボクサーになればトランクスを履く、会社に勤めて必要ならスーツを着る。すべて同じことです。
自己主張だとかで自分の好みの姿で仕事をする事に価値を置くとかの安っぽい意味では無く、ただプロとして報酬を受けるわけですから、それに相応しい服装をするだけです。
もっとも時代の流れで私も今は昔に戻ってジーンズばかりになりましたね。
息子の会社ではまだスーツでの仕事が要求されます。それで会社のイメージが作られるからです。
もちろんそれなりの給料はガッツリ頂いてますから。
意識革命をしたければしたい人が勝手にすれば良いでしょう。もちろんそれなりの代償も覚悟しなければなりません。
それが社会ですから。
専用の型が無かったのでグラタン皿に作りました。

二軒隣のお婆ちゃんに少し上げたらとても美味しいと喜んでくれました。
まあ彼女を味見の実験台にしただけですが


この記念碑はあの東西統一の引き金となったLeipzig市民の平和と出国の自由を求めるデモがここから始まった事を記念してです。
共産党政権による個人の自由剥奪と過酷な弾圧に反対して人々が立ち上がりました。
しかし一つだけその頃の方が良かった事が有ります。それは「失業が無かった」ということです。
実質的には失業は有りましたが。
働かざる者食うべからずの社会ですから、例え嫌な無意味な仕事でも国から与えられたら拒否できませんでした。もしも従わなければ矯正施設に送られ、思想教育から鍛え直されます。もちろん強制労働も有ります。
例え親兄弟親族でも救う事は出来ません。
それは国家と社会の構成員である当人との問題です。
非建設的な反革命分子というレッテルが貼られます。
職業選択の自由は制限されており、ニートとかは嫌な仕事でも拒否できません。もちろん引きこもりは絶対に許されませんでした。両親も貧しく、そんな我儘を許すだけの収入も有りません。だいいちシュタージ(国家保安局)に敵のスパイで国家転覆の陰謀が有るのではと睨まれます。
誰かが家で特別の理由なく何もせずにゴロゴロしていたら当局が即介入し連行しました。そういった怠け者は社会の寄生虫とも呼ばれました。密告制度も有りすぐに見つかってしまいます。
時々旧東ドイツに生きて来た人達とその頃の話をしますが、私のような生き方は羨ましくも有り、想像もつかないそうです。
これは西側に生まれ、生きて来たからこそ出来たわけです。
私だって昔は長い髪でボロボロのジーンズで、まるでヒッピーのような時代が有りました。仲間は皆ハッシッシで一日中ポケーッとしていて...あいつら、今ごろどうなったのでしょうね。
ロンドンでバイトをしながら学校に通い、又放浪を続けていました。その後イスラエルに渡りキブツ集団で農業をしながらケニア行きを狙っていましたが、そのまま10月戦争に突入しました。
幸い私は親切なドイツ人の家庭に居候させて頂くことになり、その後いつまでも他人のお世話になるのは嫌なので、必死に仕事を探しました。最初に勤めたのはオーストラリア系の会社です。もちろん、どうでも良い仕事ではなく、自分の望んだ仕事でした。
最期にはドイツ系の会社のディレクターにまで上り詰めましたが、外国人に対してはまだまだ敷居の高かった時代ですから我ながら良くやったのではないかなと思っています。
とは言え個人としての自分を失ったとは思いません。充分に自己主張もして来ました。
人間としてのプライドも失った事は有りません。
外見なんかどうでも良いのです。野球選手になればユニフォームを着る、ボクサーになればトランクスを履く、会社に勤めて必要ならスーツを着る。すべて同じことです。
自己主張だとかで自分の好みの姿で仕事をする事に価値を置くとかの安っぽい意味では無く、ただプロとして報酬を受けるわけですから、それに相応しい服装をするだけです。
もっとも時代の流れで私も今は昔に戻ってジーンズばかりになりましたね。
息子の会社ではまだスーツでの仕事が要求されます。それで会社のイメージが作られるからです。
もちろんそれなりの給料はガッツリ頂いてますから。

意識革命をしたければしたい人が勝手にすれば良いでしょう。もちろんそれなりの代償も覚悟しなければなりません。
それが社会ですから。

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