freescaleII さんの日記
2021
10月
1
(金)
21:53
本文
今日は早起きして大腸内視鏡検査に行って来ました。10年ぶりでしょうか。
あまり楽しくない検査です。
来週は上部消化管内視鏡検査が有り、これでひと通りの検査が終わります。
この検査は消化器内視鏡専門医で行われます。当たり前か....
そこはフェルデイナンド-ローデ-シュトラッセに有ります。この通りは前のブログの滝廉太郎の碑が立ち、そのころ滝が住んでいた通りの延長線上に有ります。
そして通称「音楽家の地区」と呼ばれているエリアで、メンデルスゾーン音大もその中に有ります。
検査は麻酔をかけられますので検査後は車の運転は禁止、行きは自分の車で、帰りは二軒隣の婆ちゃんに迎えに来てもらいました。
家で少し寝ましたので、この後歩いて車を取りに行く予定です。
公園を横切るだけだから始めから歩けば良かったじゃんと思われますがなにしろ朝7時半から始まりますので...(´ぅω・`)ネムイ
本題の森鴎外の話になりますが、彼がライプツィヒで最初の1年を過ごしたのが1884年11月22日–翌年10月11日迄ですから,1901年から結核のため帰国するまでのほんの5か月程滞在した滝廉太郎とは接点が無かったのですね。
しかし森は幸田露伴の妹で音楽家の幸田幸や、炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者ロバート・コッホと、コッホに師事した北里柴三郎とは面識が有ったようです。
森は軍医だからそうかも知れませんね。
有名な話では Auersbachという超有名なレストラン兼酒場です。
そこには森鴎外の大きな絵が描かれてあります。右の端の袴の人、他は知人と伝説上の悪魔・メフィストフェレスとそして悪魔と契約したファウスト博士です。
酒場に入りびたりだった放蕩学生のゲーテがそこで耳にした話を元にして書いたのがあの「ファウスト」で、後にそれを日本語に翻訳したのが軍医留学生だった森鴎外です
https://www.auerbachs-keller-leipzig.de/jp/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2.html
彼の日記には知ってる地名が沢山出て来ますので楽しく読んでいます。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%8D%A8%E9%80%B8%E6%97%A5%E8%A8%98
日記にはこんな事が書かれてました。
「吟歌の間は樂を奏す。軍樂隊を雇へるなり。諸生輩麥酒を喫す。其量驚く可し。獨逸の麥酒杯は殆ど半「リイテル」を容る。而して二十五杯を傾る者は稀なりと爲さず。乃ち十二「リイトル」半なり。余は僅かに三杯を喫することを得。是を極量と爲す。盖し諸生輩の嘲笑を免かる可らざる者あり。」
森もドイツ人の飲ん兵衛ぶりには呆れて居たようです。
あまり楽しくない検査です。
来週は上部消化管内視鏡検査が有り、これでひと通りの検査が終わります。
この検査は消化器内視鏡専門医で行われます。当たり前か....
そこはフェルデイナンド-ローデ-シュトラッセに有ります。この通りは前のブログの滝廉太郎の碑が立ち、そのころ滝が住んでいた通りの延長線上に有ります。
そして通称「音楽家の地区」と呼ばれているエリアで、メンデルスゾーン音大もその中に有ります。
検査は麻酔をかけられますので検査後は車の運転は禁止、行きは自分の車で、帰りは二軒隣の婆ちゃんに迎えに来てもらいました。
家で少し寝ましたので、この後歩いて車を取りに行く予定です。
公園を横切るだけだから始めから歩けば良かったじゃんと思われますがなにしろ朝7時半から始まりますので...(´ぅω・`)ネムイ
本題の森鴎外の話になりますが、彼がライプツィヒで最初の1年を過ごしたのが1884年11月22日–翌年10月11日迄ですから,1901年から結核のため帰国するまでのほんの5か月程滞在した滝廉太郎とは接点が無かったのですね。
しかし森は幸田露伴の妹で音楽家の幸田幸や、炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者ロバート・コッホと、コッホに師事した北里柴三郎とは面識が有ったようです。
森は軍医だからそうかも知れませんね。
有名な話では Auersbachという超有名なレストラン兼酒場です。
そこには森鴎外の大きな絵が描かれてあります。右の端の袴の人、他は知人と伝説上の悪魔・メフィストフェレスとそして悪魔と契約したファウスト博士です。
酒場に入りびたりだった放蕩学生のゲーテがそこで耳にした話を元にして書いたのがあの「ファウスト」で、後にそれを日本語に翻訳したのが軍医留学生だった森鴎外です
https://www.auerbachs-keller-leipzig.de/jp/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2.html
彼の日記には知ってる地名が沢山出て来ますので楽しく読んでいます。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%8D%A8%E9%80%B8%E6%97%A5%E8%A8%98
日記にはこんな事が書かれてました。
「吟歌の間は樂を奏す。軍樂隊を雇へるなり。諸生輩麥酒を喫す。其量驚く可し。獨逸の麥酒杯は殆ど半「リイテル」を容る。而して二十五杯を傾る者は稀なりと爲さず。乃ち十二「リイトル」半なり。余は僅かに三杯を喫することを得。是を極量と爲す。盖し諸生輩の嘲笑を免かる可らざる者あり。」
森もドイツ人の飲ん兵衛ぶりには呆れて居たようです。
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