freescaleII さんの日記
2021
9月
28
(火)
21:12
本文
メンデルスゾーン音楽大学の近くを歩くとこんな碑が立っています。
日本の官費留学生として、ここライプツイヒに滞在していた滝廉太郎です。
初めての男性アジア人の音楽留学生でした。
滝廉太郎については次のサイトに詳しく書かれています。
https://minnade.oita.jp/oitan/art/vol08/
それからこのyoutubeも興味深いですね。
けれども「憾」は残念に思うとか心残りに思うことで、誰かを「恨む」 の意味ではないそうです。タイトルも「Regret]ですからそれが正しいと思います。早くして逝った彼の気持ちを現わしてますね。自筆の楽譜にもドイツ語で「Bedauerlicherweise」と書いて有るから残念に思うで間違い無いでしょう。
しかしこのyoutubeの最後の思わせぶりが「恨む」を連想させるようで厭らしいです。
滝廉太郎:憾(うらみ)遺作です。
ここで幸田露伴の妹であり滝廉太郎の師であった幸田延女史の事です。音楽取調掛(現在の東京芸大に繋がる機関)の教授でした。
https://wan.or.jp/article/show/9570
「1908(明治41)年の頃でした。延とともに活躍していた女性教師グループに対抗する男性教師たちの反目が続き、当時のメディアは男性教師を援護する動きに出ました。」
ここで注目して欲しいのは「東京朝日新聞」も5回にわたり「憂うべき音楽界」と題した記事を仕立てました。凄まじい批判は瞬く間に世間を巡ったのです。」
朝日新聞はこの頃からすでにそういう体質だったのですね。
現代でも日本の音楽界にはそういった煩わしい権威主義や教授閥とかが有って、それを外れた優れた音楽家が海外に活路を見出しています。
最期にセロニアス・モンクの「荒城の月」を...
追加です:
日本の官費留学生として、ここライプツイヒに滞在していた滝廉太郎です。
初めての男性アジア人の音楽留学生でした。
滝廉太郎については次のサイトに詳しく書かれています。
https://minnade.oita.jp/oitan/art/vol08/
それからこのyoutubeも興味深いですね。
けれども「憾」は残念に思うとか心残りに思うことで、誰かを「恨む」 の意味ではないそうです。タイトルも「Regret]ですからそれが正しいと思います。早くして逝った彼の気持ちを現わしてますね。自筆の楽譜にもドイツ語で「Bedauerlicherweise」と書いて有るから残念に思うで間違い無いでしょう。
しかしこのyoutubeの最後の思わせぶりが「恨む」を連想させるようで厭らしいです。
滝廉太郎:憾(うらみ)遺作です。
ここで幸田露伴の妹であり滝廉太郎の師であった幸田延女史の事です。音楽取調掛(現在の東京芸大に繋がる機関)の教授でした。
https://wan.or.jp/article/show/9570
「1908(明治41)年の頃でした。延とともに活躍していた女性教師グループに対抗する男性教師たちの反目が続き、当時のメディアは男性教師を援護する動きに出ました。」
ここで注目して欲しいのは「東京朝日新聞」も5回にわたり「憂うべき音楽界」と題した記事を仕立てました。凄まじい批判は瞬く間に世間を巡ったのです。」
朝日新聞はこの頃からすでにそういう体質だったのですね。
現代でも日本の音楽界にはそういった煩わしい権威主義や教授閥とかが有って、それを外れた優れた音楽家が海外に活路を見出しています。
最期にセロニアス・モンクの「荒城の月」を...
追加です:
閲覧(2005)
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