tinc さんの日記
2021
7月
27
(火)
23:04
本文
私が義務教育を受けた時分はインターネットが普及し始めた頃で、中学校にもメディアリテラシーのような科目あるいは講義があってそこで「情報の取捨選択の重要性」が説かれていたと記憶している。今にして思えば情報を得てその取捨を選択するというのはなかなか高度な判断になることが多いので大事なことを教わっていたようだ。
そして今にしても私は自分が情報に対する何らかの判断力を持っているように思わない。例えば環境負荷を現在以上に低減する方法は「なるべくエコな製品やサービスを購入する」くらいしか思いつかないし、ブラック企業を利さないためにしていることは「ブラック企業の製品やサービスを購入しない」程度である。ものを買うか買わないかしか無いとは大した知恵だ。今まで何してたんだ?
私は義務教育期間当時から劣等生だった。自動車の速度を求める簡単な問題に負の値を回答したりしていたくらいだから、私に教育を施すのは教師としても虚しい体験であったと思う。現に私が小学校や中学校の履修内容を今振り返ったとしてどの程度頭に入っているかを考えると恐ろしいものがある。私の受けてきた教育のほうにも問題はあるだろうが私の今の体たらくはそれとは別の問題で、単に見込みの無い児童が見込みの無い生徒、見込みの無い会社員を歴て見込みの無いおっさんになったに過ぎない。
そのような経緯があるので私は見込みの無い面々と接するのを好む。生産性や如才無さ等の当たり前の要求に応えられない人々。いつどこへ行っても疎外され搾取される者たち。彼らは概ね私にも分かるように話をしてくれるし私の嫌がることをしないから、彼らと一緒に過ごすと私は気分が良い。私が大事にしていることを私に教えてくれたのは偉くも強くもない連中である。教育は無力ではない。彼らは私を教化する意図を持たなかったと思うが、おそらく学びとは思ったよりもそのへんに転がっているものなのだ。
私は私から見て見込みの無い者を簡単に片付けないようにしようと思う。汚い身なりでふらふらと歩く者、往来で奇声を上げる者、心の傷を掻きむしる者、今にも死にそうな者。無力な私には彼らへ施せるものは無く、彼らからしてもそれは願い下げということも多かろう。彼らから目を背けてしまうのは少なくとも一度は彼らを見たということだから、私は彼らの姿を多く記憶に残すつもりである。
事実を忘れてはならない。そして忘れてはならないことの多くを私は未だ知らない。
そして今にしても私は自分が情報に対する何らかの判断力を持っているように思わない。例えば環境負荷を現在以上に低減する方法は「なるべくエコな製品やサービスを購入する」くらいしか思いつかないし、ブラック企業を利さないためにしていることは「ブラック企業の製品やサービスを購入しない」程度である。ものを買うか買わないかしか無いとは大した知恵だ。今まで何してたんだ?
私は義務教育期間当時から劣等生だった。自動車の速度を求める簡単な問題に負の値を回答したりしていたくらいだから、私に教育を施すのは教師としても虚しい体験であったと思う。現に私が小学校や中学校の履修内容を今振り返ったとしてどの程度頭に入っているかを考えると恐ろしいものがある。私の受けてきた教育のほうにも問題はあるだろうが私の今の体たらくはそれとは別の問題で、単に見込みの無い児童が見込みの無い生徒、見込みの無い会社員を歴て見込みの無いおっさんになったに過ぎない。
そのような経緯があるので私は見込みの無い面々と接するのを好む。生産性や如才無さ等の当たり前の要求に応えられない人々。いつどこへ行っても疎外され搾取される者たち。彼らは概ね私にも分かるように話をしてくれるし私の嫌がることをしないから、彼らと一緒に過ごすと私は気分が良い。私が大事にしていることを私に教えてくれたのは偉くも強くもない連中である。教育は無力ではない。彼らは私を教化する意図を持たなかったと思うが、おそらく学びとは思ったよりもそのへんに転がっているものなのだ。
私は私から見て見込みの無い者を簡単に片付けないようにしようと思う。汚い身なりでふらふらと歩く者、往来で奇声を上げる者、心の傷を掻きむしる者、今にも死にそうな者。無力な私には彼らへ施せるものは無く、彼らからしてもそれは願い下げということも多かろう。彼らから目を背けてしまうのは少なくとも一度は彼らを見たということだから、私は彼らの姿を多く記憶に残すつもりである。
事実を忘れてはならない。そして忘れてはならないことの多くを私は未だ知らない。
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