tinc さんの日記
2021
7月
23
(金)
21:47
本文
私のかつてのパート先の飲食店にはカラオケの設備が設置されていた。現場従業員は一時期には女性のみで構成されていたが私の採用以後は男性が増え、年齢も経歴も様々なパート仲間の間では個人的な交流が生じ、閉店後にみんなで店のカラオケで遊ぶということも行われるようになった。私も歌うことがあったが、私は歌うと正しく音程を取れる箇所のほうが少ないくらいのひどい音痴であり、笑ってもらえればまだ良いほう、人によっては私の歌を聞くと顔が歪むくらい不快になるということもあるほどであったので、閉店後にはなるべく早く退店するようにしていた。
ある日私は一人のパート仲間から「Nさん(私)は最近カラオケやらないんですか?」と声を掛けられた。
「下手なので」と私が答えると彼は目をぱちくりさせ、「Nさんが歌ってるところ格好いいですよ。また歌ってほしいです」と言った。私は面食らいながらも、「わざわざすみません。またそのうちに」と答えた。
この彼を仮にKさんと呼ぶ。
Kさんは有名な私立大学に通う若い男性であった。眉目秀麗であることと接遇が丁寧であることから常連客の間でもてはやされていたようで、当時パートリーダーという立場であった私は店のオーナーから「Kくんにはよくしてやって。辞められると困るから」と何度も言われていた。Kさんはそのような人気や雇い主からの重用にも甘えることなく、いつも手間のかかる雑用や暑さ寒さの最中の屋外の業務などを率先して黙々と行っていた。私には他のパート仲間とのシフトも楽しかったが、Kさんと一緒の時は連絡の齟齬が殆ど無く業務の進捗も分かりやすかったので彼にはとても感謝していた。
Kさんはある時私へ「Nさんは死にたいと思ったことがありますか。死について何か考えることがありますか」と尋ねた。
私は「ありますね」と答えた。
「死んだらどうなるんですかね」Kさんは言った。
「私には分かりません。死についてはいろいろなことが言われていますが、それでも分からないくらいだから分からないんでしょう」
「ぼく、死ぬほうが楽だと思うことがあるんですよ」
「ええ」
「でも自殺すると地獄に落ちるっていうことも聞いて、そうかもしれないと思うと怖くて」
「そうですか」
「Nさんはどう思いますか」
私は少し考え、死について自分の考えるところを述べた。死は重大なものであるということだけが知られていて、死に関する事実は殆ど知られていない。重大なことに関して事実が明らかでない場合、人の間には噂が立つ。死についてもおそらくそうで、死について知りたいが知り得ないので人は噂をするように死について何かの話を作るのであろう。人はいずれ死ぬという事実から、だから何をするのもむなしいという結論と、だから精一杯のことをするべきだという結論の両方が導かれる。死は検証の困難なものであり、検証の困難なものについて語ることはやはり困難である。概ねそのような内容であった。
「噂ですか」とKさんは言った。「噂だとすれば、あまり真に受けないほうがいいんですかね」
「噂を真に受けたがる人もいますが、私はやめたほうがいいと思いますね」
その後は黙々と二人で清掃作業を続けた。新規の来店は無いまま閉店時刻が来て、二人でカラオケをして遅くに帰った。
そのパート先を私が去って暫く経つ今も、Kさんはたまに私に連絡をくれる。
直近の連絡では大学を卒業した後就職するか大学院へ進学するかについて考えているということであった。私は例によって内容の無い相槌と、ご自身の判断を信用するのがよろしかろうという一般論の返答で済ませた。彼は「世間の評価も噂みたいなものかと思っています」と言い、私は「私もそう思います」と答えた。
壮年の人はよく若いやつが頑張っていることを喜ぶように思う。私にもそういう気持ちは無いわけではないものの、若い人には若い人なりの苦労もあり、しかもその苦労が社会の状況や構造に由来するものである場合その苦労は私のせいでもある。だからただ頑張れというのは好きでない。何かを言うほど立派にはなれなかった。せいぜい追及を受けた時につまらん言い訳をしないようにしておこうと思う。
ある日私は一人のパート仲間から「Nさん(私)は最近カラオケやらないんですか?」と声を掛けられた。
「下手なので」と私が答えると彼は目をぱちくりさせ、「Nさんが歌ってるところ格好いいですよ。また歌ってほしいです」と言った。私は面食らいながらも、「わざわざすみません。またそのうちに」と答えた。
この彼を仮にKさんと呼ぶ。
Kさんは有名な私立大学に通う若い男性であった。眉目秀麗であることと接遇が丁寧であることから常連客の間でもてはやされていたようで、当時パートリーダーという立場であった私は店のオーナーから「Kくんにはよくしてやって。辞められると困るから」と何度も言われていた。Kさんはそのような人気や雇い主からの重用にも甘えることなく、いつも手間のかかる雑用や暑さ寒さの最中の屋外の業務などを率先して黙々と行っていた。私には他のパート仲間とのシフトも楽しかったが、Kさんと一緒の時は連絡の齟齬が殆ど無く業務の進捗も分かりやすかったので彼にはとても感謝していた。
Kさんはある時私へ「Nさんは死にたいと思ったことがありますか。死について何か考えることがありますか」と尋ねた。
私は「ありますね」と答えた。
「死んだらどうなるんですかね」Kさんは言った。
「私には分かりません。死についてはいろいろなことが言われていますが、それでも分からないくらいだから分からないんでしょう」
「ぼく、死ぬほうが楽だと思うことがあるんですよ」
「ええ」
「でも自殺すると地獄に落ちるっていうことも聞いて、そうかもしれないと思うと怖くて」
「そうですか」
「Nさんはどう思いますか」
私は少し考え、死について自分の考えるところを述べた。死は重大なものであるということだけが知られていて、死に関する事実は殆ど知られていない。重大なことに関して事実が明らかでない場合、人の間には噂が立つ。死についてもおそらくそうで、死について知りたいが知り得ないので人は噂をするように死について何かの話を作るのであろう。人はいずれ死ぬという事実から、だから何をするのもむなしいという結論と、だから精一杯のことをするべきだという結論の両方が導かれる。死は検証の困難なものであり、検証の困難なものについて語ることはやはり困難である。概ねそのような内容であった。
「噂ですか」とKさんは言った。「噂だとすれば、あまり真に受けないほうがいいんですかね」
「噂を真に受けたがる人もいますが、私はやめたほうがいいと思いますね」
その後は黙々と二人で清掃作業を続けた。新規の来店は無いまま閉店時刻が来て、二人でカラオケをして遅くに帰った。
そのパート先を私が去って暫く経つ今も、Kさんはたまに私に連絡をくれる。
直近の連絡では大学を卒業した後就職するか大学院へ進学するかについて考えているということであった。私は例によって内容の無い相槌と、ご自身の判断を信用するのがよろしかろうという一般論の返答で済ませた。彼は「世間の評価も噂みたいなものかと思っています」と言い、私は「私もそう思います」と答えた。
壮年の人はよく若いやつが頑張っていることを喜ぶように思う。私にもそういう気持ちは無いわけではないものの、若い人には若い人なりの苦労もあり、しかもその苦労が社会の状況や構造に由来するものである場合その苦労は私のせいでもある。だからただ頑張れというのは好きでない。何かを言うほど立派にはなれなかった。せいぜい追及を受けた時につまらん言い訳をしないようにしておこうと思う。
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