freescaleII さんの日記
2021
7月
15
(木)
20:22
本文
総てはここから始まった。黒幕はソ連。
「1979年12月24日、ソ連はアフガニスタンへ軍事侵攻を開始した。ブレジネフソビエト連邦共産党書記長はソ連国内へイスラム原理主義が飛び火することを恐れての侵略であるといわれている。12月27日、ソ連はムジャーヒディーンを抑えられないアミーンをKGBを使って暗殺、バブラク・カールマル副議長を革命評議会議長兼大統領兼首相に擁立する。ソ連軍および政府軍とムジャーヒディーンの戦闘が激化する。
1982年、国連総会において外国軍の撤退を要求する国連決議(37/37)が採択される。
1987年、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。国名をアフガニスタン共和国に戻す。
1988年、「アフガニスタンに関係する事態の調停のための相互関係に関する協定」が締結。ソ連軍の撤退と国際連合アフガニスタン・パキスタン仲介ミッション設置が決定される。
1989年、ソ連軍撤退完了(10万人)。各国からのムジャーヒディーンの多くも国外へ引き上げる。戦後には武器が大量に残され、ムジャーヒディーンからタリバーン政権が誕生し、さらにはアルカーイダが誕生した。
ターリバーンとの戦い」
その頃の平和運動家は黙認した。いや似非平和運動家かな。
若い世代はそんなことが有ったなんて知らないけれども、私の記憶の中ではまだまだ生々しい。
そもそも平和運動家は親ソ、親中のインターナル運動家のイニシアティブだから基本的に反米主義の原理主義者達。
いまでも姿勢はあまり変わっていない。
いや変わったかな? 昔はインターナショナル活動家、今はリベラル主義と着ぐるみを変えた。
ハピスロのメンバーにもこの歌で目頭が熱くなる人がいるのでは。
元々はフランス革命歌でしたが。
「ソビエト共産党日本支部」は現「日本共産党」になりました。
日本共産党も不思議な政党です。「護憲」を掲げながら「憲法で定められた天皇制度」の廃止とは? 矛盾していますね。ちなみにドイツでは「共産党」は違憲で禁止です。
その点毛沢東は偉かった。それがソ連のソ連によるソ連の為のインターナショナル運動だと気づいていましたから。
そこで彼はスターリン以上の粛清、虐殺をしまして、中華民族の中華民族による中華民族の為のインターナショナル運動となりました。本当はただの権力闘争でしたが。
侵略し占領した多民族への抑圧、弾圧は綿々と続いています。
昔は短波で北京放送が破壊的な大電力で宣伝放送やってました。
そのテーマソングでした。
そういえば昔学校で習った歌にはロシア民謡が多かった。学校の先生による音楽をとおした生徒への洗脳活動だったのかも。カチューシャとか働く歌とか、歌声喫茶「ともしび」が日本共産党の下部オルグ組織と知ったのはかなり後でした。
あのフランス革命でもやはり沢山の無実の人の血が流れ、粛清、処刑などが行われました。
そのフランス革命のシンボルである赤旗はそういった犠牲者の流した血の色に見えます。
インターナショナル歌は狂気の咆哮?
向田邦子の作品を見ていて思い出しましたが、彼女の作品にはこの曲が良く出て来ます。その頃のインテリ層という時代の背景ですね。
彼女自身も「赤旗」の購読者でしたし、良く勉強していたのでしょうね。
ところで皆さん、ここに書かれたのは政治活動では有りませんので悪しからず。歴史の記憶のリフレッシュです。
インターナショナル・シンパには不愉快でしょうが。
「1979年12月24日、ソ連はアフガニスタンへ軍事侵攻を開始した。ブレジネフソビエト連邦共産党書記長はソ連国内へイスラム原理主義が飛び火することを恐れての侵略であるといわれている。12月27日、ソ連はムジャーヒディーンを抑えられないアミーンをKGBを使って暗殺、バブラク・カールマル副議長を革命評議会議長兼大統領兼首相に擁立する。ソ連軍および政府軍とムジャーヒディーンの戦闘が激化する。
1982年、国連総会において外国軍の撤退を要求する国連決議(37/37)が採択される。
1987年、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。国名をアフガニスタン共和国に戻す。
1988年、「アフガニスタンに関係する事態の調停のための相互関係に関する協定」が締結。ソ連軍の撤退と国際連合アフガニスタン・パキスタン仲介ミッション設置が決定される。
1989年、ソ連軍撤退完了(10万人)。各国からのムジャーヒディーンの多くも国外へ引き上げる。戦後には武器が大量に残され、ムジャーヒディーンからタリバーン政権が誕生し、さらにはアルカーイダが誕生した。
ターリバーンとの戦い」
その頃の平和運動家は黙認した。いや似非平和運動家かな。
若い世代はそんなことが有ったなんて知らないけれども、私の記憶の中ではまだまだ生々しい。
そもそも平和運動家は親ソ、親中のインターナル運動家のイニシアティブだから基本的に反米主義の原理主義者達。
いまでも姿勢はあまり変わっていない。
いや変わったかな? 昔はインターナショナル活動家、今はリベラル主義と着ぐるみを変えた。
ハピスロのメンバーにもこの歌で目頭が熱くなる人がいるのでは。
元々はフランス革命歌でしたが。
「ソビエト共産党日本支部」は現「日本共産党」になりました。
日本共産党も不思議な政党です。「護憲」を掲げながら「憲法で定められた天皇制度」の廃止とは? 矛盾していますね。ちなみにドイツでは「共産党」は違憲で禁止です。
その点毛沢東は偉かった。それがソ連のソ連によるソ連の為のインターナショナル運動だと気づいていましたから。
そこで彼はスターリン以上の粛清、虐殺をしまして、中華民族の中華民族による中華民族の為のインターナショナル運動となりました。本当はただの権力闘争でしたが。
侵略し占領した多民族への抑圧、弾圧は綿々と続いています。
昔は短波で北京放送が破壊的な大電力で宣伝放送やってました。
そのテーマソングでした。
そういえば昔学校で習った歌にはロシア民謡が多かった。学校の先生による音楽をとおした生徒への洗脳活動だったのかも。カチューシャとか働く歌とか、歌声喫茶「ともしび」が日本共産党の下部オルグ組織と知ったのはかなり後でした。
あのフランス革命でもやはり沢山の無実の人の血が流れ、粛清、処刑などが行われました。
そのフランス革命のシンボルである赤旗はそういった犠牲者の流した血の色に見えます。
インターナショナル歌は狂気の咆哮?
向田邦子の作品を見ていて思い出しましたが、彼女の作品にはこの曲が良く出て来ます。その頃のインテリ層という時代の背景ですね。
彼女自身も「赤旗」の購読者でしたし、良く勉強していたのでしょうね。
ところで皆さん、ここに書かれたのは政治活動では有りませんので悪しからず。歴史の記憶のリフレッシュです。
インターナショナル・シンパには不愉快でしょうが。
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