tinc さんの日記
2021
7月
7
(水)
18:47
本文
デニムといえばレザー、レザーといえばデニム、と私は勝手に思っていたのだが、デニムが文化的に大きく後退し一部の人々の愛好するものとなった現在も革製品の勢いはさほど衰えていない。考えてみれば革製品にはデニムのそれとは比較にならないほど長い歴史があり、用途も衣類や服飾雑貨に留まらないのだから当然かもしれない。
それでも以前とは随分変わったと感じることも多い。例えば日本においては豚革というと安くて悪いものという印象が根強かったようで、現在ではその印象は弱体化している。また馬革は一時期ヴィンテージアイテムの愛好家達の間できわめて高い評価を受け製品の価格も高騰したのを経て現在は落ち着きつつあるようだ。毛皮は厳密には皮革ではないのかもしれないが人間側の倫理的な成長もあって昔のような高い評価をもう得ていない。
物をめぐる価値観の変遷を追うと面白い。私は特に一度好きになったものをずっと好きでいるほうなので、時に他の人が同じものをどう捉えているかを見聞きすると新鮮な観点を得られる。
先にデニムが文化的に後退したと述べたが、前回ジーンズを企画しようと思っていくつかの生地問屋へ問い合わせを行った際には、どこも私が求める生地を持っていなかった。その類のデニム生地には高値がついてしまって安売りを旨とする店には回ってこないということが一様に返ってきた。ファッション全体の90年代化の中で同時代に人気を博した硬く重い生地が再び需要を得ているのか、あるいはそういう生地を愛好する人が更に減って希少化が進行しているのかは定かでないものの、周囲で何かの変動があれば私も否応無くその影響を受けるのだということを実感する事態であった。
私はしばしば勘違いをする。今たまたまそこにあるものを、ずっと当たり前にどこにでもあるものであると思ってしまう。実際には大切な人も大事なものもいつかどこかへ行ってしまう。直近の例で云えば私は顔にマスクを着けずに夜遅くまで遊び歩く楽しみや、知り合いと気軽に対面して話し込む喜びを失った。
そして本当は、あるウィルスが猛威を振るうずっと前から問題は山積していた。戦争、貧困、虐待、事故、環境破壊、差別、いじめ、風説。遠いところで起こる大規模なものも、隣の部屋で起こる小さなものも。私はそれらについて話に聞いて知っていた。だが聞いて驚かないでほしい、私はそれらがどこかで常に進行しているのを知りながら何もしなかったのだ。なぜ、と問われると答えられない。罪悪感からではない。本当に分からないのだ。自分の狭小な日常を当たり前のものだと思っていて、みんながそんな暮らしをしているとでも信じたがっていたのかもしれない。私は私でやることがあってそれに手一杯だったというのも全くの嘘ではない。でも本当でもない。少なくとも以前から「優先順位」という言葉を知っていたから。
蒸し暑く不快な季節が今年もやってきて、私は顔をしかめている。
不快どころではない思いをしている者たちへ向ける顔はずっと前から無い。
それでも以前とは随分変わったと感じることも多い。例えば日本においては豚革というと安くて悪いものという印象が根強かったようで、現在ではその印象は弱体化している。また馬革は一時期ヴィンテージアイテムの愛好家達の間できわめて高い評価を受け製品の価格も高騰したのを経て現在は落ち着きつつあるようだ。毛皮は厳密には皮革ではないのかもしれないが人間側の倫理的な成長もあって昔のような高い評価をもう得ていない。
物をめぐる価値観の変遷を追うと面白い。私は特に一度好きになったものをずっと好きでいるほうなので、時に他の人が同じものをどう捉えているかを見聞きすると新鮮な観点を得られる。
先にデニムが文化的に後退したと述べたが、前回ジーンズを企画しようと思っていくつかの生地問屋へ問い合わせを行った際には、どこも私が求める生地を持っていなかった。その類のデニム生地には高値がついてしまって安売りを旨とする店には回ってこないということが一様に返ってきた。ファッション全体の90年代化の中で同時代に人気を博した硬く重い生地が再び需要を得ているのか、あるいはそういう生地を愛好する人が更に減って希少化が進行しているのかは定かでないものの、周囲で何かの変動があれば私も否応無くその影響を受けるのだということを実感する事態であった。
私はしばしば勘違いをする。今たまたまそこにあるものを、ずっと当たり前にどこにでもあるものであると思ってしまう。実際には大切な人も大事なものもいつかどこかへ行ってしまう。直近の例で云えば私は顔にマスクを着けずに夜遅くまで遊び歩く楽しみや、知り合いと気軽に対面して話し込む喜びを失った。
そして本当は、あるウィルスが猛威を振るうずっと前から問題は山積していた。戦争、貧困、虐待、事故、環境破壊、差別、いじめ、風説。遠いところで起こる大規模なものも、隣の部屋で起こる小さなものも。私はそれらについて話に聞いて知っていた。だが聞いて驚かないでほしい、私はそれらがどこかで常に進行しているのを知りながら何もしなかったのだ。なぜ、と問われると答えられない。罪悪感からではない。本当に分からないのだ。自分の狭小な日常を当たり前のものだと思っていて、みんながそんな暮らしをしているとでも信じたがっていたのかもしれない。私は私でやることがあってそれに手一杯だったというのも全くの嘘ではない。でも本当でもない。少なくとも以前から「優先順位」という言葉を知っていたから。
蒸し暑く不快な季節が今年もやってきて、私は顔をしかめている。
不快どころではない思いをしている者たちへ向ける顔はずっと前から無い。
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