tinc さんの日記
2021
7月
3
(土)
00:28
本文
私の顔面は殆どほっぺたから構成されていると言って過言ではない。特段太っているわけではないものの頬と顎の骨が長大に張り出しており、それらの頂点を結ぶ地平線まで見える平原のような皮膚が巨大なほっぺたを成している。写真を載せるようなことはできないが、こう書いておけば写真など無くともどこかで私を見た人は私だと分かるくらいのほっぺたであるので、こと私に関する限り首と頭部の間にあるものを顔面と呼ばずほっぺた面と呼んで差し支え無い。
真に驚くべきは私がこの自身の相貌の大きな特徴に気付いたのが昨日のことであることである。具体的には昨日の正午くらいに身体の不調で職場を早退してきて自宅へ戻り、暫く休んだ後にシャワーを浴びに脱衣所へ行って鏡を見た時のことである。私は自身のほっぺたの広大さ自体と同じくらい、自分がこの年齢になるまで自身の顔(ほっぺた)の特徴に気付かずに過ごしていたことに愕然とした。
以前から鏡を見る度に何となく奇妙な印象を受けていたのに何がどう奇妙であるのかは把握できないままで、把握できないまま一生が過ぎるのであろうと考えていたのが覆ったのであった。広大なほっぺたに気付いた瞬間から10分近くの間、私は不調も忘れてまじまじと鏡を見ていた。
私の顔(ほっぺた)を見ていて気分が悪いのは、他の多くの人の顔面にも配置されている目鼻や口といった要素がほっぺたと比較してとても小さく、パースの狂ったのっぺらぼうのような不気味な印象だからだと思う。
しかしそのような特徴であっても言語化されることによって幾ばくかの客観性を帯びたことでさほどの恐怖ではなくなった。むしろ当座は面白がって遊べるくらいのものなので、自撮り写真を集めてだまし絵みたいなものを作れないか等想像して楽しんでいる。
世の中知らないことだらけというのが私の常識である。自身の顔が顔でなくほっぺたであることも知らなかった私は、たぶん自覚している以上に何も知らない。だから今日のように面白い驚きにも出くわすのである。
真に驚くべきは私がこの自身の相貌の大きな特徴に気付いたのが昨日のことであることである。具体的には昨日の正午くらいに身体の不調で職場を早退してきて自宅へ戻り、暫く休んだ後にシャワーを浴びに脱衣所へ行って鏡を見た時のことである。私は自身のほっぺたの広大さ自体と同じくらい、自分がこの年齢になるまで自身の顔(ほっぺた)の特徴に気付かずに過ごしていたことに愕然とした。
以前から鏡を見る度に何となく奇妙な印象を受けていたのに何がどう奇妙であるのかは把握できないままで、把握できないまま一生が過ぎるのであろうと考えていたのが覆ったのであった。広大なほっぺたに気付いた瞬間から10分近くの間、私は不調も忘れてまじまじと鏡を見ていた。
私の顔(ほっぺた)を見ていて気分が悪いのは、他の多くの人の顔面にも配置されている目鼻や口といった要素がほっぺたと比較してとても小さく、パースの狂ったのっぺらぼうのような不気味な印象だからだと思う。
しかしそのような特徴であっても言語化されることによって幾ばくかの客観性を帯びたことでさほどの恐怖ではなくなった。むしろ当座は面白がって遊べるくらいのものなので、自撮り写真を集めてだまし絵みたいなものを作れないか等想像して楽しんでいる。
世の中知らないことだらけというのが私の常識である。自身の顔が顔でなくほっぺたであることも知らなかった私は、たぶん自覚している以上に何も知らない。だから今日のように面白い驚きにも出くわすのである。
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