ピコちゃん さんの日記
2021
6月
23
(水)
17:36
本文
NHK 事件の涙
『優希とともにずっと・・・』
附属池田小事件 遺族の20年
娘の最後の「68歩」を支えに
ちょっとUPが遅れました。
あの事件からもう20年も経ったのですね?
先日、ひまわりのように明るく笑う可愛らしい女の子の写真が目に飛び込んできました。その事件で、わずか7歳で命を奪われた本郷優希ちゃんでした。
安全なはずの学校で起こった残忍な事件は、社会を震撼とさせましたね。わたしも当時あまりの衝撃に呆然としました。
改めて番組を観て、切なくて悲痛の涙しました。
※以下番組の音源を文字に起こし編集。
--------------------------
大阪教育大学付属池田小事件
今から20年前の6月8日
刃物を持った男が、児童と教員を無差別に切りつけた。
8人が死亡、15人が重軽傷を負った。
その中の一人の遺族
本郷由美子さん(55歳)
なぜ娘は殺されなければならなかったのか?
「ただただ悲しかった…
(この20年間)
時間は流れているが
自分の中では止まっていた」
そんな中、ある事実を知った。
ゆきちゃんは致命傷を負いながらも
最後まで懸命に生きようとしていた。
見たかった・・
花嫁衣裳に身を包み
幸せそうに微笑む娘
(生きていれば27歳)
どんな若者になっていたのか?
会いたいし その成長も見たい
命を奪われた娘の為に
自分はどう生きればいいのか?
答えを探し続ける母親の日々を
(番組は)見つめてきた。
本郷さんは次女の進学を機に
7年前から都内で暮らしている。
今仕事のひとつにしているのは、
ホスピスでの寄り添い。
そこには身寄りがなく
余命わずかな人が
およそ20人暮らしていた。
身の回りの世話や話し相手を勤める。
最後に寄り添う事も少なくない。
この仕事を始めたのは
事件後、人に支えられ生きて来たからだと話す。
人を支えることで自分も支えられる
…そう語る。
元には戻れない。
生きているわたしはこのことを抱えながら
どう生きていけばいいんだろう?
残された自分に何ができるのか?
娘に語り続けてきた。
ゆきちゃんが
1年生の時書いた将来のゆめは
〝学校の先生″
教育実習の学生に憧れていた。
<<作 文>>
『 大きくなったら
教生の先生になりたい。
なぜかとゆうと
おもいでがたくさんできるし
たのしいから 』
しかし
これを書いた一年後
事件に巻き込まれた。
あの日
男は刃物を持って学校に侵入した。
最初に襲ったのは
ゆきちゃんのいる2年南組
・・・
男は動機について
「エリートでインテリな子を
沢山殺せば確実に死刑になると思った」
などと供述。
そんな理由で
全く関係のないゆきちゃんら
8人の命を奪った。
今の自分を支えているのは
娘、ゆきちゃんの壮絶な最期だと語る。
当初、即死したと見られていた優希ちゃん、
現場検証で全く違う事実が判った。
~教室から廊下に出たゆきちゃんは
出口に向かって懸命に歩いていた…
その距離
本郷さんの歩幅で68歩
39mあった~
何度も凶器を振りかざされた時の恐怖は
どれほどだったのだろう?
生きたいと望み
意識が薄れている時
あの子の脳裏には
どんな思いが浮かんだのだろう?
彼女の受けた苦しみ
つらさ、悲しさ、絶望を
親である私は
どうしたらわかってあげられるのか?
激しい自責の念と無力感。
本郷さんは
毎日のように廊下に通(かよ)った
娘は最期に何を思ったのか?
床に頬ずりし触れるなかで
〝有る思い″を抱くようになった。
優希という名は
「夢と希望を持ち続けてね
何ごとも最後まであきらめないでね
必ず夢はかなうから!」
と
思いを込めて名付けたことを
話して聞かせた。
きっと、
その言葉を思い出し
その言葉を信じて・・
「ママ、パパ、助けて!
ゆき、がんばる!
生きる希望を持って
最後まであきらめないよ!」
そう思いながら頑張ったのでしょう。
死力を尽くして
この子が伝えようとしたことは
それだけではなく
生きることの素晴らしさとか尊さを
一歩一歩伝えたのだ…と
わたしは感じてきたのだ。
娘の最期が教えてくれたこと。
それを胸に
少しでも前を向こうと考えた。
それでも、
あの日の事を考えると
押しつぶされそうになる。
一緒に過ごせた
7年3カ月と7日という
毎日が記念日だったな・・
ゆきと逢えなくなって
20年になるんだね?
どんな大人になっていたのかな・・
~人を本気で憎むって
見えている者すべてが
同じく醜く見えてしまう
それがすごく苦しかった
そのとき自分の心まで奪われたくない
そう思った。
犯人を憎むと
娘も哀しい顔をしている・・
そういう姿しか見えなくて
命の大切さを
伝えたいことを
メッセージで受けたのであれば・・
憎しみにエネルギーを注ぐのではなく
違う方向に変えてゆきたい~
今年3月1日、ゆきちゃんお誕生日
由美子さんはこう語りかけた
『ゆき お誕生日おめでとう
「お空からママのところがいい
って選んできたの」
なんて
かわいい事を言ってくれた時の笑顔…
今でもはっきり覚えています。
私をお母さんに選んでくれて
ありがとうね』
今年も「祈りと誓いの集い」で、犠牲になった8人の名を刻んだ塔の鐘が鳴らされました。
改めて、事件で命を落とされた児童八名のご冥福をこころよりお祈りいたします。合掌
『優希とともにずっと・・・』
附属池田小事件 遺族の20年
娘の最後の「68歩」を支えに
ちょっとUPが遅れました。
あの事件からもう20年も経ったのですね?
先日、ひまわりのように明るく笑う可愛らしい女の子の写真が目に飛び込んできました。その事件で、わずか7歳で命を奪われた本郷優希ちゃんでした。
安全なはずの学校で起こった残忍な事件は、社会を震撼とさせましたね。わたしも当時あまりの衝撃に呆然としました。
改めて番組を観て、切なくて悲痛の涙しました。
※以下番組の音源を文字に起こし編集。
--------------------------
大阪教育大学付属池田小事件
今から20年前の6月8日
刃物を持った男が、児童と教員を無差別に切りつけた。
8人が死亡、15人が重軽傷を負った。
その中の一人の遺族
本郷由美子さん(55歳)
なぜ娘は殺されなければならなかったのか?
「ただただ悲しかった…
(この20年間)
時間は流れているが
自分の中では止まっていた」
そんな中、ある事実を知った。
ゆきちゃんは致命傷を負いながらも
最後まで懸命に生きようとしていた。
見たかった・・
花嫁衣裳に身を包み
幸せそうに微笑む娘
(生きていれば27歳)
どんな若者になっていたのか?
会いたいし その成長も見たい
命を奪われた娘の為に
自分はどう生きればいいのか?
答えを探し続ける母親の日々を
(番組は)見つめてきた。
本郷さんは次女の進学を機に
7年前から都内で暮らしている。
今仕事のひとつにしているのは、
ホスピスでの寄り添い。
そこには身寄りがなく
余命わずかな人が
およそ20人暮らしていた。
身の回りの世話や話し相手を勤める。
最後に寄り添う事も少なくない。
この仕事を始めたのは
事件後、人に支えられ生きて来たからだと話す。
人を支えることで自分も支えられる
…そう語る。
元には戻れない。
生きているわたしはこのことを抱えながら
どう生きていけばいいんだろう?
残された自分に何ができるのか?
娘に語り続けてきた。
ゆきちゃんが
1年生の時書いた将来のゆめは
〝学校の先生″
教育実習の学生に憧れていた。
<<作 文>>
『 大きくなったら
教生の先生になりたい。
なぜかとゆうと
おもいでがたくさんできるし
たのしいから 』
しかし
これを書いた一年後
事件に巻き込まれた。
あの日
男は刃物を持って学校に侵入した。
最初に襲ったのは
ゆきちゃんのいる2年南組
・・・
男は動機について
「エリートでインテリな子を
沢山殺せば確実に死刑になると思った」
などと供述。
そんな理由で
全く関係のないゆきちゃんら
8人の命を奪った。
今の自分を支えているのは
娘、ゆきちゃんの壮絶な最期だと語る。
当初、即死したと見られていた優希ちゃん、
現場検証で全く違う事実が判った。
~教室から廊下に出たゆきちゃんは
出口に向かって懸命に歩いていた…
その距離
本郷さんの歩幅で68歩
39mあった~
何度も凶器を振りかざされた時の恐怖は
どれほどだったのだろう?
生きたいと望み
意識が薄れている時
あの子の脳裏には
どんな思いが浮かんだのだろう?
彼女の受けた苦しみ
つらさ、悲しさ、絶望を
親である私は
どうしたらわかってあげられるのか?
激しい自責の念と無力感。
本郷さんは
毎日のように廊下に通(かよ)った
娘は最期に何を思ったのか?
床に頬ずりし触れるなかで
〝有る思い″を抱くようになった。
優希という名は
「夢と希望を持ち続けてね
何ごとも最後まであきらめないでね
必ず夢はかなうから!」
と
思いを込めて名付けたことを
話して聞かせた。
きっと、
その言葉を思い出し
その言葉を信じて・・
「ママ、パパ、助けて!
ゆき、がんばる!
生きる希望を持って
最後まであきらめないよ!」
そう思いながら頑張ったのでしょう。
死力を尽くして
この子が伝えようとしたことは
それだけではなく
生きることの素晴らしさとか尊さを
一歩一歩伝えたのだ…と
わたしは感じてきたのだ。
娘の最期が教えてくれたこと。
それを胸に
少しでも前を向こうと考えた。
それでも、
あの日の事を考えると
押しつぶされそうになる。
一緒に過ごせた
7年3カ月と7日という
毎日が記念日だったな・・
ゆきと逢えなくなって
20年になるんだね?
どんな大人になっていたのかな・・
~人を本気で憎むって
見えている者すべてが
同じく醜く見えてしまう
それがすごく苦しかった
そのとき自分の心まで奪われたくない
そう思った。
犯人を憎むと
娘も哀しい顔をしている・・
そういう姿しか見えなくて
命の大切さを
伝えたいことを
メッセージで受けたのであれば・・
憎しみにエネルギーを注ぐのではなく
違う方向に変えてゆきたい~
今年3月1日、ゆきちゃんお誕生日
由美子さんはこう語りかけた
『ゆき お誕生日おめでとう
「お空からママのところがいい
って選んできたの」
なんて
かわいい事を言ってくれた時の笑顔…
今でもはっきり覚えています。
私をお母さんに選んでくれて
ありがとうね』
今年も「祈りと誓いの集い」で、犠牲になった8人の名を刻んだ塔の鐘が鳴らされました。
改めて、事件で命を落とされた児童八名のご冥福をこころよりお祈りいたします。合掌
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