ひろひろ48 さんの日記
2021
6月
5
(土)
23:08
本文
もともとは、ヨーロッパ系のユダヤ人が、イギリスの二枚舌外交で、エルサレムの周囲にイスラエルを作ろうと、軍事力で、そこに住んでいたパレスチナの人たちを追い出し、「建国」したことから始まっている。なんどかの戦争と領土拡張で、パレスチナの人たちをごく一部のエリアに閉じ込め圧殺している。今回の衝突も、イスラエル側からの弾圧、エルサレムにおけるイスラム教のモスクに対するパレスチナ人の排除などから起こっている。それに怒ったハマスの抗議のロケット攻撃、いままでもなんども小さな武力による抗議、それに対するイスラエルの数百倍する反撃の空爆は、非人道的。アメリカなどが支援しているので、ガザで小さな子供たちが何十人、何百人死のうと平気なイスラエル。国際世論の高まりで、とりあえず、停戦になっているが、、何度、何度、繰り返されれば、イスラエルのパレスチナ虐殺は終わるのだろうか??
武力、軍事力だけがすべてのパレスチナ情勢のなかで、言葉も無力なのだろうか??5月29日の朝刊のコラム「本音のコラム」から:
連帯力 by 師岡カリーマ(文筆家)
世界的に有名なパレスチナの詩人M・ダルウィーシュは2002年春、イスラエル軍に包囲されたラマラでこう詠んだ。
敷居に立つ人々よ
入ってきなさい
私たちと一緒にアラビア・コーヒーを飲みなさい
自分も私たちと同じ人間だと
あなたたちは感じることができるかもしれない
敷居に立つ人々よ
私たちの朝から出ていきなさい
私たちもあなたたち同様に人間だと
私たちは安心するだろう
敵同士が互いを人として見ることは大切だ。でも詩人は逆に「私も人」という自覚を促す。こんなひどいことをするあなたたちは、自分が人間だということを忘れているのだろうか。こんな目に遭う私たちが、自分は世間並みの人間ではないのかもしれないと疑い始めているように、と。
イスラエルに肩入れするツイートで批判された中山防衛副大臣が、日韓歴史問題をめぐり「ええ加減にしーやー」と嫌韓投稿をしていたと報道された。両投稿には共通点がある。ひとつは、要職に相応しい発言の重みが感じられないこと。そして、大国の思惑や兵力に踏みにじられた人びとの痛みに寄り添う共感力や思いやりが感じられないこと。でも、それこそが、すべての政治家に持ってほしい資質なのだ。立場の弱い人々や格差社会で切り捨てられた人々の痛みもひしと感じ、それに突き動かせる「私も人」という連帯力が。
<引用以上>
究極で、極限状態にあるなかで、自分が人としてあろうとする気高さ。かつての天安門広場で戦車に立ち向かった青年も、香港でデモで立ち上がった多くの若者たちも、いま、ミャンマーで軍政に反対し命がけでたたかっている多くの人々。それだけではない、いま、世界各国で、新型コロナウイルスと闘っている医療従事者のみなさん、ワクチン、治療薬の開発でがんばってる科学者のみなさん。つくづく、人間て一人じゃなく、社会のなかで生きているものなんだと感じる。むかし、宇宙人が攻めてきたら、全世界が一致団結して闘うとか、そういう話があったが、いま、コロナを前にして、そういう状況だ。地球規模での異常な天候も、マイクロプラスチック、ナノプラスチックがすべての命に大きな影響を与えている深刻な状況。全地球レベルで国ということを超えて、人が生きるとは、を考える、考え直す時期にきている。
武力、軍事力だけがすべてのパレスチナ情勢のなかで、言葉も無力なのだろうか??5月29日の朝刊のコラム「本音のコラム」から:
連帯力 by 師岡カリーマ(文筆家)
世界的に有名なパレスチナの詩人M・ダルウィーシュは2002年春、イスラエル軍に包囲されたラマラでこう詠んだ。
敷居に立つ人々よ
入ってきなさい
私たちと一緒にアラビア・コーヒーを飲みなさい
自分も私たちと同じ人間だと
あなたたちは感じることができるかもしれない
敷居に立つ人々よ
私たちの朝から出ていきなさい
私たちもあなたたち同様に人間だと
私たちは安心するだろう
敵同士が互いを人として見ることは大切だ。でも詩人は逆に「私も人」という自覚を促す。こんなひどいことをするあなたたちは、自分が人間だということを忘れているのだろうか。こんな目に遭う私たちが、自分は世間並みの人間ではないのかもしれないと疑い始めているように、と。
イスラエルに肩入れするツイートで批判された中山防衛副大臣が、日韓歴史問題をめぐり「ええ加減にしーやー」と嫌韓投稿をしていたと報道された。両投稿には共通点がある。ひとつは、要職に相応しい発言の重みが感じられないこと。そして、大国の思惑や兵力に踏みにじられた人びとの痛みに寄り添う共感力や思いやりが感じられないこと。でも、それこそが、すべての政治家に持ってほしい資質なのだ。立場の弱い人々や格差社会で切り捨てられた人々の痛みもひしと感じ、それに突き動かせる「私も人」という連帯力が。
<引用以上>
究極で、極限状態にあるなかで、自分が人としてあろうとする気高さ。かつての天安門広場で戦車に立ち向かった青年も、香港でデモで立ち上がった多くの若者たちも、いま、ミャンマーで軍政に反対し命がけでたたかっている多くの人々。それだけではない、いま、世界各国で、新型コロナウイルスと闘っている医療従事者のみなさん、ワクチン、治療薬の開発でがんばってる科学者のみなさん。つくづく、人間て一人じゃなく、社会のなかで生きているものなんだと感じる。むかし、宇宙人が攻めてきたら、全世界が一致団結して闘うとか、そういう話があったが、いま、コロナを前にして、そういう状況だ。地球規模での異常な天候も、マイクロプラスチック、ナノプラスチックがすべての命に大きな影響を与えている深刻な状況。全地球レベルで国ということを超えて、人が生きるとは、を考える、考え直す時期にきている。
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