tinc さんの日記
2021
5月
23
(日)
22:55
本文
私が自分の聖典と呼んでいるものがいくつかある。それは定まった様式を持つものではなく、本であったり絵画や映画であったり、音楽アルバムであったりする。その一つがガンズ・アンド・ローゼズの『ユーズ・ユア・イリュージョンⅠ』と同『Ⅱ』である。メジャーなミュージシャンのメジャーなアルバムなのでご存知の方も多いかと思う。
私がこの聖典から度々思い出し自戒に用いるのが、上記『Ⅰ』に収録されている『ドント・ダム・ミー』という曲である。この曲の歌詞はどこを切っても私への警句として通用するが、私は特に下の一節を頻用する。
「俺たちは話の全部を知っていて当然だと思い込む
俺たちは表紙で本を判断し
選び取った行間に
自分たちの欲しがることを読む」
この4行は物事に対する私の日頃の態度を簡潔に言い当てている。
私は一見ひとの話を聞いているように見えても、自分の聞きたい場所だけを聞いて都合よく解釈してくだらないことを考える、云わばその人を消費して自身の低劣な欲望を満たすということが枚挙に暇無くある。対象が人間でない場合でも同様であり、発生した事象をまるで己のためにもたらされた何かのように思って一喜一憂しては何も学ばずに忘れてしまう。
そして当の警句すらも忘れてしまう。
そのような事情なので、私は今までこれほど長く生きてきて何をしてきたのかと自身を見放したく思うことが多々ある。
私にも人並みに嫌いな人や軽蔑する人がある。私は時に彼らを傷つけたいと思ったり、彼らがいるために死にたいと思ったり、何もかも壊してしまいたいと思ったり、あるいは単に泣きたいと思うことがある。
しかし本当のところは私は彼らと渡り合う力も、彼らに構っている余裕も持たない。敵は内部にあり、そしてただ一人。暗愚なる己に克った時に私はようやく物事を見るだろう。
私がこの聖典から度々思い出し自戒に用いるのが、上記『Ⅰ』に収録されている『ドント・ダム・ミー』という曲である。この曲の歌詞はどこを切っても私への警句として通用するが、私は特に下の一節を頻用する。
「俺たちは話の全部を知っていて当然だと思い込む
俺たちは表紙で本を判断し
選び取った行間に
自分たちの欲しがることを読む」
この4行は物事に対する私の日頃の態度を簡潔に言い当てている。
私は一見ひとの話を聞いているように見えても、自分の聞きたい場所だけを聞いて都合よく解釈してくだらないことを考える、云わばその人を消費して自身の低劣な欲望を満たすということが枚挙に暇無くある。対象が人間でない場合でも同様であり、発生した事象をまるで己のためにもたらされた何かのように思って一喜一憂しては何も学ばずに忘れてしまう。
そして当の警句すらも忘れてしまう。
そのような事情なので、私は今までこれほど長く生きてきて何をしてきたのかと自身を見放したく思うことが多々ある。
私にも人並みに嫌いな人や軽蔑する人がある。私は時に彼らを傷つけたいと思ったり、彼らがいるために死にたいと思ったり、何もかも壊してしまいたいと思ったり、あるいは単に泣きたいと思うことがある。
しかし本当のところは私は彼らと渡り合う力も、彼らに構っている余裕も持たない。敵は内部にあり、そしてただ一人。暗愚なる己に克った時に私はようやく物事を見るだろう。
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