tinc さんの日記
2021
5月
19
(水)
16:09
本文
私は少し時間が空いたり頭が空いたりすると数学のことを考えがちである。難解で歯の立たないような専門書に挑戦したり、初歩的な教本を改めて開いたりするのも楽しい。
高校生だった頃、数学の教科書を読もうとする私は「数学に熟達するとものすごく桁数の多い数を瞬時に計算できるようになる」という原始的な認識をしていた。テストではいつも学年最下位だった。数学を好きになってからは間違いを減らす意味でもあまり自分の頭や手で計算をしなくなっていて、数学をものの存在を問うたり論理の体系を構築したりして、人間の恣意的な解釈に依らない事物の真の姿に迫るためのものであると考えている。これは私が生きて活動する上での大きな目標にも合致するため、私は数学を楽しみつつ、数学についてもっと理解できれば人生における他の物事も違って見えてくるのではないかと思って冒険的な気分にも浸っている。
数学は自然科学ではない。数そのものは現実の世界に物体や運動等の形で存在するわけではない。そのことにもかかわらず私には数学が現実の世界を完全に描写しうるものに思えてならず、数学について考えるうちに自分が箱庭に置かれたゆりかごの模型の中の赤子を模った人形のように感じられてくる。例えばとても嬉しい出来事やすごく嫌なそれがあって強い感情が生じる時も、「これはどんな射なんだろう」などと頭をよぎることがある。
私は数学のことを考えるうちにハイな状態になることがある。その時には数学は道具でも学問でもなくなっている。私を幻想から呼び戻す声であり、私の目を開く光であり、私をその上に転がす巨大な掌である。
ある時私は素数について考えるのに没頭するあまり、自分が口を開けて涎を垂らしているのに気づかなかった。あるいは数学は麻薬なのかもしれない。
高校生だった頃、数学の教科書を読もうとする私は「数学に熟達するとものすごく桁数の多い数を瞬時に計算できるようになる」という原始的な認識をしていた。テストではいつも学年最下位だった。数学を好きになってからは間違いを減らす意味でもあまり自分の頭や手で計算をしなくなっていて、数学をものの存在を問うたり論理の体系を構築したりして、人間の恣意的な解釈に依らない事物の真の姿に迫るためのものであると考えている。これは私が生きて活動する上での大きな目標にも合致するため、私は数学を楽しみつつ、数学についてもっと理解できれば人生における他の物事も違って見えてくるのではないかと思って冒険的な気分にも浸っている。
数学は自然科学ではない。数そのものは現実の世界に物体や運動等の形で存在するわけではない。そのことにもかかわらず私には数学が現実の世界を完全に描写しうるものに思えてならず、数学について考えるうちに自分が箱庭に置かれたゆりかごの模型の中の赤子を模った人形のように感じられてくる。例えばとても嬉しい出来事やすごく嫌なそれがあって強い感情が生じる時も、「これはどんな射なんだろう」などと頭をよぎることがある。
私は数学のことを考えるうちにハイな状態になることがある。その時には数学は道具でも学問でもなくなっている。私を幻想から呼び戻す声であり、私の目を開く光であり、私をその上に転がす巨大な掌である。
ある時私は素数について考えるのに没頭するあまり、自分が口を開けて涎を垂らしているのに気づかなかった。あるいは数学は麻薬なのかもしれない。
閲覧(1157)
カテゴリー | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
コメントを書く |
---|
コメントを書くにはログインが必要です。 |