tinc さんの日記
2021
5月
15
(土)
06:51
本文
特に若年の頃には多数のパート労働を経験した。
今でも印象に強く残るのは、大学に在籍していた頃に配送助手と呼ばれる派遣パートに就いていた頃のことである。運送会社のトラックの助手席に座って、荷物の積み降ろしを手伝ったり駐車違反の取り締まりにその場しのぎの対応をしたりするというのが配送助手の主な役割であった。
トラックドライバーには当然様々な人がいて、配送助手に対してものすごく要求の多い人もいれば反対に一切の要求をせずに食事とジュースだけご馳走してくれる人もいたし、ずっと怒っている人もいればおよそ感情と呼ぶべきものを持たないのではないかと疑われるような人もいた。見知らぬ人と長時間二人で過ごすという体験は怖くもあり興味深くもあり、あのドライバーは今どうしているだろうか、などと私はふと思うことがある。
ある日、私はとても高齢に見えるあるドライバーの助手になった。彼は一見緩慢な動作で動くのだが不思議にその日に回る予定のどの物流拠点も時間通りに発着し、その柔和な物腰もあって私は彼に関心を引かれていた。
夕闇が迫る頃には積荷も大方捌かれ、トラックは最初の拠点へ戻るべくどこかの倉庫街を走っていた。しかしドライバーの彼は緩やかにトラックを減速させ、人気の無い路肩に停めた。
「兄ちゃん、悪いけどな、俺はもうだめだ。目が疲れて仕方がない」と彼は唐突に私へ告げた。
「休みましょう。何か買ってきますか」私は少し慌てていた。「飲み物とか、アイマスクとか。さっきコンビニがありましたからぼくが行ってきます」
「いや、今日はもうだめだな」彼は頭を振った。「運転代わってくれ」
それを聞いて私は更に慌てた。
「すみません、できないんです。契約でできないことになってるし、ぼく免許が無くて」
「こっちがアクセル、こっちがブレーキ。右に行きたかったらハンドルをこうして、左の時は……」
「いや、ちょっとそれは……」
話は急速に妙な方向へ発展し、私は懇願し食い下がる彼に何とか運転を再開してもらおうと大慌てだった。とても怖かったが、なぜかとても楽しくもあった。後日私はこの体験を基に大学で『コミュニケーションの機能不全に関する一考察』と題した文章を書いて提出した。
その日からもう15年余りが経つ。私は今も当時と変わらず貧乏で、安い仕事に追われながらその日の生活を何とか組み立てている。15年も過ぎてもそのことが解決していないことに絶望もするし、絶望するような状態で15年も生きながらえていることへの感謝もある。トラックドライバーたちの思惑を私は知らずじまいである。しかし彼らの隣に座っていた何時間かは、いずれも私にとってそれほど小さくない。
今でも印象に強く残るのは、大学に在籍していた頃に配送助手と呼ばれる派遣パートに就いていた頃のことである。運送会社のトラックの助手席に座って、荷物の積み降ろしを手伝ったり駐車違反の取り締まりにその場しのぎの対応をしたりするというのが配送助手の主な役割であった。
トラックドライバーには当然様々な人がいて、配送助手に対してものすごく要求の多い人もいれば反対に一切の要求をせずに食事とジュースだけご馳走してくれる人もいたし、ずっと怒っている人もいればおよそ感情と呼ぶべきものを持たないのではないかと疑われるような人もいた。見知らぬ人と長時間二人で過ごすという体験は怖くもあり興味深くもあり、あのドライバーは今どうしているだろうか、などと私はふと思うことがある。
ある日、私はとても高齢に見えるあるドライバーの助手になった。彼は一見緩慢な動作で動くのだが不思議にその日に回る予定のどの物流拠点も時間通りに発着し、その柔和な物腰もあって私は彼に関心を引かれていた。
夕闇が迫る頃には積荷も大方捌かれ、トラックは最初の拠点へ戻るべくどこかの倉庫街を走っていた。しかしドライバーの彼は緩やかにトラックを減速させ、人気の無い路肩に停めた。
「兄ちゃん、悪いけどな、俺はもうだめだ。目が疲れて仕方がない」と彼は唐突に私へ告げた。
「休みましょう。何か買ってきますか」私は少し慌てていた。「飲み物とか、アイマスクとか。さっきコンビニがありましたからぼくが行ってきます」
「いや、今日はもうだめだな」彼は頭を振った。「運転代わってくれ」
それを聞いて私は更に慌てた。
「すみません、できないんです。契約でできないことになってるし、ぼく免許が無くて」
「こっちがアクセル、こっちがブレーキ。右に行きたかったらハンドルをこうして、左の時は……」
「いや、ちょっとそれは……」
話は急速に妙な方向へ発展し、私は懇願し食い下がる彼に何とか運転を再開してもらおうと大慌てだった。とても怖かったが、なぜかとても楽しくもあった。後日私はこの体験を基に大学で『コミュニケーションの機能不全に関する一考察』と題した文章を書いて提出した。
その日からもう15年余りが経つ。私は今も当時と変わらず貧乏で、安い仕事に追われながらその日の生活を何とか組み立てている。15年も過ぎてもそのことが解決していないことに絶望もするし、絶望するような状態で15年も生きながらえていることへの感謝もある。トラックドライバーたちの思惑を私は知らずじまいである。しかし彼らの隣に座っていた何時間かは、いずれも私にとってそれほど小さくない。
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