freescaleII さんの日記
2021
5月
12
(水)
00:07
本文
暗いと言ってもこれは決して誰かの精神的な疾患ではなく、DDRというつまり 東ドイツ Deutsche Demokratische Republik の 略語で、そこでの歴史です。
以前我が家にはマルクス全巻(ドイツ語)が有りました。何故そんなものが有ったかと申しますと。
以前一緒に暮らした女性が東ドイツ出身だったからです。幼いころからマルクス主義を徹底的に教育され、体制に忠実な良き国民になる事を強いられ、微塵の疑問さえ持つことを許されなかったのです。
つまり0歳から思想的、政治的な洗脳教育が始まるのです。
彼女は教師でしたが、生活の方は慢性的な物資不足に苦しむ一般の人達と比較して決して悪くはなかった。何故ならDDR時代の配偶者が国家人民軍の将校で特権階級だったからです。
一般人はクルマを注文してから10年以上待たねば手に入らなかったのに彼らは直ぐに入手出来ました。
贅沢品、つまりコーヒーなどの嗜好品等は一般人には滅多にまわって来ませんが、彼ら特権階級はいつでも必要なだけ支給されていたそうです。
外国旅行も東欧圏内ならいつでも休暇を過ごすことが出来たそうです。
ところがある日、国家保安省(シュタージ)に呼び出され、非公式協力者になることを要求されました。つまり国民を見張るスパイになれという事です。
任務は社会に潜む反革命分子や西側のスパイを見つけ出し、報告する事です。
そのような非公式協力者が8万人、約180人にひとりの割合で存在していました。
疑心暗疑になり誰も信じられなくなります。同僚も教師も生徒も、配偶者や恋人でさえ非公式協力者であったかも知れません。
寝物語にうっかり話した事でも次の日にはシュタージに密告され反革命分子として監視下に入り、直接国家保安省に連行され厳しい取り調べをされたり、その間に諜報員の手で家宅捜査が行われたりしました。
皆さん想像出来ますか、そのような誰一人信じられない社会で生きる事を。
彼女はその要求を拒否した為に半強制離婚となり、目指していた教育学博士の道を絶たれました。
DDR崩壊後、希望する人は自分についてのシュタジ記録文書を閲覧することが出来ますが、彼女は見たくない、見るのが怖いので閲覧を放棄しました。
しかし、今考えてみると彼女の友人、知人に会った事は一度も有りませんでした。
それでマルクス主義をどう思うと聞いたところ、
「良くても、忌まわしくても想い出は想い出、だから捨てずに持っている」。
「理解する事と正しい事とは別の話。本音は解ってるでしょう、今更言わなくとも」との事。
先週の日曜日山岳鉄道の蒸気機関車に乗りに行った時に Chemnitz というこの州三番目の都市を通過しましたが、このケムニッツという名前はソビエトによる傀儡政権が出来た時にカール・マルクス・シュタットと変更され、DDR崩壊後に忌まわしい名前から旧名のケムニッツに戻されました。
その時に、ふと思いだしたのが昔の彼女の事でした。
彼女はまたこう言ってました。
「支配階級は既に気がついていた筈。もうこのマルクス主義的計画経済は破綻しており、今後大変な事が起きるかもしれないと。」
ただ誰もそれを口に出せないだけだった。
映画「グッバイ・レーニン」です。
DDRの独裁ドイツ社会主義統一党 (SED)時代をパロデイ化した映画ですが、その頃を知っているなら意味するものを良く解かると思います。
忠実な党員である母親がある日突然倒れ昏睡状態になりました。
間もなくDDRが崩壊し、世の中が全く変わってしまいました。
そしてもしも母親が目を覚ました時に、その事を知った母親は大変なショックを受けるかも知れないので、息子は一芝居打ちます。
何から何までDDR時代に仕立て、テレビの放送までニセDDR時代にします。
日本語が無くて申し訳有りません m(_ _)m
おそらく日本人には理解出来ないかも知れませんが、私にとってDDR崩壊はついこのあいだ本当に有った話です。
以前我が家にはマルクス全巻(ドイツ語)が有りました。何故そんなものが有ったかと申しますと。
以前一緒に暮らした女性が東ドイツ出身だったからです。幼いころからマルクス主義を徹底的に教育され、体制に忠実な良き国民になる事を強いられ、微塵の疑問さえ持つことを許されなかったのです。
つまり0歳から思想的、政治的な洗脳教育が始まるのです。
彼女は教師でしたが、生活の方は慢性的な物資不足に苦しむ一般の人達と比較して決して悪くはなかった。何故ならDDR時代の配偶者が国家人民軍の将校で特権階級だったからです。
一般人はクルマを注文してから10年以上待たねば手に入らなかったのに彼らは直ぐに入手出来ました。
贅沢品、つまりコーヒーなどの嗜好品等は一般人には滅多にまわって来ませんが、彼ら特権階級はいつでも必要なだけ支給されていたそうです。
外国旅行も東欧圏内ならいつでも休暇を過ごすことが出来たそうです。
ところがある日、国家保安省(シュタージ)に呼び出され、非公式協力者になることを要求されました。つまり国民を見張るスパイになれという事です。
任務は社会に潜む反革命分子や西側のスパイを見つけ出し、報告する事です。
そのような非公式協力者が8万人、約180人にひとりの割合で存在していました。
疑心暗疑になり誰も信じられなくなります。同僚も教師も生徒も、配偶者や恋人でさえ非公式協力者であったかも知れません。
寝物語にうっかり話した事でも次の日にはシュタージに密告され反革命分子として監視下に入り、直接国家保安省に連行され厳しい取り調べをされたり、その間に諜報員の手で家宅捜査が行われたりしました。
皆さん想像出来ますか、そのような誰一人信じられない社会で生きる事を。
彼女はその要求を拒否した為に半強制離婚となり、目指していた教育学博士の道を絶たれました。
DDR崩壊後、希望する人は自分についてのシュタジ記録文書を閲覧することが出来ますが、彼女は見たくない、見るのが怖いので閲覧を放棄しました。
しかし、今考えてみると彼女の友人、知人に会った事は一度も有りませんでした。
それでマルクス主義をどう思うと聞いたところ、
「良くても、忌まわしくても想い出は想い出、だから捨てずに持っている」。
「理解する事と正しい事とは別の話。本音は解ってるでしょう、今更言わなくとも」との事。
先週の日曜日山岳鉄道の蒸気機関車に乗りに行った時に Chemnitz というこの州三番目の都市を通過しましたが、このケムニッツという名前はソビエトによる傀儡政権が出来た時にカール・マルクス・シュタットと変更され、DDR崩壊後に忌まわしい名前から旧名のケムニッツに戻されました。
その時に、ふと思いだしたのが昔の彼女の事でした。
彼女はまたこう言ってました。
「支配階級は既に気がついていた筈。もうこのマルクス主義的計画経済は破綻しており、今後大変な事が起きるかもしれないと。」
ただ誰もそれを口に出せないだけだった。
映画「グッバイ・レーニン」です。
DDRの独裁ドイツ社会主義統一党 (SED)時代をパロデイ化した映画ですが、その頃を知っているなら意味するものを良く解かると思います。
忠実な党員である母親がある日突然倒れ昏睡状態になりました。
間もなくDDRが崩壊し、世の中が全く変わってしまいました。
そしてもしも母親が目を覚ました時に、その事を知った母親は大変なショックを受けるかも知れないので、息子は一芝居打ちます。
何から何までDDR時代に仕立て、テレビの放送までニセDDR時代にします。
日本語が無くて申し訳有りません m(_ _)m
おそらく日本人には理解出来ないかも知れませんが、私にとってDDR崩壊はついこのあいだ本当に有った話です。
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