ひろひろ48 さんの日記
2021
5月
8
(土)
23:50
本文
人類が、狩猟採取中心で、小さな集落で生活していた時代は、みんなで採取し、みんなで狩猟して、みんなでそれを
分けていた。もちろん、狩猟も採取も知識、経験が重要で、リーダーもいたでしょう。でも、稲作とか農業が起こり、作物の保存と、農地の共有から私有になっていく過程で、集落から大きな部族になり、富の独占、リーダーでなく支配者、支配階級と被支配者、被支配階級に、分けれていった。農地や水源、その他の宝物の奪い合いも始まり、部族間闘争も起こり、武力の強いものが支配者になる時代がはじまった。その時代の前で、女性の役割は、地位はどうだったのか??新聞に連載の「古代のぞき見」by 譽田 亜紀子(こんだあきこ 文筆家)は、興味深い。ので、紹介します:
先史時代の女性像:(役割は出産、思い込みだった)
常々、思っていたことがある。縄文時代の女性で、不妊に苦しんだ人はいたのだろうか、と。というのも私自身がそうだったからだ。子どもを望んでも授からない悲しみは、きっと時代を超えて普遍的なのではないか。集落を維持し、子孫を次につなぐことが最も大事だった時代に、子どもが産めない女性の肩身はさぞ狭かったのではないか。
・・とついわが身に置き換えて想像してしまうのだが、先史時代のことを知ると、「女性の役割は子を産むこと」という思い込みこそ狭い考えだったと分った。
今の日本の考古学では男性の研究者が多いせいか、「狩猟は男性が行うもの」という視点で語られることが多い。しかし世界に目を向けると、発掘されたハンターと思われる人骨のうち、4割~5割ほどが女性をいう報告がある。確かに、女性が弓矢の名手だったとしてもおかしくない。獲物の足跡を粘り強く追う作業は、もしかすると女性のほうが向いてるかもしれない。野ウサギなどの小動物であれば女性や子どもだって捕まえられる。
性別によ職種の分担はもちろんあると思うが、性別にこだわらず能力のある人が作業をする「適材適所」が機能した方が、集落としては効率が良かったはずだ。となれば、冒頭の不妊女性たちも、違う存在価値に支えられて暮らしていた可能性が高い。
さらに縄文以降の先史を生きた女性はどうだったか。弥生時代の代名詞ともいえる卑弥呼は乱世を鎮めるキーパーソンとなったし、その後に続く古墳時代でも、地域の首長として古墳に埋葬される女性がいたという。
つまり、先史時代は「女性だから」とか「男だから」という区別よりも、誰よりも働いて民の心をつかみ、集落や地域に安定した暮らしをもたらす人がトップとして認められ、活躍した時代だったといえる。
これって今よりもはるかに進んでいるのではないか。というか、これが本来あるべき人間社会なのではないか。日本のジェンダー・ギャップ指数や、政治家の発言が世間を騒がせるニュースが流れるたび、現代はなんと後退してしまったのかと悲しくなる。
<引用以上>
先日、NHKの番組で、ジェンダー差別についてのドキュメンタリー。森元首相の差別発言や、山田真貴子元内閣広報官の「飲み会を絶対に断らない女 としてやってきた」の報道に、女性差別と多くの女性が怒っているのに、「気にならなった」「怒りの気持ちは起こらなかった」女性もいることも放送された。その女性たちは、受験戦争、就職戦争に勝ち抜き、会社に、上司に認められるため、「男並みに」「男に負けずに」、男となって働くことを選んだ女性が多いようだ。そして、男のように働けない女性は、能力もなく負け組だと感じているようだ。
女性差別について書いていた日記に、「そういうなら、男みたいに重い荷物を運んでみろよ」と馬鹿なこめんと書いた男性がいるらしかった。100%完全な男もいなければ、100%完全な女性もいない。平均的な男性より力持ちの女性もいる。平均的な男性より足の速い女性もいる。性差別と、性による区別の違いを理解できない男性、女性なのだろう。
じゃ、ジェンダー格差において機会の平等があればいいのか?というと、そんなに単純な話ではない。妊娠出産があって、人類は進化、発展してきた。人類社会として子孫を残せなくなると人類は滅亡することになる。妊娠、出産、育児は、個人だけでなく社会で負うべきものだと思う。だとすれば、それにかかわるすべてに社会的な補償、支援が必要だと思う。もちろん、妊娠出産しなくても、生理、閉経のころの体調不順も、すべてに支援が必要だと思う。
あと、「男性並みに」働くことがいいことだとは思わない。それは「酷使されている」ので、むしろその「男性並み」に働くことを変えていくべきではないか。この先史時代の男性、女性のあり方に学ぶべきことがありそうだ。
分けていた。もちろん、狩猟も採取も知識、経験が重要で、リーダーもいたでしょう。でも、稲作とか農業が起こり、作物の保存と、農地の共有から私有になっていく過程で、集落から大きな部族になり、富の独占、リーダーでなく支配者、支配階級と被支配者、被支配階級に、分けれていった。農地や水源、その他の宝物の奪い合いも始まり、部族間闘争も起こり、武力の強いものが支配者になる時代がはじまった。その時代の前で、女性の役割は、地位はどうだったのか??新聞に連載の「古代のぞき見」by 譽田 亜紀子(こんだあきこ 文筆家)は、興味深い。ので、紹介します:
先史時代の女性像:(役割は出産、思い込みだった)
常々、思っていたことがある。縄文時代の女性で、不妊に苦しんだ人はいたのだろうか、と。というのも私自身がそうだったからだ。子どもを望んでも授からない悲しみは、きっと時代を超えて普遍的なのではないか。集落を維持し、子孫を次につなぐことが最も大事だった時代に、子どもが産めない女性の肩身はさぞ狭かったのではないか。
・・とついわが身に置き換えて想像してしまうのだが、先史時代のことを知ると、「女性の役割は子を産むこと」という思い込みこそ狭い考えだったと分った。
今の日本の考古学では男性の研究者が多いせいか、「狩猟は男性が行うもの」という視点で語られることが多い。しかし世界に目を向けると、発掘されたハンターと思われる人骨のうち、4割~5割ほどが女性をいう報告がある。確かに、女性が弓矢の名手だったとしてもおかしくない。獲物の足跡を粘り強く追う作業は、もしかすると女性のほうが向いてるかもしれない。野ウサギなどの小動物であれば女性や子どもだって捕まえられる。
性別によ職種の分担はもちろんあると思うが、性別にこだわらず能力のある人が作業をする「適材適所」が機能した方が、集落としては効率が良かったはずだ。となれば、冒頭の不妊女性たちも、違う存在価値に支えられて暮らしていた可能性が高い。
さらに縄文以降の先史を生きた女性はどうだったか。弥生時代の代名詞ともいえる卑弥呼は乱世を鎮めるキーパーソンとなったし、その後に続く古墳時代でも、地域の首長として古墳に埋葬される女性がいたという。
つまり、先史時代は「女性だから」とか「男だから」という区別よりも、誰よりも働いて民の心をつかみ、集落や地域に安定した暮らしをもたらす人がトップとして認められ、活躍した時代だったといえる。
これって今よりもはるかに進んでいるのではないか。というか、これが本来あるべき人間社会なのではないか。日本のジェンダー・ギャップ指数や、政治家の発言が世間を騒がせるニュースが流れるたび、現代はなんと後退してしまったのかと悲しくなる。
<引用以上>
先日、NHKの番組で、ジェンダー差別についてのドキュメンタリー。森元首相の差別発言や、山田真貴子元内閣広報官の「飲み会を絶対に断らない女 としてやってきた」の報道に、女性差別と多くの女性が怒っているのに、「気にならなった」「怒りの気持ちは起こらなかった」女性もいることも放送された。その女性たちは、受験戦争、就職戦争に勝ち抜き、会社に、上司に認められるため、「男並みに」「男に負けずに」、男となって働くことを選んだ女性が多いようだ。そして、男のように働けない女性は、能力もなく負け組だと感じているようだ。
女性差別について書いていた日記に、「そういうなら、男みたいに重い荷物を運んでみろよ」と馬鹿なこめんと書いた男性がいるらしかった。100%完全な男もいなければ、100%完全な女性もいない。平均的な男性より力持ちの女性もいる。平均的な男性より足の速い女性もいる。性差別と、性による区別の違いを理解できない男性、女性なのだろう。
じゃ、ジェンダー格差において機会の平等があればいいのか?というと、そんなに単純な話ではない。妊娠出産があって、人類は進化、発展してきた。人類社会として子孫を残せなくなると人類は滅亡することになる。妊娠、出産、育児は、個人だけでなく社会で負うべきものだと思う。だとすれば、それにかかわるすべてに社会的な補償、支援が必要だと思う。もちろん、妊娠出産しなくても、生理、閉経のころの体調不順も、すべてに支援が必要だと思う。
あと、「男性並みに」働くことがいいことだとは思わない。それは「酷使されている」ので、むしろその「男性並み」に働くことを変えていくべきではないか。この先史時代の男性、女性のあり方に学ぶべきことがありそうだ。
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