tinc さんの日記
2021
5月
7
(金)
19:05
本文
年中ボロいブーツカットジーンズにボロいワークブーツを身に着けている私は、10代の時分には年中ボロいストレートジーンズにボロいローテクスニーカーを身に着けていた。いずれにせよ夏には暑く冬には寒く清潔感の欠片も無い、本人も快適でないし周囲には不快な格好で、そういう格好が様になる人もいるが私はそうでないほうの人である。それでも自分の落ち着く装いを止めることや思い出に別れを告げることは難しいもので、たまに少し綺麗なものを着ると私は自分を好きでなくなる。
自分がブーツを履くようになるとは想像もしなかった10代後半の頃、私の足元はいつもコンバースのオールスターであった。防水やクッションという発想の基本的に存在しないこの古臭くて不便なスニーカーに随分とバイト代を注ぎ込んだ。粋でないことを粋がって軽視されることを誇りに思う屈折したティーンエイジャーには履くだけでヒーローになれるマジックアイテムとでも云うべきもので、私は自分のオールスターを「見る者にとってのガラスの靴」だと思っていた。格好良くも可愛くもない、前途を望むべくもない、汚い靴を履いた若者にも寛容と公平を持って接してくれる人こそが真の人間だと考えていた。
時を経て屈折した中年となった現在の最近、私はふと思い立って何足かのオールスターを購入し頻繁に着用している。お気に入りは黒いスウェードのハイカットである。日本製をセールスポイントにしたラインのもので、形状がスマートだったり細部の仕上げが丁寧だったりするのが嫌味な印象であるので早くボロくなってもらおうと思い傷めつけるように履き込んでいる。
ワークブーツでない靴を再び望んで履くようになるとは思いもよらなかったが、生きていれば思いもよらぬことはあるものである。履いて歩くうちに若年の頃を思い出すこともあろうし、良い靴は履き手を良い場所へ連れて行ってくれるとも聞く。今の私は予期せぬ変化を歓迎したい気分である。
自分がブーツを履くようになるとは想像もしなかった10代後半の頃、私の足元はいつもコンバースのオールスターであった。防水やクッションという発想の基本的に存在しないこの古臭くて不便なスニーカーに随分とバイト代を注ぎ込んだ。粋でないことを粋がって軽視されることを誇りに思う屈折したティーンエイジャーには履くだけでヒーローになれるマジックアイテムとでも云うべきもので、私は自分のオールスターを「見る者にとってのガラスの靴」だと思っていた。格好良くも可愛くもない、前途を望むべくもない、汚い靴を履いた若者にも寛容と公平を持って接してくれる人こそが真の人間だと考えていた。
時を経て屈折した中年となった現在の最近、私はふと思い立って何足かのオールスターを購入し頻繁に着用している。お気に入りは黒いスウェードのハイカットである。日本製をセールスポイントにしたラインのもので、形状がスマートだったり細部の仕上げが丁寧だったりするのが嫌味な印象であるので早くボロくなってもらおうと思い傷めつけるように履き込んでいる。
ワークブーツでない靴を再び望んで履くようになるとは思いもよらなかったが、生きていれば思いもよらぬことはあるものである。履いて歩くうちに若年の頃を思い出すこともあろうし、良い靴は履き手を良い場所へ連れて行ってくれるとも聞く。今の私は予期せぬ変化を歓迎したい気分である。
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