tinc さんの日記
2021
4月
28
(水)
19:49
本文
最近在宅勤務となったものの、目下その具体的な段取りについて上長や先輩たちと電話で話したりチャットツールで遣り取りをしたりすることの他にあまり何もしていない。一人になると確実に作っておいたほうが良いと思われる書類の原案を自分なりに作成したり、各社の提供するテレワークシステムの内容を聞いて見積もりを依頼したりする程度で、それも誰かから命じられているわけではないので何をどこまで行おうが行うまいが成否を判定する基準が存在せず遊んでいるのと同じである。その他の時間には文字通り遊んでいる。そうして遊んでばっかりなのが最近の私である。
大学に2年間だけ在籍した際には私は生活費と学費の確保のためにパート労働を掛け持ちしていた。その大学を中退した後に就職した企業では始発から終電まで働き休日も多く返上した。私がそれなりに頑張って働きそれがある程度継続したということはその通算10年余くらいのことで、企業を退職して以降はパートで細々と食い繋いだり、そのパートを馘になったり、思いついたように就職しては体調を崩して早期に退職したり、あるいは何の理由も無く完全に無職だったりと、つまり私の遊んでばっかりなのは何も最近に始まったことではない。
当然遊んでばっかりのほうが働き詰めになっているよりも楽しい。また私は遊んでばっかりの自分を遊ぶ暇の無かった頃の自分よりも好ましく思っている。この世には相変わらず死と苦痛と犠牲が溢れており私は居心地があまり良くないと感じているので、誰もが働く何倍も遊んで過ごせる世にできないものかと真剣に考えることも多い。これは既に可能であるものの現在持っている権益を手放して分配することを嫌がる人が多いので実現に至らないということも聞く。真相は知らないが本当なら私はいつか山ほど権益を得てそれが流動し続けるように分配したいとも思う。自分だけ遊んでばっかりだと私には孤独と退屈が募るばかりであろうから、私は誰もに好きなことをして過ごしてほしい。例えば好きなことをして過ごすのが嫌という人もいるかもしれないので、その意見の人へは好きでないことをして過ごす時間と場所を用意できるようにもなりたい。
過ごしにくい世の中になったと云われて久しい。人類の歴史と同じくらい長い間、現在は過去よりも人間が弱体化して世の中が悪くなったと云われ続けている。その理屈でゆくと人間社会は既に完全に崩壊しているはずなので、その言説にあまり重きを置くのは誤りであると私は考えている。
私は明るい未来を描きそれを信じるつもりである。叶わぬ願いでも真の願いならばそれを心に置き続けようと思う。私がたとえどれほどものを知り賢くなろうとも学ぶことは尽きず、私の知らない真実や善や美について知る人が常にいる。私は遊んでばっかりの状況にあるからこそそのような自分にとって重要なことを思い出すことができるので、この状況にさしたる罪悪感を持つことも無く比較的平気に過ごしている。
大学に2年間だけ在籍した際には私は生活費と学費の確保のためにパート労働を掛け持ちしていた。その大学を中退した後に就職した企業では始発から終電まで働き休日も多く返上した。私がそれなりに頑張って働きそれがある程度継続したということはその通算10年余くらいのことで、企業を退職して以降はパートで細々と食い繋いだり、そのパートを馘になったり、思いついたように就職しては体調を崩して早期に退職したり、あるいは何の理由も無く完全に無職だったりと、つまり私の遊んでばっかりなのは何も最近に始まったことではない。
当然遊んでばっかりのほうが働き詰めになっているよりも楽しい。また私は遊んでばっかりの自分を遊ぶ暇の無かった頃の自分よりも好ましく思っている。この世には相変わらず死と苦痛と犠牲が溢れており私は居心地があまり良くないと感じているので、誰もが働く何倍も遊んで過ごせる世にできないものかと真剣に考えることも多い。これは既に可能であるものの現在持っている権益を手放して分配することを嫌がる人が多いので実現に至らないということも聞く。真相は知らないが本当なら私はいつか山ほど権益を得てそれが流動し続けるように分配したいとも思う。自分だけ遊んでばっかりだと私には孤独と退屈が募るばかりであろうから、私は誰もに好きなことをして過ごしてほしい。例えば好きなことをして過ごすのが嫌という人もいるかもしれないので、その意見の人へは好きでないことをして過ごす時間と場所を用意できるようにもなりたい。
過ごしにくい世の中になったと云われて久しい。人類の歴史と同じくらい長い間、現在は過去よりも人間が弱体化して世の中が悪くなったと云われ続けている。その理屈でゆくと人間社会は既に完全に崩壊しているはずなので、その言説にあまり重きを置くのは誤りであると私は考えている。
私は明るい未来を描きそれを信じるつもりである。叶わぬ願いでも真の願いならばそれを心に置き続けようと思う。私がたとえどれほどものを知り賢くなろうとも学ぶことは尽きず、私の知らない真実や善や美について知る人が常にいる。私は遊んでばっかりの状況にあるからこそそのような自分にとって重要なことを思い出すことができるので、この状況にさしたる罪悪感を持つことも無く比較的平気に過ごしている。
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