tinc さんの日記
2021
4月
14
(水)
23:45
本文
私が頻繁にLINEを利用しながらいつまで経ってもそれに慣れられず好きにもならないのは、LINEによる情報の収集とその使途の問題と同じくらい、LINEアプリケーションの画面のデザインや操作を美しくなく使い難いものと感じるからである。これほど操作性に劣り無駄の多いように見えるハピスロ世代のデザインのほうをずっと好ましいと思うほど私はLINEの画面を見ることを苦痛に受け止めている。LINEの運営元としても私に利用してほしいとは思っていないであろうが、私としても利用したくてしているわけではないのでLINEの運営元の負う高貴なる義務の一つとしてでも私の面倒も見てもらえればと思う。
コンピューター関連に疎い私にとってさえインターフェイスの美醜は重要である。Googleの提供するものは概ね手を加えない限りとても味気ないとはいえ理解も使用もしやすいし、Linux系のOSは大体何も理解しないまま触っていても楽しめる。私が私のコンピューターを利用して何をするかは私にのみかかっていることは確かである。そして私にとって髪型や服装が思い通りにならなかった日に何事も手につかないのと同様、インターフェイスに違和感を抱えたままシステムと接するのがとても難しいこともまた確かである。私はコンピューター全般に疎いからこそ自分の感覚と噛み合わないところに過敏であるのだろうと思う。
また私は怠惰なので自分の保持する情報をあまり冗長化しない。先月だったか、Android端末の基本的な部分の一部を構成するアプリケーションの不具合が原因で端末の多くの機能が停止するという障害が発生し、私も例に漏れずその障害に見舞われた。私は色々試した末に自分の端末を工場出荷時の状態に戻し、端末内部に保存していた情報の多くを喪失した。喪失したもののうち大切な連絡先等は大学ノートにボールペンで書いておいたものをちまちまと手で打ち込んで回復した。
SNSを日常的に利用している者としては奇妙なほどのアナログな振る舞いであると思いつつ、結果的に回復したのだし今後似た事態が発生しても同じ手法で回復できるのだからこれで可としており現時点で反省も進歩もする気は無い。機械仕掛けの神が私に天啓をもたらす日までは私はアナログのままだろう。数学を愛好しているといえどもこんなものである。
コンピューターに支えられコンピューター無しに存続できない生活を営みながら、私はコンピューターとあまり仲良くなれそうにない。政治や経済が基盤を成す世に暮らしていてもそれらと距離を置きたいのと似ているかもしれない。あるいは人で溢れるこの地上に生きてはいても誰も彼もと友達になれないのと同様なのかもしれない。
私は私の好きでないものによっても支えられていることを忘れてはならない。それは好きでないものから受ける恩恵にも感謝すべき時があるということでもあり、己の欲するところに従えば不本意なものも付いてくるということでもあると思う。私はそのような都合の悪いことをいつもすぐに忘れてしまう。仮に「都合の悪いことを忘れるな」とどこかのサーバーに保存したとしても、それを二度と見ないことは想像に難くない。
コンピューター関連に疎い私にとってさえインターフェイスの美醜は重要である。Googleの提供するものは概ね手を加えない限りとても味気ないとはいえ理解も使用もしやすいし、Linux系のOSは大体何も理解しないまま触っていても楽しめる。私が私のコンピューターを利用して何をするかは私にのみかかっていることは確かである。そして私にとって髪型や服装が思い通りにならなかった日に何事も手につかないのと同様、インターフェイスに違和感を抱えたままシステムと接するのがとても難しいこともまた確かである。私はコンピューター全般に疎いからこそ自分の感覚と噛み合わないところに過敏であるのだろうと思う。
また私は怠惰なので自分の保持する情報をあまり冗長化しない。先月だったか、Android端末の基本的な部分の一部を構成するアプリケーションの不具合が原因で端末の多くの機能が停止するという障害が発生し、私も例に漏れずその障害に見舞われた。私は色々試した末に自分の端末を工場出荷時の状態に戻し、端末内部に保存していた情報の多くを喪失した。喪失したもののうち大切な連絡先等は大学ノートにボールペンで書いておいたものをちまちまと手で打ち込んで回復した。
SNSを日常的に利用している者としては奇妙なほどのアナログな振る舞いであると思いつつ、結果的に回復したのだし今後似た事態が発生しても同じ手法で回復できるのだからこれで可としており現時点で反省も進歩もする気は無い。機械仕掛けの神が私に天啓をもたらす日までは私はアナログのままだろう。数学を愛好しているといえどもこんなものである。
コンピューターに支えられコンピューター無しに存続できない生活を営みながら、私はコンピューターとあまり仲良くなれそうにない。政治や経済が基盤を成す世に暮らしていてもそれらと距離を置きたいのと似ているかもしれない。あるいは人で溢れるこの地上に生きてはいても誰も彼もと友達になれないのと同様なのかもしれない。
私は私の好きでないものによっても支えられていることを忘れてはならない。それは好きでないものから受ける恩恵にも感謝すべき時があるということでもあり、己の欲するところに従えば不本意なものも付いてくるということでもあると思う。私はそのような都合の悪いことをいつもすぐに忘れてしまう。仮に「都合の悪いことを忘れるな」とどこかのサーバーに保存したとしても、それを二度と見ないことは想像に難くない。
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