ひろひろ48 さんの日記
2021
4月
13
(火)
13:21
本文
少し昔の小泉政権のころからだろうか?「自己責任」「国に逆らう者は救う必要はない」みたいになったのだろう、この国は?この社会は?かな?
「国」がかかわる裁判でも、日本の「司法」は、「国の責任」を認めることは、きわめて少ない。でも、「国=ときの政府」なのだろうか?政治家が劣化し、その時の政権に忖度する官僚も劣化している今、考える必要があるのでは?
昨年の夕刊のコラム「じゅんかん記」(2020年11月9日付)保坂和志さんがわかりやすくかかれているのでご紹介します:
「国=政府」ではないのだ
政権や体制に批判的な文化・芸術・研究に補助金を出す必要はない、という理屈がいつの頃からか当たり前になっている。
「国を批判する者に補助金を出す必要はない」というこの理屈は間違いだ。こういうことを言う人たちは、<国=政府>だと思っている。<国>は政府のものでは全然ない。<国>は国民のもので、国民にはいろいろな人がいるものなのだ。みんながみんな、政府のすることを良いと思っているわけがない。これまで国がしてきたこと(つまり歴史)に全面的に賛成の人ばかりでないのは言うまでもない。
国の批判をする人も国民なんだから国からの補助金や研究費をもらうことは少しもおかしくない。繰り返すが、「国から」というのは「政府から」ではない。政府は国のいくつもある機関のひとつでしかない。学問・芸術活動している人はそのお金をそのお金を、政府からもらっているわけではないのだ。その人たちは、国民の自由や幸福のため、この国が間違った方向に進まないためにやっているんだから、国からお金をもらうのは正当な報酬だ。
そもそも批判することのどこがいけないのか。いけなくない。批判と否定は同じではない。最近みんな、批判することと誹謗中傷を混同していないか?批判は間違いや誤解を指摘して糾すことだ。批判を受け止めるプロセスを経て、考え方やシステムはよくなってゆく。
<中略>
科学者が自分の仮説を立証するために実験して、仮設を裏切る結果が出てしまったらどうするか?
「仮説が不十分だったんだな。どこがおかしかったか、練り直しだ」
と再び理論に戻る。科学は失敗の繰り返しだ。それを結果を伏せて
「総合的・俯瞰的見地から仮設に誤りはない」
とだけ答えていたら学問は滅びる。ほぼそういうことになっていたのが第二次世界大戦に突入していった日本だ。日本学術会議はその「思考停止」ないし「思考すること禁止」の歴史の反省から作られた。
だから政府から独立しているし、必要なら批判もする。政府はいつも国民の生命・財産を守るとは限らない。国民の生命・財産を蹂躙した政府が過去に間違いなく存在した。政府を監視するために政府から独立した組織を置く。それは何より国民のためだ。
<中略>
批判を抑圧する空気は企業も学校も社会全体を覆っている。ブルーハーツが30年以上前に歌った「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者をたたく」社会になる旗振りを政府がしている。
<後略><引用以上>
あまりに長い自公政権で、数合わせの世襲の国会議員が多くなり、政治が劣化し、それに壊され出世した忖度官僚、「法的に」支える司法。。それにもかかわらず、それだから?政権の支持率は44%。コロナ禍で、自殺も増え、倒産、失業も増え、自粛、時短に頼り、無策に近い政権なのに。沖縄や、福島には無情に、強引な政策を閣議決定だけで進める政権。
「国」がかかわる裁判でも、日本の「司法」は、「国の責任」を認めることは、きわめて少ない。でも、「国=ときの政府」なのだろうか?政治家が劣化し、その時の政権に忖度する官僚も劣化している今、考える必要があるのでは?
昨年の夕刊のコラム「じゅんかん記」(2020年11月9日付)保坂和志さんがわかりやすくかかれているのでご紹介します:
「国=政府」ではないのだ
政権や体制に批判的な文化・芸術・研究に補助金を出す必要はない、という理屈がいつの頃からか当たり前になっている。
「国を批判する者に補助金を出す必要はない」というこの理屈は間違いだ。こういうことを言う人たちは、<国=政府>だと思っている。<国>は政府のものでは全然ない。<国>は国民のもので、国民にはいろいろな人がいるものなのだ。みんながみんな、政府のすることを良いと思っているわけがない。これまで国がしてきたこと(つまり歴史)に全面的に賛成の人ばかりでないのは言うまでもない。
国の批判をする人も国民なんだから国からの補助金や研究費をもらうことは少しもおかしくない。繰り返すが、「国から」というのは「政府から」ではない。政府は国のいくつもある機関のひとつでしかない。学問・芸術活動している人はそのお金をそのお金を、政府からもらっているわけではないのだ。その人たちは、国民の自由や幸福のため、この国が間違った方向に進まないためにやっているんだから、国からお金をもらうのは正当な報酬だ。
そもそも批判することのどこがいけないのか。いけなくない。批判と否定は同じではない。最近みんな、批判することと誹謗中傷を混同していないか?批判は間違いや誤解を指摘して糾すことだ。批判を受け止めるプロセスを経て、考え方やシステムはよくなってゆく。
<中略>
科学者が自分の仮説を立証するために実験して、仮設を裏切る結果が出てしまったらどうするか?
「仮説が不十分だったんだな。どこがおかしかったか、練り直しだ」
と再び理論に戻る。科学は失敗の繰り返しだ。それを結果を伏せて
「総合的・俯瞰的見地から仮設に誤りはない」
とだけ答えていたら学問は滅びる。ほぼそういうことになっていたのが第二次世界大戦に突入していった日本だ。日本学術会議はその「思考停止」ないし「思考すること禁止」の歴史の反省から作られた。
だから政府から独立しているし、必要なら批判もする。政府はいつも国民の生命・財産を守るとは限らない。国民の生命・財産を蹂躙した政府が過去に間違いなく存在した。政府を監視するために政府から独立した組織を置く。それは何より国民のためだ。
<中略>
批判を抑圧する空気は企業も学校も社会全体を覆っている。ブルーハーツが30年以上前に歌った「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者をたたく」社会になる旗振りを政府がしている。
<後略><引用以上>
あまりに長い自公政権で、数合わせの世襲の国会議員が多くなり、政治が劣化し、それに壊され出世した忖度官僚、「法的に」支える司法。。それにもかかわらず、それだから?政権の支持率は44%。コロナ禍で、自殺も増え、倒産、失業も増え、自粛、時短に頼り、無策に近い政権なのに。沖縄や、福島には無情に、強引な政策を閣議決定だけで進める政権。
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