ひろひろ48 さんの日記
2021
3月
20
(土)
23:46
本文
ぼくは、関西の大都市のとなりの小さな都市で育った、戦後生まれです。小さいころは、進駐軍の兵隊さんが近所にきて、ガムをもらった記憶もあり、戦後民主主義がやっと定着しはじめたころに街のあちこちに「おいコラ警察復活反対、警職法改悪反対」のポスターなど見かけたのを覚えてます。小学2年のころに大病をして入院し一学期をまるまる休んだ以外は、普通に天真爛漫に無邪気に遊び、成長してました。中学になり、期末テストなどで遅くまで勉強してて、親父が仕事で忙しく毎晩おそかったとき、おふくろが、よくいろんな話をしてくれた。若いころの苦労した話が多かった、貧しい農家の長女に生まれると、そのころは、小さいころから働かざるとえなかったようだ。そういうこともあり、みんなが平等な社会がいいなとよく言ってた。
家庭の事情もあり、中学から高専に進学、卒業し首都圏の会社に就職。仕事もし、たまたま労働組合にも関わり、70年安保に突き進む。60年安保のとき国会デモで学生さんが亡くなったことは、うっすら知っていた。いろいろ勉強もし、いっぱい本も読んで、デモにも参加していた。
でも、この人の名は知らなかった。
書評を読んで、書評には大きく二つあるなと感じる。おお、いい本だなと感じさせてくれるが、その本をあまりにうまく紹介くださってるので、余裕があるときに読めたらいいなぁってのと、心線に触れ、ああこれは読みたい、読まないとと思わせてくれるのと。ま、そのときの関心事にもよるのだけど。これは、読んでみたいなと思える書評です。
新聞の書評から:
「恋と革命」の死 岸上大作 福島泰樹著[評]小嵐九八郎(作家・歌人)
◆闘いと恋の苦悶を叙述
六〇年安保闘争の動きを高校や大学、街頭、テレビ、あるいは国会周辺の現場で見た人々や、それから五年以後に生起した学園闘争とベトナム戦争反対に立った人々の心の中には、死して六〇年ほど経(た)つ岸上大作の、例えば《装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている》などの短歌を胸底のどこかに置いているような気がする。六〇年安保のピークで樺(かんば)美智子が死んで半年後に、睡眠薬百五十錠を飲み、その上にロープで首を吊(つ)って自死した衝撃に解(わか)って解らぬような思いを重ねながら。
岸上大作の命日の満六十年に、このまま黙っていてはいけねえ、あのナイーブだけれど闘いと思い込みが激しいとしても恋との悶(もだ)えを、そしてそこから生まれた練れていなくて未成熟ゆえに切なく、愛しく、胸を撃つ歌を現今の人々へと、推定するに切羽詰まって記したのが、この福島泰樹の書であろう。歌人は無論、むしろそれ以外の人々の方が知っているこの著者は、今は寺の住職をして、短歌の“絶叫コンサート”をやって生の声、音楽、肉の姿と共に訴えている。《樽見、君の肩に霜ふれ 眠らざる視界はるけく火群ゆらぐを》や《二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ》などを初期に作り、社会の動き、歴史とおのれの噛(か)み合い、歌は読み手が曲をつけたくなるリズムの革命性を持ち続けている。
この書では、岸上大作が父をマラリアの戦病死で失ってからの母の愛と母の苦しみを切実に描いていて、その自死に至る闘いと恋の交叉(こうさ)と切断を、ノンフィクションを遥(はる)かに越える情と切なる文で叙述している。評者だけでなく読者は、ぐすーんとなるはず。戦禍は甘くはなく、コロナ禍どころではないのである。
また、著者は四歳上の岸上大作の生き方の痛みや苦悶(くもん)に参るだけでなく、その自死を叱咤(しった)もしている。やはり、生きてほしかったのである。
読了して暫(しばら)く経つと、この書は、青年に向け「歴史、社会と向かい、生き、歌を」との志があるのだと考えた。
(皓星社・1980円)
福島 1943年生まれ。短歌絶叫コンサートを創出。
岸上 1939〜60年。遺作集『意志表示』。
<引用以上>
昔、読んだ本、アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯 (岩波文庫)は、権力に追われ、悩みながら革命に命をかけた人の話、日本では、奥浩平「青春の墓標」も。じたばたと悩みながら、解答も見つかるはずもなく、それでもなにかしないではいられない「青春のあがき」がある。
家庭の事情もあり、中学から高専に進学、卒業し首都圏の会社に就職。仕事もし、たまたま労働組合にも関わり、70年安保に突き進む。60年安保のとき国会デモで学生さんが亡くなったことは、うっすら知っていた。いろいろ勉強もし、いっぱい本も読んで、デモにも参加していた。
でも、この人の名は知らなかった。
書評を読んで、書評には大きく二つあるなと感じる。おお、いい本だなと感じさせてくれるが、その本をあまりにうまく紹介くださってるので、余裕があるときに読めたらいいなぁってのと、心線に触れ、ああこれは読みたい、読まないとと思わせてくれるのと。ま、そのときの関心事にもよるのだけど。これは、読んでみたいなと思える書評です。
新聞の書評から:
「恋と革命」の死 岸上大作 福島泰樹著[評]小嵐九八郎(作家・歌人)
◆闘いと恋の苦悶を叙述
六〇年安保闘争の動きを高校や大学、街頭、テレビ、あるいは国会周辺の現場で見た人々や、それから五年以後に生起した学園闘争とベトナム戦争反対に立った人々の心の中には、死して六〇年ほど経(た)つ岸上大作の、例えば《装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている》などの短歌を胸底のどこかに置いているような気がする。六〇年安保のピークで樺(かんば)美智子が死んで半年後に、睡眠薬百五十錠を飲み、その上にロープで首を吊(つ)って自死した衝撃に解(わか)って解らぬような思いを重ねながら。
岸上大作の命日の満六十年に、このまま黙っていてはいけねえ、あのナイーブだけれど闘いと思い込みが激しいとしても恋との悶(もだ)えを、そしてそこから生まれた練れていなくて未成熟ゆえに切なく、愛しく、胸を撃つ歌を現今の人々へと、推定するに切羽詰まって記したのが、この福島泰樹の書であろう。歌人は無論、むしろそれ以外の人々の方が知っているこの著者は、今は寺の住職をして、短歌の“絶叫コンサート”をやって生の声、音楽、肉の姿と共に訴えている。《樽見、君の肩に霜ふれ 眠らざる視界はるけく火群ゆらぐを》や《二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ》などを初期に作り、社会の動き、歴史とおのれの噛(か)み合い、歌は読み手が曲をつけたくなるリズムの革命性を持ち続けている。
この書では、岸上大作が父をマラリアの戦病死で失ってからの母の愛と母の苦しみを切実に描いていて、その自死に至る闘いと恋の交叉(こうさ)と切断を、ノンフィクションを遥(はる)かに越える情と切なる文で叙述している。評者だけでなく読者は、ぐすーんとなるはず。戦禍は甘くはなく、コロナ禍どころではないのである。
また、著者は四歳上の岸上大作の生き方の痛みや苦悶(くもん)に参るだけでなく、その自死を叱咤(しった)もしている。やはり、生きてほしかったのである。
読了して暫(しばら)く経つと、この書は、青年に向け「歴史、社会と向かい、生き、歌を」との志があるのだと考えた。
(皓星社・1980円)
福島 1943年生まれ。短歌絶叫コンサートを創出。
岸上 1939〜60年。遺作集『意志表示』。
<引用以上>
昔、読んだ本、アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯 (岩波文庫)は、権力に追われ、悩みながら革命に命をかけた人の話、日本では、奥浩平「青春の墓標」も。じたばたと悩みながら、解答も見つかるはずもなく、それでもなにかしないではいられない「青春のあがき」がある。
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