湘南のカモメ さんの日記
2021
2月
13
(土)
09:28
本文
皆さんが何気なく使っている言葉のうちいくつかは、私の言語辞書には存在していません。
今日のブログは個人的なことで、失礼します。
私が物心ついたときには、既に両親の親は全て他界していて、父母の実家と呼べるものはありませんでした。
それだけではありません。
父は某新聞社の記者でしたが、私は父が中国の特派員時代にあちらで生まれ、初めて日本の地を踏んだのは4歳の時でした。
しかも、父は転勤族でしたので、私は小学校5校、中学は2校に通いました
その為、私の辞書には「古里」とか「故郷」という言葉は存在しません。
大学入学の為に上京し、そのまま現在の地に根を下してはいますが、ここも私の故郷ではありません。
皆さんは何気なく「さようなら」と仰います。
しかし、私の辞書には「さようなら」という言葉もありません。
「ようやく友達ができた!」と思ったら<お別れ>を繰り返し、何度も何度も何度も「さようなら」という言葉を発し、耳にして育ちました。
「生きていたら必ず会えるから!」
母は別れの度にそう言って慰めてくれましたが、「さようなら」を聞いたり口にしたら
<もう、2度と会えないのだ!>と子供ながらに覚悟をしたものでした。
その為か?今では「さようなら」という言葉ほど嫌いな言葉はありません。
「この人とは、もう2度と会えない!」と思っても、別れの時を迎えると、私の口をついて出る言葉は「またね?」「じゃ~~ね?」しかありません。
今回もまた辛い別れを経験しました。
「男だろ!泣くな!」
父からは別れを経験するたびにそう言われて育ちました。
私は男!
辛い別れであっても決して涙を見せることはありません。
殊更に明るい顔を装って「またね?」
それに付け加える言葉は「さようなら」ではなく「ありがとうございました!」のただ一つだけ!
しかし、人には見えない目の裏側は・・・
滝のような涙で満たされています。
今日のブログは個人的なことで、失礼します。
私が物心ついたときには、既に両親の親は全て他界していて、父母の実家と呼べるものはありませんでした。
それだけではありません。
父は某新聞社の記者でしたが、私は父が中国の特派員時代にあちらで生まれ、初めて日本の地を踏んだのは4歳の時でした。
しかも、父は転勤族でしたので、私は小学校5校、中学は2校に通いました
その為、私の辞書には「古里」とか「故郷」という言葉は存在しません。
大学入学の為に上京し、そのまま現在の地に根を下してはいますが、ここも私の故郷ではありません。
皆さんは何気なく「さようなら」と仰います。
しかし、私の辞書には「さようなら」という言葉もありません。
「ようやく友達ができた!」と思ったら<お別れ>を繰り返し、何度も何度も何度も「さようなら」という言葉を発し、耳にして育ちました。
「生きていたら必ず会えるから!」
母は別れの度にそう言って慰めてくれましたが、「さようなら」を聞いたり口にしたら
<もう、2度と会えないのだ!>と子供ながらに覚悟をしたものでした。
その為か?今では「さようなら」という言葉ほど嫌いな言葉はありません。
「この人とは、もう2度と会えない!」と思っても、別れの時を迎えると、私の口をついて出る言葉は「またね?」「じゃ~~ね?」しかありません。
今回もまた辛い別れを経験しました。
「男だろ!泣くな!」
父からは別れを経験するたびにそう言われて育ちました。
私は男!
辛い別れであっても決して涙を見せることはありません。
殊更に明るい顔を装って「またね?」
それに付け加える言葉は「さようなら」ではなく「ありがとうございました!」のただ一つだけ!
しかし、人には見えない目の裏側は・・・
滝のような涙で満たされています。
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