ひろひろ48 さんの日記
2021
2月
11
(木)
12:28
本文
新型コロナの感染拡大で、テレビのニュースショウやコメンテーター、評論家たちが「コロナ対策と経済対策のバランスを」と話すのが流されてきた。
一見、そのとおりだと思わされそうだが、現実に政府の対策も、国会での議論でも、そういう印象になる。でも、それは、違うのでは???
婦人之友社発行の「私たちはどう生きるか」から、ボローニャ在住の元毎日新聞記者の中村秀明氏の寄稿から:
「人の命か経済か」はあり得ない
何かに、誰かにすがりたい空気
日本循環器学会が7月に公開した山中伸弥。京都大学教授と「8割おじさん」の西浦博・北海道大学教授による、新型コロナウイルスについての対談動画をイタリアで見た。今後についての見解が聞きたかった。
<中略>
不確実な時代のリーダーシップ
対談が終わってしばらく、立ちつくすような思いの後、一つの詩が頭に浮かんだ。
いかなる権威にも倚りかかりたきない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合なことあるや
茨木のり子さんの「倚りかからず」だ。
自らの意思と力で立ち続け、歩んでいこうとすることは容易ではない。不確かなことを前にすれば、誰でも不安や恐れ、疑いにかられる。茨木さんにして、できあいのものに「倚りかからず」と言える心境にたどり着いたのは73歳の時である。
<中略>
寛容と連帯の意識を
「」倚りかからず」と決めたら、その先はどうすればいいのか?<中略>
こんな意見が政界や経済界から出て、一定の説得力を持っているという。
「ウイルスだけでなく、経済で人が死ぬこともある」
「長い目でみれば、経済をうまく回す方が人の命を救う」
冷徹な計算で持論の正しさを溶く人もいる。
<ここ数年は2万人強が自殺で亡くなり、過去の景気悪化時は3万人を超えた。つまり今は人口10万人当たり16人くらいの自殺者で過去には24人の時もあった。新型こコロナによって10万人あたり2人の死者を防ぐため、景気悪化で8人の死者を増やすのか。コロナ対策はメリットとデメリットのバランスを考えないといけないのである>
いい加減なことを言わないでもらいたい。経済悪化と自殺者増加に「相関関係」はあっても、「因果関係」ではないのだ。自殺予防に何らの有効な政策をとろうとしない不作為が、自殺者を増やしただけだ。
所得を減らし困窮する人、職を失い住む場所を追われる人、経営する会社が行き詰まる人。そんな人を「敗北者」「負け組」として切り捨てる政策を続けたのは誰なのか。小さな挫折やつまづきに見舞われただけで、生きることの不安が増幅する不安定な社会に誰がしたのか。「自己責任」を問い、排除に走る不寛容な風潮を社会に広げたのは誰なのか。
望む社会の姿を心に
経済がどんなに悪化しても絶対に見捨てはしない、誰一人として自殺に追い込むようなことをしない。そんな政策に懸命に取り組んできたならば、こんな今はない。「経済で死ぬ人などいない社会」こそが、私たちが望んできた姿だった。
人の命か経済か、の議論はナンセンスだ。そんな二者択一はあり得ないし、バランスをとらなくてはという考えも詭弁でしかない。米ニューヨーク州のクオモ知事が言ったように「人命はドルに換算しない」のが真っ当な発想だ。経済は人々の営みであり、人がいなければ成り立たず、存在する意味すらないのだから。
スウェーデンのグスタフ国王が4月のテレビ演説で述べたことが今なお印象深い。
「今はまだ多くのことが不確かですが、一つだけ確かなことがあります。私たちは、今起きていることをいつか思い出し、振り返るでしょう。他者に思いをはせたか、それとも自らのことだけを考えたのか、と。その選択とともに私たちは生き続け、それは私たちの未来に大きな影響を与えるのです」(8月6日)
<引用以上>
倒産、失業、経済が落ち込んでいるにもかかわらず、各国政府のコロナ対策の莫大な支援金のかなりの部分が、富裕層にまわり、株の投機にまわっているのだろうか、株価が異常な値上がり。どこかの富裕層だけが甘い汁を吸っているようだ。コロナ禍で、世界が貧富がさらに拡大。
一見、そのとおりだと思わされそうだが、現実に政府の対策も、国会での議論でも、そういう印象になる。でも、それは、違うのでは???
婦人之友社発行の「私たちはどう生きるか」から、ボローニャ在住の元毎日新聞記者の中村秀明氏の寄稿から:
「人の命か経済か」はあり得ない
何かに、誰かにすがりたい空気
日本循環器学会が7月に公開した山中伸弥。京都大学教授と「8割おじさん」の西浦博・北海道大学教授による、新型コロナウイルスについての対談動画をイタリアで見た。今後についての見解が聞きたかった。
<中略>
不確実な時代のリーダーシップ
対談が終わってしばらく、立ちつくすような思いの後、一つの詩が頭に浮かんだ。
いかなる権威にも倚りかかりたきない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合なことあるや
茨木のり子さんの「倚りかからず」だ。
自らの意思と力で立ち続け、歩んでいこうとすることは容易ではない。不確かなことを前にすれば、誰でも不安や恐れ、疑いにかられる。茨木さんにして、できあいのものに「倚りかからず」と言える心境にたどり着いたのは73歳の時である。
<中略>
寛容と連帯の意識を
「」倚りかからず」と決めたら、その先はどうすればいいのか?<中略>
こんな意見が政界や経済界から出て、一定の説得力を持っているという。
「ウイルスだけでなく、経済で人が死ぬこともある」
「長い目でみれば、経済をうまく回す方が人の命を救う」
冷徹な計算で持論の正しさを溶く人もいる。
<ここ数年は2万人強が自殺で亡くなり、過去の景気悪化時は3万人を超えた。つまり今は人口10万人当たり16人くらいの自殺者で過去には24人の時もあった。新型こコロナによって10万人あたり2人の死者を防ぐため、景気悪化で8人の死者を増やすのか。コロナ対策はメリットとデメリットのバランスを考えないといけないのである>
いい加減なことを言わないでもらいたい。経済悪化と自殺者増加に「相関関係」はあっても、「因果関係」ではないのだ。自殺予防に何らの有効な政策をとろうとしない不作為が、自殺者を増やしただけだ。
所得を減らし困窮する人、職を失い住む場所を追われる人、経営する会社が行き詰まる人。そんな人を「敗北者」「負け組」として切り捨てる政策を続けたのは誰なのか。小さな挫折やつまづきに見舞われただけで、生きることの不安が増幅する不安定な社会に誰がしたのか。「自己責任」を問い、排除に走る不寛容な風潮を社会に広げたのは誰なのか。
望む社会の姿を心に
経済がどんなに悪化しても絶対に見捨てはしない、誰一人として自殺に追い込むようなことをしない。そんな政策に懸命に取り組んできたならば、こんな今はない。「経済で死ぬ人などいない社会」こそが、私たちが望んできた姿だった。
人の命か経済か、の議論はナンセンスだ。そんな二者択一はあり得ないし、バランスをとらなくてはという考えも詭弁でしかない。米ニューヨーク州のクオモ知事が言ったように「人命はドルに換算しない」のが真っ当な発想だ。経済は人々の営みであり、人がいなければ成り立たず、存在する意味すらないのだから。
スウェーデンのグスタフ国王が4月のテレビ演説で述べたことが今なお印象深い。
「今はまだ多くのことが不確かですが、一つだけ確かなことがあります。私たちは、今起きていることをいつか思い出し、振り返るでしょう。他者に思いをはせたか、それとも自らのことだけを考えたのか、と。その選択とともに私たちは生き続け、それは私たちの未来に大きな影響を与えるのです」(8月6日)
<引用以上>
倒産、失業、経済が落ち込んでいるにもかかわらず、各国政府のコロナ対策の莫大な支援金のかなりの部分が、富裕層にまわり、株の投機にまわっているのだろうか、株価が異常な値上がり。どこかの富裕層だけが甘い汁を吸っているようだ。コロナ禍で、世界が貧富がさらに拡大。
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