ひろひろ48 さんの日記
2021
1月
20
(水)
23:16
本文
新聞の朝刊に連載されているコラム「昭和遠近」は、サブタイトルが「短歌にみる時代相」で、その時代その時代に読まれた短歌と時代背景のコラムです。18日(月)で、56回。読み物としてけっこう面白いが、短歌が好きとか興味のある方ほどでもなく、ここに書くほどでもなかったのだけど。。今回のはなつかしい名前がでてきたので、、、
チェ・ゲバラ 初志貫き革命に死す by 島田修三(歌人、愛知淑徳大学長)
「四十を前にして 捕らえられ処刑されしという チェ・ゲバラの生き様」
黒岩剛仁歌集「野球小僧」(2019年)の一首。エルネスト・ゲバラはアルゼンチン出身の革命家。一首が歌うように、昭和42年(1967年)10月、39歳の若さで亡くなる。ボリビアの軍政に対するゲリラ戦の最中、政府軍に逮捕され銃殺されたのだ。黒岩は当時まだ小学校低学年だったから、ずーっと後に彼の波乱に富んだ「生き様」を知ったのだろう。
ゲバラの死の直後から学生を中心とする、日本の若い世代の間にこの悲劇の革命家への関心が高まる。私は著作集までは読まなかったが、山岳ゲリラ戦の日々を死の2日前まで1年間にわたって綴った「ゲバラ日記」は読んだ。南米の社会主義政党の支援も得られず、現状改革に及び腰の民衆の現実を前にして、苦しげな、時に絶望的な思いの記される日記である。本来、ゲバラは社会主義国家キューバの国立銀行総裁などのポストにあった人物。盟友フィデル・カストロとキューバ革命を成し遂げたが、やがて社会主義大国ソ連に依存するカストロと対立、新たな革命を目指してキューバを去る。
彼の初志は、キューバ一国にとどまらず、中南米やアフリカの独裁と貧困に支配された国家を打ち倒すことだったと思う。自身はアルゼンチンの豊かな医者の家庭に生まれ、医学部を卒業した。医学生時代に友人とバイクで南米を縦断旅行、先住民差別、貧困、独裁、アメリカ資本の専横など理不尽な現実を知る契機となったらしい。とにかく正義感の強い、まっすぐな青年だったのだ。
没後半世紀、ソ連や東欧の既存社会主義国家とは妥協せず、独自の革命運動に挑んだゲバラの姿は青臭くはかなげに見える。40歳を遥かに超えて長生きしていたらどんなしたたかな政治家になっていたか、と考えることがある。ボリビア駐在員だった新聞記者から、ボリビアでは今なおゲバラ人気は衰えていないと聞いた。通称のチェ・ゲバラとは、やあ、ゲバラという親しみをこめた呼びかけ。多くの人にそう呼ばれる人物だったのだ。
<引用以上>
ちょうど70年安保の前に、39歳で。。フランス・パリでは学生運動が盛り上がり、それが全世界に広がり、第二次世界大戦から復興が一段落、高度成長の前、戦後のいろんな課題、矛盾が。日本でも戦後民主主義の理念が少しづつ壊され、戦前の支配思想を再び取り戻そうとする保守層が政治を支配しつつあった時代。60年安保から、保守勢力からの攻撃にわずかばかりの反撃しかできなくなっている既成左翼。。高度成長で公害などを負の面として強引に進めながら、80年に異常なほどのバルブ。このころから日本人が変わっていった。あぶく銭をつかんだ者たちは、まじめに働かなくなった。。いまの生活さえよければ、いまの政権でいい。今の政治でいい。その陰で、弱者の生活、命は奪われていった。。
いまの政権の政治が、一部の者たちの政治になり、弱者を軽視し、踏みにじる、あげく、戦争もできる国にしたがっている。。。
青臭くていい、私利私欲じゃなく、「誰一人取り残さない」政治を実現してくれる政治家はいないのか?
チェ・ゲバラ 初志貫き革命に死す by 島田修三(歌人、愛知淑徳大学長)
「四十を前にして 捕らえられ処刑されしという チェ・ゲバラの生き様」
黒岩剛仁歌集「野球小僧」(2019年)の一首。エルネスト・ゲバラはアルゼンチン出身の革命家。一首が歌うように、昭和42年(1967年)10月、39歳の若さで亡くなる。ボリビアの軍政に対するゲリラ戦の最中、政府軍に逮捕され銃殺されたのだ。黒岩は当時まだ小学校低学年だったから、ずーっと後に彼の波乱に富んだ「生き様」を知ったのだろう。
ゲバラの死の直後から学生を中心とする、日本の若い世代の間にこの悲劇の革命家への関心が高まる。私は著作集までは読まなかったが、山岳ゲリラ戦の日々を死の2日前まで1年間にわたって綴った「ゲバラ日記」は読んだ。南米の社会主義政党の支援も得られず、現状改革に及び腰の民衆の現実を前にして、苦しげな、時に絶望的な思いの記される日記である。本来、ゲバラは社会主義国家キューバの国立銀行総裁などのポストにあった人物。盟友フィデル・カストロとキューバ革命を成し遂げたが、やがて社会主義大国ソ連に依存するカストロと対立、新たな革命を目指してキューバを去る。
彼の初志は、キューバ一国にとどまらず、中南米やアフリカの独裁と貧困に支配された国家を打ち倒すことだったと思う。自身はアルゼンチンの豊かな医者の家庭に生まれ、医学部を卒業した。医学生時代に友人とバイクで南米を縦断旅行、先住民差別、貧困、独裁、アメリカ資本の専横など理不尽な現実を知る契機となったらしい。とにかく正義感の強い、まっすぐな青年だったのだ。
没後半世紀、ソ連や東欧の既存社会主義国家とは妥協せず、独自の革命運動に挑んだゲバラの姿は青臭くはかなげに見える。40歳を遥かに超えて長生きしていたらどんなしたたかな政治家になっていたか、と考えることがある。ボリビア駐在員だった新聞記者から、ボリビアでは今なおゲバラ人気は衰えていないと聞いた。通称のチェ・ゲバラとは、やあ、ゲバラという親しみをこめた呼びかけ。多くの人にそう呼ばれる人物だったのだ。
<引用以上>
ちょうど70年安保の前に、39歳で。。フランス・パリでは学生運動が盛り上がり、それが全世界に広がり、第二次世界大戦から復興が一段落、高度成長の前、戦後のいろんな課題、矛盾が。日本でも戦後民主主義の理念が少しづつ壊され、戦前の支配思想を再び取り戻そうとする保守層が政治を支配しつつあった時代。60年安保から、保守勢力からの攻撃にわずかばかりの反撃しかできなくなっている既成左翼。。高度成長で公害などを負の面として強引に進めながら、80年に異常なほどのバルブ。このころから日本人が変わっていった。あぶく銭をつかんだ者たちは、まじめに働かなくなった。。いまの生活さえよければ、いまの政権でいい。今の政治でいい。その陰で、弱者の生活、命は奪われていった。。
いまの政権の政治が、一部の者たちの政治になり、弱者を軽視し、踏みにじる、あげく、戦争もできる国にしたがっている。。。
青臭くていい、私利私欲じゃなく、「誰一人取り残さない」政治を実現してくれる政治家はいないのか?
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