tinc さんの日記
2021
1月
19
(火)
14:18
本文
私は自分のことを中年であると思っているが、「中年」という言葉を近頃は耳にしなくなったように感じる。かつての「中年」は今日の世間で「アラサー」「アラフォー」「アラフィフ」「アラ還」等に細分化され、包括的に「中年」と呼ばれない。30前後、40前後、50前後、60前後ではそれぞれ生活の様子が大きく異なって「中年」と一括りにすることに有用性が乏しいとされたり、「中年」という単語が否定的な色彩で使われることが多かったりして廃れたのだろうと思う。特に現在の30代の人々は高齢化の進行によって過去の30代よりも相対的に若いということ、長い不況や労働環境の変化等によって仕事に熟練した一人前と見なされる機会が減ったこともあってか、自身を何らかの意味での「社会の中間層」と思わないことも多いようである。
しかし「中年」という言葉は以前から曖昧に運用されていたように私は記憶している。同じ年齢の人々の中に自分を中年と思う人もいればそうでない人もいるという状況のまま使われ続けてきた呼称の一つで、「若者」とか「年寄り」とかと同じようなとても主観的で相対的な枠組みだった。
私としては「中年」は便利な括りなのでもっと広がってくれたら良いと思っている。「若者」や「年寄り」と違って「未熟」とか「庇護を要する」とかの印象も付きまとい難いのに加え、「活力に溢れている」ことや「円熟した人格を持ち合わせている」ことを期待されることを免れやすいという気楽さもある。曖昧模糊とした年齢規程の中にあっては一番面白そうな立場ではないか。
近頃の若い奴らはどうの、という文句は太古の昔から言われ続けているし、わりと最近では老害という言葉が頻繁に使われている。どちらも年齢と悪質という無関係の2つを繋げた空虚な非難である。アラサーなら結婚や出産、アラフィフなら老後の資産運用等のことを考えよと言われる。何にせよ企業なりその他何かの団体なりが自分達の都合で言うことである。年齢で人を括るということは適切に行われることがそもそも少ない。
適切でなくともあくまで年齢で人を括ろうという試みが後を断たないので、ひとまず自分は中年ということにしておけば多くの人は面倒を避けその分本来するべきことに注力できるようになって良かろうと思う。アラサーもアラフォーもアラフィフもアラ還も中年同様死語になって、ひとが年齢を気にせずに色々なことをできる社会になった時には私は中年を辞するつもりである。
しかし「中年」という言葉は以前から曖昧に運用されていたように私は記憶している。同じ年齢の人々の中に自分を中年と思う人もいればそうでない人もいるという状況のまま使われ続けてきた呼称の一つで、「若者」とか「年寄り」とかと同じようなとても主観的で相対的な枠組みだった。
私としては「中年」は便利な括りなのでもっと広がってくれたら良いと思っている。「若者」や「年寄り」と違って「未熟」とか「庇護を要する」とかの印象も付きまとい難いのに加え、「活力に溢れている」ことや「円熟した人格を持ち合わせている」ことを期待されることを免れやすいという気楽さもある。曖昧模糊とした年齢規程の中にあっては一番面白そうな立場ではないか。
近頃の若い奴らはどうの、という文句は太古の昔から言われ続けているし、わりと最近では老害という言葉が頻繁に使われている。どちらも年齢と悪質という無関係の2つを繋げた空虚な非難である。アラサーなら結婚や出産、アラフィフなら老後の資産運用等のことを考えよと言われる。何にせよ企業なりその他何かの団体なりが自分達の都合で言うことである。年齢で人を括るということは適切に行われることがそもそも少ない。
適切でなくともあくまで年齢で人を括ろうという試みが後を断たないので、ひとまず自分は中年ということにしておけば多くの人は面倒を避けその分本来するべきことに注力できるようになって良かろうと思う。アラサーもアラフォーもアラフィフもアラ還も中年同様死語になって、ひとが年齢を気にせずに色々なことをできる社会になった時には私は中年を辞するつもりである。
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