tinc さんの日記
2021
1月
14
(木)
19:46
本文
私ほど落ち着きのない大人も珍しいと思う。カスタマーサポートという業務は消費者からの問い合わせが発生して初めて具体的に行うべきことが決まることが多いので、待つことを苦手とする性分の私にはあまり向いていない。
いい大人であるということもあってもっと落ち着いて考えて行動したいところである。賃金労働に従事していると受動的であるということが悪く言われがちであるが、能動もあれば受動もあるのが物事であるから能動が善で受動が悪であるということは決して無い。例えばやたらと物を売りつけようとする能動的な店員よりは消費者からの質問に逐一きちんと答える受動的な店員のほうが好ましいように、自分の言いたいことを言うばかりで相手の話を聞かないという態度は多くの場合良いものではない。能動と受動は両方要る。何かをする自由である積極的自由と何かをしない自由である消極的自由が両方必要であることからも理解されるように、一個の概念だけで世の全てを片付けようとするのは安直で愚かで危険な行為であり、複数の概念の均衡と調和が肝要である。
私は動こうとするばかりでなく待つことを学ばなければならない。
私には自分の周囲で目下特に気にしている相手がいる。それは私の勤務先の部署の責任者である部長である。彼は職場でも自宅でも自分が嫌われていると感じており、周囲の人間が自分の死を望んでいると思っている。その観念もあってのことか怒号を発したり嫌味を言ったりすることが多い。
私は彼が自身を傷付けているように感じ、自分の内奥で心を痛めることがある。威圧的であったり攻撃的であったりする彼をある程度外部化したり彼との間に距離を置いたりする必要があるとはいえ、やはり彼にも平穏と自由が訪れてほしいと思うのである。彼に自分は自分でよいと思ってもらいたいという願望を抱いているのである。
私の言葉などは彼へ届くほどのものではないので、私は彼が私の眼前で血を流すのを傍観することしかできないような気分でいる。
受動的に待つということをやはり苦手とする私は、ではせめて能動的に待つということをできないものか思案した末、部長に対する幾ばくかの思いやりを自分の内心に育てながら日々を過ごそうかと考えている。部長の言動は基本的に劣悪であるので許容しない。距離を取ることも続ける。しかし部長のことをよく見て、彼があくまで一個の人間に過ぎないことを常に思い返し、自分の内心に敢えて彼への憎悪や反発を持つことを避けようと思う。
生活において誰かと敵対するのはありふれたことである。しかし能動的に敵対するのと敵対を抑止することに能動的であるのとでは後の結果もいくらか異なろう。部長がまずは自身を受け入れ、その後に他者を受け入れられるようになることを、私は少し能動的に待とうと思っているところである。受動性には受動性の良さが必ずあるるのに、この件に関して私にはまだそれが見えないようだ。生来の落ち着きの無さが思考に偏りをもたらしているのは悔しく感じられるものの、いつもより少しだけ落ち着いて考えた結果得られた意志であるので、ひとまずこれを手掛かりとするつもりである。
いい大人であるということもあってもっと落ち着いて考えて行動したいところである。賃金労働に従事していると受動的であるということが悪く言われがちであるが、能動もあれば受動もあるのが物事であるから能動が善で受動が悪であるということは決して無い。例えばやたらと物を売りつけようとする能動的な店員よりは消費者からの質問に逐一きちんと答える受動的な店員のほうが好ましいように、自分の言いたいことを言うばかりで相手の話を聞かないという態度は多くの場合良いものではない。能動と受動は両方要る。何かをする自由である積極的自由と何かをしない自由である消極的自由が両方必要であることからも理解されるように、一個の概念だけで世の全てを片付けようとするのは安直で愚かで危険な行為であり、複数の概念の均衡と調和が肝要である。
私は動こうとするばかりでなく待つことを学ばなければならない。
私には自分の周囲で目下特に気にしている相手がいる。それは私の勤務先の部署の責任者である部長である。彼は職場でも自宅でも自分が嫌われていると感じており、周囲の人間が自分の死を望んでいると思っている。その観念もあってのことか怒号を発したり嫌味を言ったりすることが多い。
私は彼が自身を傷付けているように感じ、自分の内奥で心を痛めることがある。威圧的であったり攻撃的であったりする彼をある程度外部化したり彼との間に距離を置いたりする必要があるとはいえ、やはり彼にも平穏と自由が訪れてほしいと思うのである。彼に自分は自分でよいと思ってもらいたいという願望を抱いているのである。
私の言葉などは彼へ届くほどのものではないので、私は彼が私の眼前で血を流すのを傍観することしかできないような気分でいる。
受動的に待つということをやはり苦手とする私は、ではせめて能動的に待つということをできないものか思案した末、部長に対する幾ばくかの思いやりを自分の内心に育てながら日々を過ごそうかと考えている。部長の言動は基本的に劣悪であるので許容しない。距離を取ることも続ける。しかし部長のことをよく見て、彼があくまで一個の人間に過ぎないことを常に思い返し、自分の内心に敢えて彼への憎悪や反発を持つことを避けようと思う。
生活において誰かと敵対するのはありふれたことである。しかし能動的に敵対するのと敵対を抑止することに能動的であるのとでは後の結果もいくらか異なろう。部長がまずは自身を受け入れ、その後に他者を受け入れられるようになることを、私は少し能動的に待とうと思っているところである。受動性には受動性の良さが必ずあるるのに、この件に関して私にはまだそれが見えないようだ。生来の落ち着きの無さが思考に偏りをもたらしているのは悔しく感じられるものの、いつもより少しだけ落ち着いて考えた結果得られた意志であるので、ひとまずこれを手掛かりとするつもりである。
閲覧(1197)
カテゴリー | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
コメントを書く |
---|
コメントを書くにはログインが必要です。 |